七草セリと猫の部屋

猫と料理に夢中な漫画家のグダグダ日記

3月11日

2011-03-15 13:58:21 | 日記
早いもので、大地震から5日過ぎました。
いろんな方から心配メールをいただきましたが、しばらくは通信手段がなく
誰にも返事ができなかったのが心苦しかったです。

今はライフラインも一通り復活して、なんとか元の生活にもどりつつ
あります・・・が、我が家は電気温水器が故障してしまって、ずっと
お湯のない生活が今も続いています。
でも、お湯がないから何?お風呂に入れないから何?
ちゃんと食べて寝て暖かい部屋で過ごしているんですよ。
十分です。

では、3月11日の出来事から書いていきます。

その日は娘と買い物に出ていました。
お昼前に出かけて、ヨーカドーで軽く食事して買い物。
それからパワーコメリにでかけて、猫のごはんとかトイレ砂など
購入して、買い忘れ品があった、と気がついたけど、まぁいいか
と、そのまま帰宅。
ミルクティーを作って、娘にも渡し自分の部屋に落ち着いてテレビをオンにして
ほんのしばらくしたら、画面にデカデカと「地震が来ます」速報が出て、
え?と思ったらもう激しい揺れが来て、携帯の緊急地震速報が鳴り出した時には
テレビも消えて、ああ停電だ!と思ったけど揺れがすご過ぎて動けず。

でも手にはしっかり紅茶のカップを握り締めて、こぼれないように必死です。
だけどこぼれる!!まわりのモノがガタガタと音を立てて落ちてくる。
台所でガチャンガチャンと食器棚から食器が落ちて割れる音も聞こえる。
自分の身体を支えるのに必死で、カップも握り締めて、2階にいる娘も
気になるけど、どうにもならず。

これは震度6以上だな、とピンときました。
以前子ども会のイベントで参加した、地震の震度を経験する部屋というのに
入ったことがあって、まさしく震度6以上だと立っていられない、と実感
したことがあったのです。
しかも、長い!
「いったいいつまで揺れているの?」と大声で文句を言ったほど。
全然揺れが弱くならないのです。
いつまでも震度6クラスの地震が続いている。

こんなしつこい地震は初めてです。
とにかく、震度5くらいに弱まったところを狙って、まず2階に行って
みました。
机の下に潜り込んだ娘が、上がってきた私を見て「お母さん、危ないよ!」
とびっくりです。

わぁ、2階もぐっちゃぐっちゃだぁ。
しかも、紅茶をそのままに机の下に避難したらしく、机の上がビショビショに
なっているぅ。
「だめじゃん、紅茶こぼしちゃってるじゃん」と私。
いや・・・そんなこと・・・今問題じゃないから。

とにかく娘を励まして、階下に連れて行きそのまま外で避難させました。
まだまだ揺れは続いています。
5分以上揺れていたような気がします。
揺れている最中、まずは落ちた食器の片付けを、ゆらゆらしながらも敢行。


   


   


前にもこの食器棚から大切なビールグラスとか、お気に入りのコーヒーカップとか
落ちて壊れたことがありました。
前開きの扉はダメなんです。
引き戸の食器棚は、ずれてはいたけど、皆食器は無事でした。クスン


   

玄関のタイルも一枚だけ剥がれ落ちました。


   

冷蔵庫もかなり横にずれています。


   

これはごみ焼きに作っていたブロックの簡易ごみ焼き場、ですが
すべて崩れ落ちてしまいました。
簡単に積み上げたものだから、仕方ないですね。

それよりの不思議だったのは、白鳥たちです。


   


わらわらと空を横断しています。


   

あるものは隊列を組んで。


   

数羽だけで。


   

隊列も何もむちゃくちゃで。
とにかく突然空を騒がしく飛び始めました。
磁場が狂ったのでしょうか。
ちょっとパニくっているように見えました。

この日は、そのまま停電の夜に突入。
ろうそくは?懐中電灯は?
足りないよ。どうする?
どこかで買ってこないと。

母が近くの個人商店まで出向いて買い物に行ったのですが、買えたのはろうそくだけ。
もう人々が押しかけて、食料品を買いあさっていたようです。
もうひとつの商店にも行ったのですが、あいにく懐中電灯はなかったとのこと。
でも、電池を交換すれば使える古い懐中電灯があるよ。
何とか二つを発見。

とにかく暗くなる前に何か食べよう。
と、支度をしていると、声をかけていた商店の方が、問屋に行く用事があったからと
わざわざ懐中電灯を買ってきてくださったのです。
ありがたい(涙)
遠くの大手スーパーより、近所の個人商店!!
地域密着型が一番なんだなぁ、としみじみ思いました。

ところで、今回の地震でダメージを受けたのは、電気だけ。
温水器が壊れたのはしょうがないけど。
水もガスも(プロパンだったので)大丈夫だったので、助かりました。
我が家はかなりアナログで、コタツは豆タンだし、暖房は反射式石油ストーブだし
トイレは水洗ではないし。
炊飯器もガス釜なので、ごはんも炊けます。

とりあえず電気がなくても不自由はない。
ただテレビが見られないので、情報が今ひとつ。
ラジオだけが頼りです・・・が、陸前高田は壊滅状態です、とアナウンサーさんが
言っていても、ピンとこない。
耳には情報が入るけど、状況が見えない。

どういうこと?いったい何が起こっているの?
不安は募ります。
日が沈むと、真っ暗な世界。
ロウソクを3本立てて、家族全員で茶の間のコタツに集まり、ただラジオを
聞いているだけの夜。
いつもはテレビを観たり、それぞれの部屋で好きなことをして過ごしていたので
こんな風に一箇所に顔を揃えるなんてめったにないことです。
よそのお宅のおばあちゃんが「戦時中みたいだな」と仰っていたそうです。

で、いつまでも起きていても仕方ないので、9時には早々に寝ることに。
私と娘はいつもは2階で寝ていますが、まだ余震も続いているし危ないので
屋根の上に何もない奥座敷に布団をひいて寝ることにしました。
上に2階が乗っている部屋だと、何が起きるかわからないから、おのおの
すぐ逃げ出せて危なくない部屋を選んで寝ることに。

娘は始めての体験で、やはり怖かったのでしょう。
なかなか寝付けなかったようです。
結構大きい余震も何度もやってきたりしたので。
しかし・・・9時に寝ると朝の3時に目が覚める私・・まだ真っ暗だぁ。
またむりやり寝なおしました。


   

翌日は雪でした。
なんでこんな大変な時に雪なんか・・・避難所の方達が寒い思いをして
いるのかと思うと天気にも腹が立ちます。

でも、とにかく朝になるとほっとします。
明るいって、なんてすばらしい。
明るいうちにいろんなことをやってしまわないと。
停電はしばらく続くとラジオでも言っていたし。

めちゃくちゃになった部屋部屋を片付けているうちに、また日が暮れて。
早く夕飯の支度をしないと暗くなるよ、そうだね。
そして、また暗い夜を迎えて早く寝るのです。
こんな時でも、娘のバイトはあり、朝から日没までヘルメットを被って、
電卓片手に商品を売っていました。
暖房もなく、明かりもない店内で。
お客さんは長い行列を作っているので、ほぼ休みなく働いてきたようです。
そして、私にとって怖かったのは信号がない道路を走ること。
娘のバイトの送迎でビクビクしながら交差点を渡っていました。
もう、目と目の合図で譲り合いの世界です。

さて我慢が大切、とはわかっていてもお風呂がないのは辛いです。
で、オードリーの春日式を学ぶことに。
赤ちゃんのお尻拭きを買ってきて、コタツで温めて使ってみました。
ちょっとは、さっぱりしたような気がします。
頭が煮しめみたいになってくるのは仕方ないけど、せめて身体だけでも
さっぱりしたいものね。

サンキュー春日!
いいアイデアだと思うよ。
お尻拭きなら、簡単に手に入るもんね。

そして日曜日、停電3日目です。
携帯の通信はまだダメだし、それよりも電池がもう危ない。
通信が回復した頃には、きっと携帯が使えなくなっているな、と覚悟しつつ。

ろうそく生活にも慣れました。でもやはりテレビが見たい。
情報が欲しい。
食料も底をついてきましたが、停電でどこのお店も閉店です。
コンビにもやっていません。
食べ物を扱う店が開いていないのは、やはりきついです。

ホームセンターでお菓子を山のように買っていく人も見ましたが・・もう
食べられるものなら何でも、という感じになってきます。
そして、地元のコミュニティーFM放送を聴いていると、ぼちぼち花巻市の
中心部の電気が回復している様子。
いいなぁ、灯りがついているんだね。羨ましいなぁ。
今夜辺り、この辺もそろそろつかないかなぁ、と期待して待っていたのですが
あっと言う間にまた夜になりました。

今日はもうないね。
停電は明日も続くね、と全員で諦めかけた頃、パッと茶の間の灯りが
ついたのです。
ちょうど夜の9時でした。
さぁ、もう寝ようか、というところでつきました。
電気がきたらすぐわかるように、あえて茶の間の蛍光灯をつけっぱなしに
していたのです。

点いた点いたよ!!
なんて明るい!
夜なのに、明るい。
ものすごい感動です。

辺りのお宅はまだ気がついていない様子。
家のあちこちに電気をつけてアピールです。
気がついたお宅が次々灯りを点けていきます。
いつもの家々に灯りがともる、いつもの光景が戻ってきました。
さて、さっそくテレビをつけました・・・が、繰り返し放送される
津波の映像に絶句です。

うそでしょう・・・何で?
宮古が・・陸前高田が・・・大船渡が・・・なくなっている!
しばらく家族全員動けなくなってしまいました。
こんなことになっていたなんて・・・ショックです。

宮古方面に実家があるお友達に心配メールを送ると、うちは大丈夫だったから
と返事をいただき、とりあえず安心はしましたが・・・。
多くの人たちが犠牲になってしまったんですね。
悲しいです。
今でも物資が少ない避難所で苦労を強いられている人たちもたくさんいらっしゃる。

すっかり落ち込みました。
この映像をすぐ見ていたら、もっと停電生活が暗くなっていたと思います。
未曾有の震災だったんですね。
なんてのん気に過ごしていたことか・・・いや、せっかくの経験だ。
今後に生かさなければ。
もう不自由な生活に文句は言いません。

お風呂がないなんて何さ。
と、最初に戻りますが、今は何でも平気です。
ガソリンもないので、そのうち車も乗れなくなるでしょう。
そしたら、自転車に乗ればいい。
何だってできる。
だって、生きているんだから。

さて、地震の時の猫達の様子は・・・
長くなったので、その報告はまた明日。
また七草ブログをよろしくお願いします