ホステルでの出会いについて前回の記事で書いたが、今回はタイでの卒論のことについて触れようと思う。
僕の卒論の内容はタイの最大のスラムと言われているクロントイ・スラムに注目して、
近年行われたSlum ImprovementであるBaan Mankong Programの結果を評価するというもの。
アメリカで実際に勉強したかったのがスラムだったので実際にやりたいことができて、毎日がとても充実している。
でもタイという異国で、タイ語もしゃべれず、コネクションもなく、データを収集するのは結構大変だ。
まず環境が違うので、日本やアメリカで当たり前だと思っていたメールを送ったらしっかり返信が返ってくるという
常識が全く通用しない。何日待ってもインタビューのお願いのメールは一向に返ってこない。
そしてタイ語が話せないと(そして理解出来ないと)扱える情報が限られてしまい、情報量が圧倒的に少ない。
コネがないと、インタビューのお願いをしてもうまくアポイントメントが取れない。
正直、この2週間ほどの論文の情報収集は予想以上に多くの失望と少しの希望とで成り立っている。
情報を提供してもらえるという局面で、手続きが遅れたり、情報が手に入らなかったりしている。
そのため、何度も情報が得られそうなNGOや会社にお願いしに訪問に行ったりしている。
そしてたまにこれは行けるのではないか、そう思うときもまた予想はずれだったり。
本当に毎日が、毎日全く違った一日だ。まったく刺激とスリルには事欠かない。
結局、あと数日でタイを離れるのだけど、本当に一番重要な情報がまだ手に入っていない。
上海に行く直前にインタビューが二つ入っていて、そこでその情報が手に入るかが鍵となっている。
今ある情報だけでも卒業する為だけの卒論だったら十分だけど、ここまで来たのだから妥協はしたくない。
最悪のケースはテーマをアメリカの都市計画に変えることかもしれない。
でも、せっかく多くの心ある方々に協力してもらったのでぜひ結果を出したい、それでどうにか踏ん張っている。
僕は何をやるにしてもいつも、最後の最後で重要な局面が待っていることが多い。
そうなったら本当にいかに小さな希望を最後まで持っていられるか、
どれだけ周到に準備ができたかの2つが大きく勝負を分ける。
ただただ自分の意地と、周りの人たちの協力でどうにか希望の灯火が残っている。
次の週がどうなるか、また明日がどうなるか、全くわからない、そんな日々だ。

僕の卒論の内容はタイの最大のスラムと言われているクロントイ・スラムに注目して、
近年行われたSlum ImprovementであるBaan Mankong Programの結果を評価するというもの。
アメリカで実際に勉強したかったのがスラムだったので実際にやりたいことができて、毎日がとても充実している。
でもタイという異国で、タイ語もしゃべれず、コネクションもなく、データを収集するのは結構大変だ。
まず環境が違うので、日本やアメリカで当たり前だと思っていたメールを送ったらしっかり返信が返ってくるという
常識が全く通用しない。何日待ってもインタビューのお願いのメールは一向に返ってこない。
そしてタイ語が話せないと(そして理解出来ないと)扱える情報が限られてしまい、情報量が圧倒的に少ない。
コネがないと、インタビューのお願いをしてもうまくアポイントメントが取れない。
正直、この2週間ほどの論文の情報収集は予想以上に多くの失望と少しの希望とで成り立っている。
情報を提供してもらえるという局面で、手続きが遅れたり、情報が手に入らなかったりしている。
そのため、何度も情報が得られそうなNGOや会社にお願いしに訪問に行ったりしている。
そしてたまにこれは行けるのではないか、そう思うときもまた予想はずれだったり。
本当に毎日が、毎日全く違った一日だ。まったく刺激とスリルには事欠かない。
結局、あと数日でタイを離れるのだけど、本当に一番重要な情報がまだ手に入っていない。
上海に行く直前にインタビューが二つ入っていて、そこでその情報が手に入るかが鍵となっている。
今ある情報だけでも卒業する為だけの卒論だったら十分だけど、ここまで来たのだから妥協はしたくない。
最悪のケースはテーマをアメリカの都市計画に変えることかもしれない。
でも、せっかく多くの心ある方々に協力してもらったのでぜひ結果を出したい、それでどうにか踏ん張っている。
僕は何をやるにしてもいつも、最後の最後で重要な局面が待っていることが多い。
そうなったら本当にいかに小さな希望を最後まで持っていられるか、
どれだけ周到に準備ができたかの2つが大きく勝負を分ける。
ただただ自分の意地と、周りの人たちの協力でどうにか希望の灯火が残っている。
次の週がどうなるか、また明日がどうなるか、全くわからない、そんな日々だ。
