前回、「菱の門」の名前は築城前にあった「菱川」がその由来であると書きました。ところが、前回のブログに対して姫路城シルバーガイド(日本語ガイド)OBで県立歴史博物館ボランティアガイドでもある森喜一さんからするどい指摘を受けました。以下は森さんから頂いたメールです。
・この件は『姫路城史』で著者の橋本政次氏が否定しています。『姫路城史』下巻553ページにその記述があります。
・「菱門」を「菱川」と読み間違ったということです。門と川はくずし字ではよく似ています。
・以前に読み間違った絵図を見たことがありますが、確かに菱門と書かれていると判断しました。
・全く奥行きのない谷間に川があったとは考えられませんよね!
・以上から私は橋本説が正しいと考えています。
森喜一さん、ご指摘ありがとうございました。
上の写真はVEGAの事務所にある「吉田正久文庫」です。そして、真ん中にどんとあるのが姫路城史(上中下3巻)です。三左衛門が旧約聖書と呼んでいる本です。ちなみに下の段は姫路市史第14巻。新約聖書と呼んでいます。三左衛門は姫路市史第14巻は読みましたが、恥ずかしながら姫路城史はまだ手を付けておりません。姫路城英語ボランティアガイド三左衛門はまだまだ未熟です😰
これは姫路城史に書かれている箇所です。
ということで、「菱川」がその名前の由来であることは誤りでした。謹んでお詫びして訂正いたします。
でも、菱紋がついているから菱の門になったかどうかは定かではありません。姫路城には植物に由来した門がいくつかあります。桜門、桐一門、桐二門、菊門。だから、菱の門と名前をつけてから菱紋を取り付けたのかもしれません。まあ、いずれにせよ大した問題ではありませんが…
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