史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

記紀神話:黄泉めぐり

2019-10-27 | 記紀神話
火の神カグツチとイザナミの死
『古事記』によると、続いてイザナギ・イザナミ両神は、鳥之石楠船神(とりのいはくすふねのかみ)を生みました。亦の名を天鳥船(あめのとりふね)と言います。
次に大宜都比売神(おおげつひめのかみ)を生み、次に火之夜芸速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生みました。亦の名を火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)と言い、亦の名を火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と言います。
トリノイハクスフネは、『日本書紀』一書(第二)に蛭児(ひるこ)を流すために生まれた船(『古事記』では葦船)として出てきます。
『日本書紀』での表記は「鳥磐櫲樟船」で、「楠」と「樟」はどちらも「くすのき」を表し、腐食に強いため古くから舟の材料に用いられました。
オオゲツノヒメは、その名の示す通り穀物の女神で、記紀共に他の箇所でも別の形でその名が見えるように、単独の一神を表す固有名詞というよりは、ワタツミやヤマツミと同じく普通名詞に近いものです。

そして伊邪那美命は、火の神カグツチを生んだ時の火傷により病に臥せ、吐瀉物から金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売神(かなやまびめのかみ)が生まれ、糞から波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)が生まれ、尿から彌都波能売神(みつはのめかみ)と和久産巣日神(わくむすひのかみ)が生まれ、その子を豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)と言います。
カナヤマビコとカナヤマビメはその名の通り鉱物の神で、ここでは男女対神となっていますが、金山彦の単独神とする書もあります。
土壌の神であるハニヤスビコとハニヤスビメは、前出の埴安神と同一神であり、やはりこれも書によっては埴山姫のみとします。
ミツハは水の神、ワクムスヒは生命の神で、火の神カグツチと並記されることが多い神々です。
トヨウケは食物の神とされますが、前出のオオゲツヒメとの区別はよく分かりません。
そして『古事記』では天鳥船から豊宇気毘売までを八柱としており、なぜかここでは男女対神をそれぞれ一柱に数えています。

迦具土から和久産巣日までを順に見てみると、火の神カグツチ、金の神カナヤマ、土の神ハニヤス、水の神ミツハ、生命の神ワクムスヒとなっており、この神話は大陸の五行の影響を指摘する声もあります。
また海の神ワタツミ、水門(川)の神アキハヤツヒコ、風の神シナツヒコ、草木の神ククノチ、山の神ヤマツミ、野の神ノヅチ(カヤノヒメ)にも見られるように、自然現象には必ずそれを司る神があり、万物には全て精霊が宿るとして、それらに名を冠して神格化するという信仰は全世界に共通して見られるものですが、『古事記』の場合はそうした神世の信仰と人代の歴史が複雑に絡み合って一つの物語を織り成しているため、そこから史実だけを抽出するのは至難の業となります。

伊邪那美命は豊宇気毘売までを生み終えると、カグツチを生んだ際に負った火傷が原因で世を去り、伊邪那岐命によって出雲と伯耆の境にある比婆の山に葬られました。
妻の死を悲しんだイザナギは、「愛しき我が汝妹(妻)の命を、子の一つ木に易えつるかも」と嘆き、帯に差していた十拳劔(拳十個分ほどの長い剣)を抜いて、我が子カグツチを斬り殺してしまいます。
そしてその切先から流れた血が岩々に飛び散って、そこから生まれた神は石拆(いはさくの)神、次に根拆(ねさくの)神、次に石筒之男(いはつつのをの)神
次に刀身に付いた血が岩々に飛び散って、そこから生まれた神は甕速日(みかはやひの)神、次に樋速日(ひはやひの)神、次に建御雷之男(たけみかづちのをの)神、亦の名を建布都(たけふつの)神、亦の名を豊布都(とよふつの)神。
次に刀柄に集まった血が指の間から漏れ落ちて、そこから生まれた神は闇淤加美(くらおかみの)神、次に闇御津羽(くらみつはの)神
以上八柱は御刀から生まれた神です。

次に殺されたカグツチの頭に現れた神は正鹿山津見(まさかやまつみの)神、胸に現れた神は淤縢(おど)山津見神、腹に現れた神は奥山津見神、陰に現れた神は闇(くら)山津見神、左の手に現れた神は志芸(しぎ)山津見神、右手は羽山津見神、左足に現れた神は原山津見神、右足は戸山津見の神です。
またカグツチを斬った刀の名を天之尾羽張(あめのをはばり)と言い、亦の名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)と言います。
この調子で『古事記』は神々の紹介か延々と続くので、素人には主要な神々を把握するだけでも一苦労ですし、慣れないと途中で食傷気味になってしまうのですが、それが『古事記』の存在理由なのだから仕方ありません。
ただ歴史の大まかな流れだけを知りたいという場合には、途中下車の多い『古事記』は何とも厄介な史書になります。

イザナギと黄泉の国
最愛の妻イザナミを亡くしたイザナギは、再び彼女に会おうと黄泉の国へ赴いて行きます。
ここからは誰もが知る伊邪那岐命の黄泉国巡りの神話になりますが、似たような伝説は世界各地にあり、決して日本固有の神話ではありませんし、人代の歴史にも殆ど関係のない話なので、軽く読み流す程度に抑えておきます。
黄泉の国を訪れたイザナギは、イザナミに声を掛けて、まだ国を作り終えていないから還ろうと言います。
イザナミはそれに答えて、悔しいが(イザナギが)来るのが遅かったので自分はもう黄泉の国の食物を口にしてしまった(つまり黄泉の国の住人になってしまった)、しかし最愛の人が迎えにきたからには還りたいと思う、黄泉の神と相談してくるから、その間決して自分の姿を見ないで欲しいと頼みます。

しかしイザナギがその約を破り、火を灯して横たわる妻を見てみると、その体には蛆が蠢き、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰には拆雷、左手には若雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷が居たので、これを見たイザナギは畏れて逃げ出しました。
ここでイザナミの遺体の八部位にそれぞれ雷が居たという話は、カグツチの死体の八部位から八柱の山津見が現れたという話と対を成すもので、カグツチの血から八柱の神が生まれたという話も含めて、『古事記』ほど詳細ではありませんが、『日本書紀』一書の中にも同様の話が伝わっています。
また『古事記』に比べて簡略な分、その言わんとするところは『日本書紀』の方が分かりやすいので、これについては後述します。

変り果てた姿を見られたイザナミは、なぜ恥を掻かせるのかと怒り、黄泉醜女や八柱の雷神を遣わしてイザナギを追わせました。
そこでイザナギが鬘を取って投げると、それが葡萄の実になりました。
醜女がそれを拾って食べる間に逃げましたが、更に追い付かれたので次は櫛を取って投げると、それが筍になりました。
また醜女がそれを拾って食べる間に逃げると、次は八柱の雷神が千五百の黄泉軍を従えて追ってきました。
十拳劔を振りながら逃げて黄泉比良坂(黄泉の国と現世の境)まで来たとき、そこに生えていた桃の実を三個取って投げ付けたところ敵が尽く逃げ返ったので、イザナギは桃の実に「汝は吾を助けしが如く、葦原中国(あしはらのなかつくに)のあらゆる現しき青人草(この世の人民)の、苦しき瀬に落ちて患ひ惚(なや)む時は助くべし」と告げて、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)の名を賜ったといいます。
これも桃の実が邪気悪霊を祓うという大陸の信仰が下地になっているものと思われます。

最期にイザナミ自身が追ってきましたが、イザナギは黄泉比良坂を千引の石(千人で引くほどの大きな岩)で塞ぎ、二神はその岩を挟み相対して言葉を交わしました。
そこでイザナミが「貴方が私にこんな仕打ちをするなら、私は貴方の国の人民を一日に千人殺しましょう」と言うと、イザナミは「貴女がそうするなら、私は一日に千五百の産屋を立てよう」と答え、これが一日に千人が死んで千五百人が生まれる所以であるといいます。
因みにイザナギが黄泉の国へ赴いた際には、特に遮る物もなく普通に中へ入っており、大岩で現世と黄泉の国との境界を塞いでしまったことで、以後は生きた人間(神)が両世界を往来することはできなくなった訳です。
そしてイザナミを名付けて黄泉大神(よみのおおかみ)と言い、亦は道敷大神(みちしきのおおかみ)とも言い、また黄泉の国を塞いだ岩を道反大神(ちがへしのおおかみ)と名付け、亦は塞(さや)ります黄泉戸大神(よみどのおおかみ)とも言うのだといいます。

桃の実に意富加牟豆美命の名を賜ったとか、黄泉の坂を塞いだ岩を道反大神と名付けたなどという話は、果してそれは本当に物を神格化したものなのか、それとも三個の桃の実というのは実は敵を撃退した三人の兵士で、千引の石というのもそれを設置した力士等の功績を讃えたものであり、神話の中でそれが物格化されたものなのかは、安易に結論を出せないところであす。
もともと『古事記』は全編を通してその辺りの境界が甚だ曖昧であり(曖昧だから神話なのですが)、人や神だと思って読んでいたら実は品物や動物だったとか、その逆も含めてそれらを明確に線引きするための指標はまず無いと思ってよいでしょう。
無論これを純粋に物を神格化しただけの話として捉えても問題はありません。
何故なら似たような行動原理は後世にも受け継がれていて、偶然にも自分を助けてくれた木や岩を祀って感謝の意を表したとか、命を繋いでくれた水の畔に祠を立てて生涯拝み続けたなどという話は、歴史上枚挙に暇がないからです。
そして伊邪那岐命が神であるが故に、相手の物もまた神となった訳です。

イザナギの禊祓
黄泉の国から戻ったイザナギは、何とも穢れた国に行ってしまったので身体を清めようと言い、筑紫国の日向の橘の小門の阿波岐原で禊ぎ祓いました。
その時に投げ捨てた杖から生まれた神は衝立船戸(つきたつふなどの)神、次に帯から生まれた神は道之長乳歯(みちのながちはの)神、次に嚢から生まれた神は時量師(ときはかしの)神、次に衣から生まれた神は和豆良比能宇斯能(わずらひのうしの)神、次に褌から生まれた神は道俣(ちまたの)神、次に冠から生まれた神は飽咋之宇斯宇斯能(あきぐひのうしの)神です(以上六柱)。
次に左手の手纏(たまき)から生まれた神は奥疎(おきざかるの)神、次に奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこの)神、次に奥津甲斐辨羅(おきつかいべらの)神、次に右手の手纏から生まれた神は邊疎(へざかるの)神、次に邊津那芸佐毘古(へつなぎさびこの)神、次に邊津甲斐辨羅(へつかいべらの)神です(六柱)。

身に着けていたものを全て脱いだイザナギは、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」と唱えて中つ瀬に降り、潜って滌(すす)いだ時に生まれた神は八十禍津日(やそまがつひの)神、次に大禍津日(おおまがつひの)神であり、この二柱は穢れた国で付着した汚垢から現れた神です。
次にその禍(まが)を直そうとして生まれた神は神直毘(かむなほびの)神大直毘(おほなほびの)神伊豆能売(いずのめの)神(厳(いつ)の女か)。
次に水の底で滌いだ時に生まれた神は底津綿津見(そこつわたつみの)神、次に底筒之男(そこつつのをの)命、次に中水位で滌いだ時に生まれた神は中津(なかつ)綿津見神、次に中筒之男命、上水位で滌いだ時に生まれた神は上津(うはつ)綿津見神、次に上筒之男命です。

まずここで語られているのは、イザナギが禊をするために身に着けていたものを脱いで投げ棄てると、そこから神が生まれたという話で、杖・帯・嚢・衣・褌・冠から生まれた六柱は陸路に関する神名、左右の手纏から生まれた二対六柱は海路に関する神名となっています。
ではこれらの神々は一体何を現したものなのでしょうか。
考えられる仮説としては、「投げ棄てた」とあることから、恐らくイザナギが身具を外す毎に祈りの言葉を唱えながら投げたので、その言霊が神になったというものではないかと思われます。
強く純粋な思いを宿した言葉は言霊となり、その言霊は強い霊力を持つが故に、神の発した言霊もまた神になるという発想は、太古の昔からこの国に根付いてきた信仰の一つで、日本を「言霊の国」と称する所以でもあります。
前出の桃の実に神名を賜ったというのも言霊の一つでしょう。

身に付いた穢れが災いを齎すというのも、やはりこの国に古くから伝わる「穢れ信仰」の一つで、その穢れを落とすためには禊やお祓いをしなければなりません。
「八十」は「多くの」という意味なので、ヤソマガツヒとオオマガツヒはそれぞれ「多くの禍」「大きな禍」の意であり、黄泉の国の穢れを滌いだところ、その汚垢からこの二つの禍が生じてしまったので、それを直すために続いてカムナオビとオオナオビが生まれたとしています。
三つの水深でそれぞれ生まれたというワタツミとツツノヲについては、三柱の綿津見神は阿曇連の祖先とされる神で、三柱の筒之男命は住吉大社の祭神だと伝えますが、ここでは殆ど体裁程度に読み流しておいて問題ないでしょう。

三神の誕生
そして身体を滌ぎ終えたイザナギが、左目を洗った時に現れた神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右目を洗った時に現れた神は月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に現れた神は建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)です。
ここに至ってイザナギは「吾は子を生み生みて生みの終に三柱の貴き子を得つ」と大いに喜び、身に着けていた珠の首飾りを天照大御神に賜って高天原を治めるように命じ、月読命には夜の国を治めるように命じ、須佐之男命には海原を治めるように命じました。
このアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三神が生まれたことで、イザナギ・イザナミ両祖神による神生みは終りを告げ、記紀神話は高天原の物語へと舞台を移すことになります。

末子の須佐之男命は、髭の長さが胸に至るほどの歳になっても、父から命ぜられた国へ赴こうともせずに啼き散らしていました。
その泣く様は、青山を枯山のように泣き枯らし、淡海を悉く泣き干し、悪声が五月蠅のように満ち、あらゆる妖いが悉く起きるほどでした。
そこでイザナギが「なぜ汝は任された国を治めずに哭いてばかりいるのか」と問うと、スサノヲが「僕は亡母の国根(くにね)の堅州国(かたすくに)に罷りたいが故に哭くのです」と答えたので、それを聞いたイザナギは大いに怒って「然らば汝はこの国に住むべからず」と言ってスサノヲを追放してしまいました。
そして『古事記』は、「故、伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と語って神生みを締め括っています。



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