神島に限らず、昔の人たちは故郷というものを
愛する気持ちが強かったように思います。
遠く離れた場所にいても。
当時、印刷業を営む男性と結婚し
中国は大連市に住んでいた山本春子さんは
戦争をキッカケに神島へ戻ってきました。
ちょうどその頃、天野兵太郎さんが八代神社の建設を
すすめていたそうで。
親戚関係にあった山本春子さんが
「狛犬」だけでも寄贈させてくれと
お願いしたそうです。
かなり手広くお仕事をされていたそうで
財産もかなりあったそう。
よくよく聞いてみると
うちの死んだばあちゃんも大連へ
観光に連れてってもらったみたいです。
この人もウチの親戚やったんですね。
昔の人って結構
中国で生活されてる人が多いんですね。
話を聞いてて驚きました。
大連だけじゃなく、釜山とかにも。
その後、春子さんは
2~3年ほど神島に住んで
仕事の関係で尾鷲の方に移られたとか。
地域に対する愛を
しっかりとカタチにして示す。
なかなか簡単そうで難しいことですね。
僕も神島に何か残して死にたいなあ。
今のままじゃ無理だなーーーーー。
頑張ります!
人間として他人とは思えない親近感を覚えます。そのころの大連は20万人の日本人が住んでいました。成功を夢見て日本からわたり、故郷に錦を飾りたい想いから、きっと必死に頑張られたことと思います。そして故郷の神島の海を見渡せる一等地に狛犬を寄贈できたことは、山本さんにとってきっと誇りに思えることだったこととおもいます。望郷の念はいつも故郷神島のことだったと思います。私も仕事人生の終盤にきて、縁あって大連で仕事に励む毎日です。
故郷(私は常滑ですが)の海、景色を想い、励みにしながらもう少しこの大連で頑張ってみようと思います。また。神島にも行かせていただきます。山海荘に泊まらせていただき、大連と山本春子さんの話をさせていただきたいとおもいます。狛犬の特集、本当にありがとうございました。中国、大連より、きんちゃん。。。
ぜひお願いします。