神島のコトを知りたいならこのブログ見れば一発だよって言われるのを目標とするブログ。

映画「潮騒」、恋人の聖地、豊富な魚介類、手付かずの自然。伊勢湾に浮かぶ小さな島、神島の魅力を紹介します。

神島のじいさんばあさん

2012年01月25日 | 神島を考える
今日は「島の旅社」さんのご協力の下

老人会へおじゃまさせてもらいました。

今の神島があるのは先人のおかげ。

神島のコトを知りたいのなら

島のじいさんばあさんに聞くのがイチバンです。

何か新しいことがしたいなら

そのルーツを探るのが基本ですもんね。

温故知新ってやつですか。




といっても堅苦しいものでもなく

雑談の延長みたいなユルイ感じで始まりました。

島の旅社さんが用意してくれた

50年ほど前の写真を元にあれやこれやとおしゃべり。

全員の話が聞きたいトコロですが。

20人ほどいたので無理。

そういうことなら



神島のことならこの人に聞け。

藤原喜代造さん。

鳥羽の市議会議員もされた方。

やっぱすごい

質問したらスッと返ってくる。

祭りのことから漁の話、50年前の家並みの話まで。

時間はいくらあっても足りません。

印象深かったのは堤防の話

島民の安全の為の堤防やテトラポット。

堤防ひとつ作るにも、大事な漁場をツブすことになる。

テトラポットを作れば、引いてしまった浜の砂が

上がって来なくなる。

当時は優先順位をどちらにするかと悩んだそう。

なるほど、と思うわけです。

こういう話は本人に聞かないとわからない。


さらに、何がすごいってコノ人。

神島に係わることをすべて記録し、写真に収め

次の世代へ残そうと必死にされてる。

口にこそだしませんでしたが

誰も知らないところでの苦労はあったようです。


毎月、5のつく日に集まる老人会。

70歳以上が入会のライン。

35歳じゃダメですかね(笑)
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三島由紀夫 記念館へ

2011年12月09日 | 神島を考える


運転手として

連れてってもらいました。

一度は行ってみたかった場所のひとつ。

目指すは山中湖。

神島の「島の旅社」のガイドさんと一緒です。

お天気にも恵まれ、すばらしい富士山に迎えてもらいました。



到着。

左から、

秀子ちゃん

そのえちゃん

かねこちゃん

みよちゃん です。

みんな神島在住の生娘たち。

笑顔がステキ。

館内では普段では見ることのできない

三島さんが神島で取材をしたノートを

特別に見せてもらいました。



僕はココで取り返しのつかない

大きなミスを犯すのです。

普段、持ち歩いてるはずのレコーダー、忘れる。

とにかく興味深い話が飛び出す、飛び出す。

次から次へと

飛び出す、飛び出す。

坂上次郎もビックリ。

祭りの話、海女の話、もちろん「潮騒」の話も。

残したかった!!記録に!!

楽しすぎる時間はアッという間。

午前中だけというスケジュールを大幅に変更。

結局、開館から閉館まで1日中、神島トーク。

最近、新説が出て気になってた

三島由紀夫と江戸川乱歩との交流も明らかになり。

とにかく充実した旅になりました。





帰りは伊良湖ビューホテルから

みんなで神島を眺める。


今回の旅、神島の事ばっかし考えてました。

おばさん(じゃなくて生娘)達の話はどれも面白く、

興味深くて為になるものばかり。

企画していただいた方に感謝です。

ありがとうございます。

今後につなげていけるよう頑張ります!



おまけ



夕食はみんなでイタリアンを。

おばさんたちの顔がキラキラして見えたのは

僕が飲んだ白ワインのせいだけではないでしょう。
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観的硝の工事が完成

2011年11月22日 | 神島を考える
少し前のことですが。

観的硝の工事が終りました。

ってことで、先日

子供たちと見にいってきました。



とにかく広くなってます。




「あずまや」もできて

今までここからは見えなかった

伊良湖がすっきりと。


懸念されていた屋上からの景色。

神様磯方面の絶景も

少し突き出たデッキによって見れるように。



今まで薄暗い印象だった観的硝周辺も

日当たりがよくなり



ベンチなんかできちゃって。

金かけただけの事はあるなぁと。


まぁ、とりあえずの報告ということで。



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えらいことですよ、皆さん!!

2011年11月20日 | 神島を考える
11月19日の23時ごろ。

yahooのトップページ!!



神島に関する記事が!!

下から2段目ですよ。

結構なニュースだったんですね。

ご存知の方もいらっしゃるでしょうか。



江戸川乱歩の「パノラマ島綺譚」

舞台は真珠島ではなく神島だったと。

詳細はググッて確認願います。

色んな方から

メールやらツイッターやらフェイスブックやらで

「すごいねー」の声が。

神島に住む皆さん!

そして神島出身の皆さん!!

これはすごい事ですよ!!

みんなに自慢しまくりましょう!!

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神島の狛犬

2011年10月16日 | 神島を考える


神島に限らず、昔の人たちは故郷というものを

愛する気持ちが強かったように思います。

遠く離れた場所にいても。

当時、印刷業を営む男性と結婚し

中国は大連市に住んでいた山本春子さんは

戦争をキッカケに神島へ戻ってきました。

ちょうどその頃、天野兵太郎さんが八代神社の建設を

すすめていたそうで。

親戚関係にあった山本春子さんが

「狛犬」だけでも寄贈させてくれと

お願いしたそうです。

かなり手広くお仕事をされていたそうで

財産もかなりあったそう。



よくよく聞いてみると

うちの死んだばあちゃんも大連へ

観光に連れてってもらったみたいです。

この人もウチの親戚やったんですね。



昔の人って結構

中国で生活されてる人が多いんですね。

話を聞いてて驚きました。

大連だけじゃなく、釜山とかにも。


その後、春子さんは 

2~3年ほど神島に住んで

仕事の関係で尾鷲の方に移られたとか。

地域に対する愛を

しっかりとカタチにして示す。

なかなか簡単そうで難しいことですね。

僕も神島に何か残して死にたいなあ。

今のままじゃ無理だなーーーーー。

頑張ります!
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夏祭り 後編

2011年07月18日 | 神島を考える


今年は長男が小学校にあがったので

いつもと違う天王祭になりました。

神島名物(?)ダンボートレース。

1枚の大きなダンボールで作ったボートで

スピードを競います。



僕たちのボート。

真っ赤なボディ。

ギンギラギン。



乗り込む親子。



いざ、処女航海へ!

ライバルは、同じ1年生のアコチャン親子

そして2年生のテツシ親子に

前回優勝のエアリ親子。

結果は3着。

さすがに2年生は早かった。

来年は同じボートでリベンジだ!

とにかく盛り上がる。

中学生のニイヤンたちはボートからして違う。



白鳥やがな。



ここまで作り上げるのに

どんだけかかるんやろか。

さすがにスゴイ安定感で航行してました。



学校の先生たちも参加。

レース中に自慢のボートを子供たちに

沈没させられて、疲れ果てるマチコ先生。

この写真とったあと

「何とってんすか」とニラまれる。


なんだかんだで、最終レース。

診療所の小泉センセーも出場予定なのだが

姿が見えない。

イヤな予感がする。




あらわれたのはスパイダーマン。

手から繰り出される白い糸パフォーマンスに

会場はドッと沸く。

完全にオイシイところを持ってかれた。

さっそく準備にとりかかるスパイダーマン。

スタートとともに滑りだす!



直後に沈没。

完全なる出オチ。

しかし、この後スパイダーマンを悲劇が襲う!

体と顔にピッタリと張り付いたタイツ、いやさ、スーツ。

水分を含んでさらに張り付く!

息ができない!!

必死でマスクを半分あげて呼吸を確保!

えらいモンで、マスクはとらない。

正体バレバレやっちゅーねん。

会場は笑いの渦。

僕も目の前で見てて、ハラかかえて笑いました。



ひと仕事終えた、蜘蛛男。

帰りしなにボソッと言った一言を

僕は聞き逃さなかった。

「これケッコー高かったのに・・・。」

いやいやセンセー!

じゅうぶん元とってますって!

どんだけ笑いに貪欲なんすか。

うらやましすぎますわ。

来年は僕もなんか考えます。

協力していただける方は山海荘まで、ご一報を。


とにかく、今年も楽しい日でした。

島民がひとつになってる感じが、たまりませんな。

ずっと続けていきたいですねー。


おまけ

表彰される蜘蛛男。



おもしろすぎるでしょ。

姿勢よすぎるし。
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観的哨のこと その2

2011年07月07日 | 神島を考える
いってきました。

要望書の提出。

全部で77名の署名とともに。

町内会長、島の旅社のガイドさん、僕の3人で。

僕らの想いは伝わったように感じました。

鳥羽市長は

島民に何の説明もなく、コトが運んだ経緯を詫びたうえで

今後の作業を島民と共に進めていくことを約束してくれました。

ただし、やはり屋上へ上がることは

むずかしいとのことです。

非常に残念ではありますが、いつかは来てしまうこの日。

受け入れざるを得ない部分もありました。

1階の「飛び越えてこい!」に関しては

なんとか観覧できるようになる予定です。

あくまで予定ですが。

市長にお願いした後

市議会の方々からもお呼びがかかり

応援することを約束していただきました。


しかし、やはり行政のやり方にはしこりが残ります。

僕は仕事柄、行政の方々には非常にお世話になってます。

仲良くさせていただいてる方もたくさんいます。

だからこそ、あえて言わせてもらうのですが

振り回された感がたっぷりです。

それまでは行政の方から「潮騒」を売りにしていたはず。

ところが、そのメインの建物を立ち入り禁止に。

しかも島民には相談がなかった。

今後はこんなことが無くなることを祈ります。

こんな事が続いても誰も得しませんからね。


グズグズ言う気はありません。

我々には前に進む道しかありません。


今回の件をいいキッカケにすることが

僕らの役目だと思ってます。

正直、今まで観的哨に関心のなかった島民も

「これではイカン」と思ってくれるようにすることが。


最後に

応援してくれた皆さん

ありがとうございます。

あなたたちがいなければ

僕は、今回の件をみすみす流していたことでしょう。

あなたたちがいなければ

僕は、言いたいことも言えず、時の流れの所為にしていたでしょう。

「こんなにもたくさんのひとが神島のことを想ってくれている」

その思いだけで動くことができました。

またひとつ、成長することができました。

ありがとうございます。



まだまだ終わってません。

進み次第、ココで報告します。

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観的硝のこと

2011年07月06日 | 神島を考える
言いたいことは、たくさんあるんです。

今年の初めに観的硝あたりがキレイに整備されるという

ハナシを聞きました。

僕たちだけでの草刈りだけでは

到底間に合わない草の量。

整備されるんならこれほど嬉しい事はないと

大喜びやったんですが。

まさか立ち入り禁止になるとは。

建物自体、確かに老朽化は否めません。

いつかこういう日が来るんだろうなって言う気もしてました。




屋上から眺める、伊良湖岬。



神様磯の神秘的な光景。

どこまでも続く水平線。

五感をフル活用させることのできる場所のひとつ。

この景色は何にも変えられません。




そして1階には、皆さんご存知

「その火を飛び越えて来い!」

神島の観光にとって

これらに触れられなくなるのは

やはり大きな痛手と判断しました。

一連のニュースや記事のレスポンスに対し

鳥羽市長は1階の「飛び越えて来い!」部分だけでも

観覧できるように検討すると答えました。

この発言を、逃げ口上にしてしまわないよう

明日、7月7日

島民の署名と共に市役所を訪れます。

僕らの願いが、届くように。

天の川の流れにのせて。



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残念です。

2010年12月26日 | 神島を考える
1週間ほど前、12月19日。

神島の八代神社の禰宜さんが亡くなりました。

65歳。

ちょうど1ヶ月前の七五三では

元気な姿を見せてくれていました。

我々に

「これからの神島を担うこの子供たちを

 大切に育ててやってくれ。」と

言葉をいただいたばかりでした。



彼の息子は僕と同級生。

通夜、葬式では

あまりの急な事に動揺を隠せずいたように見えました。



子供らを連れて詣りに行ったり

お客さんを案内して神社に行くと

夫婦そろって境内の掃除をしている姿が

印象に残っています。

傍らから見ていても

仲のよいご夫婦だなと思っていました。


神島のひとが口をそろえて言うのは

「せっかく適任の人やったのに」

教養や向上心はもちろん、人格者であったそうです。

この世で必要とされる人は、あの世でも必要とされる。

そう思わずにはいられません。



これから正月を迎える上でも

神島にとって悲しい事になってしまいました。

八代神社の事を教えてもらおうと

常々思っていました。

年が明けて落ち着いてからでいいかと

後回しにしてしまった事が悔やまれます。


これから先、僕にできることは

神社へあがる階段の草刈りぐらい。

一生懸命させてもらいます。


禰宜さん、今まで大変やったでしょう。

ゆっくり休んでください。


残された家族の皆さんが

困った時は遠慮なく僕らに

言ってくれることを心から願っています。




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貴重な写真を見せてもらいました。

2010年06月21日 | 神島を考える
現在は港の裏っかわにある神島中学校ですが

僕の母親が通ってた時にはもっと近くにありました。

場所は「鏡石」の手前。

今では上の写真にも写ってる校門(?)を

残すのみとなってしまいましたが。

現在の中学校の校長先生にコピーをいただきました。



卒業写真のようです。



昭和42年卒業とあります。

40年以上前の写真ですね。

この写真を見て懐かしいと思われる方も

おられるんではないでしょうか。

ちなみにウチの母も映ってます。



何がいいって

ウチの母親と僕の嫁が

母「これがあそこのオバサンやんか」

嫁「ほんとや、変わってないなぁ」

  とか

母「この先輩が怖くてさぁ」

嫁「そんな風には見えへんけどなぁ」

  とかウダウダと話してる姿ですよ。

そうやって話してる2人には

同じイメージが共有されてるんですよね。

産まれも育ちも年代も違うのに。

不思議なもんですね。

何かいいですよね、こういうの。

ただの40年前の卒業写真ですから、

「ふーん、懐かしい」で終らせる事もできるんですが。


その間、僕の晩飯はいつになったら作ってもらえるのか

と、考えておりました。


校長先生ありがとうございます!!
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