サンズ・トーク

神戸にある孫文記念館

神戸市の垂水、明石海峡に面して「孫文記念館」がある。

私は、青年時代、運転免許を取って嬉しそうに車であちこち走った。
垂水、塩屋など走っていて、孫文記念館も目にしていた。八角形の洋館みたいな建物。
そして今、ネットで見ると、その記念館のそばに明石海峡大橋が写っているではないか。
だから、昔、私の見ていた垂水などというのは、海峡の大橋なんか無かったのだ。



そして「孫文」は、中華民国建国のきっかけをつくった歴史上の偉人ではないか。
残念ながら、私は歴史には詳しくない。
「孫文」の事跡を簡記してみると・・・・。

清国は、モンゴル系の満州族の国家だった。1644年、中国のほとんどを手中に収め、北京に首都を置いた。そののち、次第に国が乱れ、アヘン戦争その他でヨーロッパの植民地化の波に翻弄されるようになった。
そのころ、漢族の孫文は、日本の明治維新に触発され、清国を打倒する活動をするようになった。
漢族による近代国家を造らねばならぬ。
日本に亡命し、犬養毅など当時日本の政治家、思想家、実業家らと親交を結び、革命活動の資金も集めた。
ここの記念館は、彼が日本に亡命し、川崎重工社主の松方幸次郎等に庇護を受けていた時代のゆかりの建物だという。
1912年、清国は潰れて、漢族による中華民国が南京を首都にして発足したんだという。

こうした歴史の流れの中、蒋介石の国民政府から毛沢東の天下となり、今の中国になっている。
そういう歴史上の孫文が、明治期の日本を足掛かりに活動した証しが、明石海峡にあるのだった。

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