サンズ・トーク

小諸なる古城

私の中では、古城の東西の屈指は、東はここ小諸城と、西は九州の豊後竹田の岡城である。

岡城は、滝廉太郎の 「荒城の月」 の歌曲の舞台になったことが忘れられない。
http://blog.goo.ne.jp/san-gblog/e/518a00d41de946b7e764bcaec5d1063b

ここ小諸城址は、藤村の 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ の叙情が時を超越して人の心をゆさぶるのだ。

 三の門

この門の外側にはJR小海線の小諸駅がある。





島崎藤村は、明治32年、小諸義塾の教師に招かれ、7年間小諸にいた。
その間、詩作はもとより、エッセイに、小説に、旺盛な創作活動をした。

ところでこの城、甲斐の武田信玄が長野侵攻により手中に収め、その謀将、山本勘助が縄張りして、堅固な城を作ったといういわれがある。

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コメント一覧

TF 
以前に、馬篭・妻籠に旅行した時、宿泊したのが、藤村の縁戚の経営、確か いろは屋 だったか、いろいろ話を聞いた記憶がある。
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