ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

自分の趣味嗜好の論理に主観を隠してどうする。

2010年03月11日 | Weblog
趣味嗜好が漫画やゲームである俺にとって、無視できない(かもしれない)問題ではある。

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なのだが、書かれている規制が曖昧なので(俺の理解力が乏しいだけなのだろうけれど)、イマイチ問題の大きさを測りかねている。これが可決された後、どれほどのものが規制されるのだろうか。これの真剣度がマジだと結構な規制がかかりそうだ。そこまでマジじゃないなら、別にいいんじゃないかとも思う。これは現状、各々の解釈によって違うとしか言いようがないんじゃないだろうか。

俺の趣味嗜好に関連していることかもしれないのに、なぜか2,3歩引いた視点で見ている気がする。いや、実際にはマジになって今回のことを書くことを試みた。ただ、下書きした自分の文章を読み直してみて、どうにもしっくりこないというか、気分がモヤモヤしたのだ。違和感の理由はすぐに気づいた、主観が抜け落ちているのだ。

パッと見な印象、今回の問題に対して結構マジな人が多い。理路整然とした文章で、規制に対しての反対理由を書き連ねているものが結構ある。しっかりとした文章で書かれているものも多かったのだけれども、俺はどうにもその方向性に引いてしまったようだ。主観があまりにも抜け落ちている。その論文を提出して反対運動をするとかでもないのに、やたらと客観的に書いている。

で、俺が引いてしまった理由として、それがしっかりと書かれた文章であればあるほど、隠された主観が気持ち悪いほどに見えてしまっている、ということだ。自分の趣味嗜好のものに対して、主観をそぎ落として論理を展開することがこんなにも気持ちの悪いものだとは、実際に読みなおしてみるまで気づかなかった。

俺は知らないうちに、自分の趣味嗜好にまで論理武装をほどこすようになっていたようだ。そうじゃねえだろうと、自分の趣味嗜好にこそ主観を前面に押し出していかなくてどうするんだ。そうじゃないならそれはモグリじゃねえか。

俺は(エロ本含む)商業誌に厳しい規制がかかるのならば駄々をこねさせていただくなぜなら規制が可決されたのならば俺の好きな漫画のいくつかは連載がストップしたり最悪商業にすら出回らない事態になることが予想されるからだもちろん実際にそうなった場合には俺の人生の楽しみが減るし活力が減るからとっても嫌だ。

主観で書いたら書いたで客観的に見て気持ち悪かった。そして、無論これが規制に立ち向かう上で有用かどうかはまた別の話だ。まあ、大抵の人は立ち向かわないんだから、ひたすら「嫌だ」「困る」とか言っていればいいんじゃないだろうか、っていうのが俺の書きたかったこと。少なくとも「表現の自由を妨げる」だとかつまらないことを言うよりは素直でいいと思う。