つまり、能力を生かすも殺すも意欲の問題なんだろう。もちろん、能力を活かす方法とかになると「意欲」という言葉一つで片付けるわけにはいかない。けど、どの物事にも、その根底に「意欲」というものがあるのは確かだと俺は思う。勉強とかに関して言えば、効率的な問題はともかく、やる気さえあれば少なくとも結果は目に見えて出てくる。もちろん、それだけで何とかなるほど世の中は甘くないってのは一般論としてじゃなく、現実問題としてある。ただ、大抵の物事において、まずは「意欲」がなければそれを成すのは難しい。そりゃそうだ、成す気がないんだから。
この意欲を、いかに出したいときに出せるかが重要なんだろう。そして、それは才能だと言ってしまっていいと俺は思う。「やればできる子」って言われる人は、能力面の才能こそ優れているものの、やる気を出す精神面の才能が優れていない人間だということだ。そういう人間は結構いると思う。それは評価されづらい才能ではあるし、その才能は他の才能と合わさってこそ効果が発揮されるものだ。なので、この才能を持っている人は、大抵の物事において優位に立てるだろう。
結構、重要なことだから違う記事で書こうと思うことをさらりと書くけど、大抵の才能は最初からあるというより、育て上げていくものだと思う。そういう点ではこの意欲の才能を育て上げるのはとても難しい(そもそもどう育てればいいかよく分からない)し、これは意識しないと衰退していくことだってある厄介なものだ。だから、意欲が才能だと認識したとして、すぐにそれを育て上げて効果を発揮できるものじゃない。というより、そうなってしまうと「意欲の才能を育て上げるためにやる気を出す」なんていう、訳の分からない矛盾に陥ってしまう。それを考えると、むしろその才能は放っておくしかないのかもしれないし、可能なのかも分からない。
どっちやねんw ってツッコミは勘弁。