ハチメンドウ

面倒なこと、楽しいこと。

将来を一つしか見ていない人、見せていない人へ。

2009年01月19日 | 自己啓発
 受験真っ只中、当事者の人たちはむしろ見ない方がいいかもしれない。これを読んで、気が抜けてしまったり、これをやらない言い訳に使ってしまうのはよくない。どちらかというと、当事者になっていないときに見るべきだと思う。客観的に見れるとき、初めて気休め以上のものになると願って書いてみる。

 受験生は、ほぼ必然的に周りからそれに関する圧力を受ける。別に彼らは圧力を意図的にかけているわけじゃないけれど、当事者にとっては意図の皆無などさして問題ではないだろう。俺も当時、中々の圧力をかけられてきた。その圧力が邪魔だった俺は、他人との干渉をできるだけ避けた。別に当事者にとって、当初の問題を意識するのは当然であり、それを促す周りの対応も至極当然だと思う。でも過度すぎるのは、それはそれで問題だろうし、特に当事者に、そのような機微を理解しろと言われて、理解できる余裕はないと思う。

 受験生にとっては受験が全てだろう。それしか見えておらず、周りもそれ以外見せようとしない。だから常に気休めでもいいから考えておいて欲しいのは、自分達が思っている以上に人の生きる道というのは多種多様であるということだ。

 受験は所詮、物事の一つ、将来をかたどる要素の一つでしかない。大学に受かり、卒業したからといって、いい会社に就職できるわけではないのと同じように、受験に落ちたからといって、それからの人生に暗雲立ち込めるわけではない。理想論などではなく、人というのは結構何でもできる。特に受験するような若い人たちなら、若いだけでも充分武器になることだろう。

 もちろん、ストイックに物事に取り組むために、あえて将来を一つしか見ないのは方法としては悪くない。ただ、意図せず将来が一つしか見えていないんだったら、それが否定されたとき右往左往する羽目になる。だから心がけるべきは、あらゆる可能性に対して心身ともに柔軟に対処できる状態でいることが大切だということ。