鮎毛バリ釣りと金沢サクラマス情報その2

金澤孔雀鮎毛バリ本舗 「けばりや中山」
加賀伝統工芸研究所 ・毛バリ部門

富士宮やきそば参加つるぎいちろくいち2012年10月21日(日)

2012-10-21 10:36:00 | 金澤観光 情報 まいどさん おいでまっし

つるぎいちろくいち2012

富士宮やきそばが食べられる


2012年10月21日(日)参照
http://shoko.or.jp/info/local/1948

交通アクセス
http://www.urara-hakusanbito.com/festival/view/14

http://www.facebook.com/pages/%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E4%B8%80%E5%85%AD%E5%B8%82/282901741756839



鶴来一六市(昭和初期)

参照
鶴来博物館http://www.city.hakusan.ishikawa.jp/kyouiku/tsurugihakubutukan/turugim/turugihakubutukangyouji_2_2_2.jsp
交通アクセス
http://www.city.hakusan.ishikawa.jp/kyouiku/tsurugihakubutukan/turugim/turugihakubutukankoutu.jsp

≪昔から鶴来で行われていた一六市≫
鶴来町は丁度平野と山間の境目に位置し、山の産物と平野や町の産物が集められ、そういった産物が売買されるということで、昔から産業が盛んでした。しかし、毎日売買する程の人口集積ではなかったことから、月に特定の日を決めて「市」を開催するようになってきました。鶴来町における市の歴史は古く、千年以上も前からあり、天和3年(1683年)当時は六斎市として「山口町端」つまり、白山宮よりの地域で開かれていたとのことで、逆に本町通りあたりはまことに閑散なのもであったとのことです。しかし、それからおよそ百年を経た江戸時代中期から明治時代の初期までは「四・八市」といって四と八のつく日に本町通りにずらっと市小屋が建てられ、威勢のよい掛声が飛び交うなど賑わっていました。それが明治16年(1883年)一と六のつく日に変り「一六市」と呼ぶようになりました。この市は著名な存在で、市といえば鶴来、鶴来といえば白山さんと一六市というほどであったとのことです。この市は太平洋戦争による物質欠乏統制経済によって消滅したが、昭和24年その復活を試みましたが、時流の変化から直ぐに廃止されてしまいました。


参照
http://tsurugi.shoko.or.jp/contents/local/150



旧鶴来町出身

地元スーパーチェーン
 マルエー本店
薬局チェーン
 コメヤ本店

歌手
 山本あき(レコード大賞新人賞受賞)
作詞・作曲家
 乙田修三
 (友禅流し:作詞)

きんつばの中田屋
(現在 金沢市東山)
中田屋は昭和9年に石川県鶴来町にて創業。
創業者 初代「中田憲龍」 
   (旧姓 中山憲龍)

コメント
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