越前・若狭と言えば作家「水上勉」さんを思い出す。
暗く、淋しく、その大半が哀しい物語だった様に記憶しています。
飢餓海峡・越前竹人形・雁の寺・五番町夕霧楼など等、随分多くを読みました。
たまたま、娘が本大好き人間で、小さい頃買い与えた和綴じの小さな本(「日本の民話」または、「昔話」といった類)それが、東北から、九州、四国に至るまであります。
その本が何故か今だに我が家の本棚に納まっているのです。懐かしさと、暇も出来たので、最近は時々引っ張りだし、読んでいます。
これが、結構面白く、簡単に読めるとあって、只今填まっています。
越前・若狭の民話
侍と化け狐
昔、府中(武生)に気のよい侍がおりました。
ある日、侍が灯りを消して、寝ようとした時、トントンと雨戸をたたく音がするので、雨戸を開けて見ると、一匹のキツネがピョコンと頭を下げて、「お願いがあります。」と言いました。
「実は村国山に、油揚げをえさにしてわながかけてあります。食べればわなにかかることはよく承知しておりますが、今年は山も不作で、もう何日も何も食べておりません。そこでわなにかかれば正午(ひる)には殺されるでしょうから、正午(ひる)までに助けに来て下さい。必ずご恩は返します。」と言って帰って行きました。
あくる朝、侍の家に来客があり、キツネとの約束の時間より三十分ほど遅れて行くと、今一歩で殺されようとしておりました。
しかし、危ないところで助けてやりました。
そのあと、キツネがやって来て、
「お礼に何かお望みの物を差し上げたいと思います。」と言いました。
侍は、それでは、「日野川原(ひのかわら)で<宇治川の先陣>
「源義経に従って佐々木高綱と梶原景季と言う武士が頼朝から与えられた馬に乗って、宇治川を渡るとき先陣を争った物語)をやって見せてくれ。」と言いつけました。
「では、三日後の正午に始めますから、村国山に登って見ていて下され。」と言って山へ帰っていきました。
そこで侍は殿様はじめ家中の者に話して、見物に出掛けました。
しかし、約束の時間がきても、いっこうに始まらないので、侍は殿様に面目が立たないと、今にも腹を切ろうとしました。とその時、川原の方でチンチンドンドンと(宇治川の先陣)の実演が始まりました。侍はほっと胸をなでおろして面目を立てました。
「おそまつさまでした。」とあいさつに来たキツネに、侍が
「なんであんなに、せっぱ詰まるまでやってくれなかったのだ」と言うと、キツネは
「それは畜生のあさましさと申しましょうか、恩は恩で返し、仇は仇で返すものです。あなた様もギリギリいっぱいの時にしか、来て下さらなかったから、私も時間いっぱいギリギリで、お返ししたのです」 ハイ。
お終い・・