『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

春になった感じ・・・

2011-02-28 15:44:51 | Weblog

 

    

  

  如月、寒さを凌ぐためさらに重ねて着る・・・の語源からそのように言われるようになったよそうです。

 ですが、この2月は穏やかで春の優しい息吹が漂ってこの儘「春」になるのかな?と勘違いしそうです。

 しばらくブログも更新せず、なんとなく慌ただしい日々を過ごしてしまいました。

 残り少ない人生なのに・・・勿体無い・・・

 

一日
こころおだやかに過ごせた日は、
だれかや何かにぬくもりを伝えることができた日・・・・・
だれかの役に立った日かもしれない。
言葉は交わさなくても、顔や姿は見えなくても、
ぬくもりは届けることができる。
こころはおだやかなときに発熱するのかもしれない。

 

価値
いい一生だった・・・・
終わりにそう言える人生にするために、
まだまだやっておかなくてはならないことがあるだろう。
まず一つ・・・・・
何から始めようと、それが心残りを減らすものなら

価値はある。

 

 

 

回り道の唄から・・・   今日で2月も終わり

 

 


平家物語から・・・

2011-02-05 16:18:39 | Weblog

     

        

       大原御幸(寂光院)

 今からおよそ800年ほど前のこと、京都大原の里、寂光院という寺に、一人の美しい尼僧が移り住むようになった。
名を”建礼門院徳子”、平家の大将清盛の娘である。

 16歳のとき高倉天皇の女御となり、22歳で皇子を出産、やがてその皇子が”安徳天皇”となるに及んで、国母として院号を受け”建礼門院”となる。

 一見幸福そうにみえるその人生も、すべてが父、清盛の出世の手段にすぎなかった。
やがて源氏が勢いを盛り返し、平家が衰え始めると、建礼門院にも少しずつ悲運の影が忍び寄ってきた。

 元暦2年、壇ノ浦の戦で平家が負けると、平家方の舟に乗っていた人々は、次々と海に身を投げて死んでしまったという。
 建礼門院も、幼い安徳天皇や母の仁位殿と共に海に身を投じた。

 ところが幸か不幸か、建礼門院だけが源氏の手で救いだされてしまった.
 そうして後には尼となって、華やかな京の都から、ひっそりとした洛北大原の里に移り住むようになった。
 世話をする者も、話し相手もいないこの寂しい里で尼となった建礼門院は、ただひたすらに今は亡き愛児、安徳天皇はじめ、平家一門の冥福を祈りつづけ、その生涯を閉じたという。

 薄幸な女性、建礼門院の住んだこの寂光院は、今も大原の里にひっそりとたたずみ、その寂しい生涯に同情して訪れる人々が跡を絶たないという。

 

   

   


 ”さみしいけど~”

2011-02-04 14:56:18 | Weblog

                        

  

 節分も過ぎました。アカオニ君小さくなっちゃった。

 ネコちゃんたちは本当に元気です。

 お陽さまのキラキラが目にいたい・・・

 一寸した心遣いが足りなくて・・・ゴメンネ。嫌な思いをさせてしまいました。

 

わかれ
みんな去って行き、残される切なさや辛さは、
人が味わう寂しさの中でも際立っている。
一度でもそんな気持ちを味わうと、
いっしょにいられるというのは、
この上なく幸せなことなのだと思い知らされる。

いっしょにいてくれるものを大切にしなさい。

消える
自分がいなくなっても、
何一つかわりなくこれまで通りに進んでいく・・・・
”消える”とは
そういうことだ。

淋しいけどこれが現実・・・回り道の唄から・・・

 

 


よく降りました!

2011-02-02 20:17:31 | Weblog

   

                

 雪に悩まされているうちに早くも「如月」です。

 如月とは、寒さで更に着物を重ねて着ることからだそうです。

 寒さもさながらこの大量の雪!どうしちゃったんでしょう?

 自然界の神様たち・・・何を怒っているんでしょうね

 理不尽な事も多いでしょうけど・・・それで怒っていたら?困る人のほうが多くなって・・・収拾がつかなくなっ

 て・・・結果どうなるんでしょう・・・?

 今日は珍しく良い天気。どうぞ暫らくは良い天気が続きますように・・・

 さて、明日は「アイ」ちゃんにいってこよう・・・