『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

 初夏の庭

2008-06-25 15:32:56 | Weblog

        
  白山石楠花    石楠花    ツボサンゴ

 平家物語に疲れた頭と眼を癒すため、久し振りに庭を、ボンヤリと眺める。

 初夏の緑が眼に眩しい・・・きれいに刈り込んだオンコの生垣にスッポリと囲まれた花々がたおやかに咲き、お互い何かを囁きあっている。
 白山石楠花が咲き出して、もう随分長くなる。種類は少ないけど、結構な本数があるので、次々と咲き夏中は充分楽しめる筈、そして、その花を引き立てるように、アッツザクラ・カンザシソウ・フタリシズカ・所々に、高山アヤメ等など~
 我が家には華やかなお花はないけど、可愛らしい山野草が、犇めきあいながら、それでも楽しげに咲き、眼も心も和ませてくれる。
 「アッ、ごめん、ピンクのフウロ草」がありました。あまり、目立たずひっそりと静かなので、つい忘れてしまいます。

 夫が、高山植物の種を採り、小さな鉢に植えて増やしていく・・夏になれば、小さな庭を這い蹲って、草むしり・・だからこそ、この庭があるんですよね!
     “感謝・感謝”です・・・

  石楠花の花言葉  『威厳・荘厳』 やはり、王者の風格
  ツボサンゴ花言葉  『危険・警戒』 成るほど、納得

 また、フタリシズカの花にも哀しい思いが込められています。名前のように『しずやしず しずのおだまき、繰り返し昔を今になすよしもがな』 
静御前の中で、静御前の霊とその霊に憑かれた菜摘女(なつめ)が舞を舞う姿にこの花を見立てて、二人静の名がついたとされます。

  花言葉   『いつまでも一緒に』 そりゃそうですよね・・・
 義経と、ず~っと一緒にいたかった、静御前が哀れでならない・・・

    
     二人静

 


 

 


 


 “熊谷次郎直実”

2008-06-21 14:09:32 | Weblog

     
    クマガイソウ

 一の谷の合戦で敗れた平家を追い自分の息子と同じ年頃の
(敦盛)の首を討ち取った「熊谷次郎直実」ですが、このような生き方に怒りと虚しさを覚え考えた末『仏門』に入る決心をしました。

建久4年(1193)法然上人を訪ね出家した直実は、
  「法力房蓮生」 と言う名を与えられました。この名は
<泥の沼の中でも濁りなく蓮のように清らかに花を咲かせる心を持って生きる> と言う意味だそうです。

  戦国時代は余りにも哀しい話が多すぎて・・こころが痛みます。

     和名の由来

 クマガイソウ・アツモリソウの名は、膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣(ほろ)に見立て、がっしりした方を
熊谷直実(ほろ)に、優しげな姿の方を平敦盛(ほろ)にあてたものだそうです。
 花色が夫々白赤っぽいため源氏の白旗、平氏の赤旗に見立てたための命名とも言われている。
 白花のアツモリソウを昔はクマガイソウと呼んでいたと言う説もあるそうです・・・。

     花言葉    
   「みかけだおし」 違うような気も致します。

 出家してからの、直実の話は随分とあります。「名僧」だったんですね・・・
 
 
 

 

 


アツモリ草(敦盛)

2008-06-15 16:05:20 | Weblog

     
 アツモリ草    沙羅の木

 源氏物語が書かれて千年と言う、その節目にもう一度挑戦しようか?とも、思いましたが、私は、やはり平家物語の方を先に、選び只今、少しずつ読んでいます。

 平家物語と言えば沙羅双樹の花、そして、「清盛」と順序はそうなりますが、私は先ず「敦盛」です。
 敦盛は、清盛の弟である「経盛」の三男です。


 「敦盛」は、『熊谷次郎直実』によって首を刎ねられその生涯を閉じる。その時所持してたのは、祖父「平忠盛」が鳥羽院から賜った 『小枝(さえだ)』と言う名の笛。彼はまた笛の名手でもあったようです。心根が優しく立ち居振る舞いが優雅で、美少年だったんですね・・・
 この『熊谷次郎直実』との出会いだって「笛」だったんです。とにかく、この人の事を書き出したらどこまで続くか?延々と続くのでやめます。

  「敦盛草」とは
 敦盛の背負った袰(ほろ)に見立ててつけられた。
  花言葉
 君を忘れない・変わりやすい愛情

 敦盛草の咲く頃には平家物語がおもいだされます。

 沙羅の木
 昔ある僧侶が、仏教にゆかりのある「沙羅双樹」の木は日本にもきっとある筈と、山に入って色々探したところ、「夏椿」の木を見て「これが沙羅双樹!」と思い込みそれを広めた為との事、それで「沙羅の木」と別名がついたそうです。
 日本には、無い木だそうです。
  花言葉
 「困難に打ち勝つ・ひたむき」

 
 
 


 

 


都忘れ

2008-06-06 18:41:51 | Weblog

   
 今日は生憎の雨で寒い日でしたが、「都忘れ」の花がひっそりと、静かに咲いています。決して華やかな花ではないけど、とっても可愛いです。
 名前の由来を調べて見ました。
 承久の乱にて佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされ、この由来によって花言葉は「別れ」や「しばしの憩い」などと言われているようです。
 そのような、時代があっての『現代』なのでしょうが、哀しいですね。
 今の時代も『過去』になった時、どう言われるのでしょう?
 あまり、考えない事にします。

 


“平家物語”

2008-06-02 15:42:44 | Weblog

  【祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし
猛き者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ。】

 

 この言葉で始まる平家物語です。初めて読んだのが高校生の頃辞書と首っ引き・・・懐かしい思い出です。
 800年前、京都を舞台に繰り広げられた まさに、栄枯盛衰の物語で、15・6歳の頃は理解ができず、母に「話をして・・」と随分せがんだものでした。
 たまたま、母は平家物語が好きで琵琶法師の話をよく聞かせてくれました。
何故耳が無くなったのか? 天皇を抱いて海へ沈んだこと・・等など・・・
 そして、最後は、一の谷や壇ノ浦で討たれて散った平家の公達のはなしでした。
 「決して人間驕ってはいけない」が口癖で、今は思い出の一つです。


 あの、物語の低辺には、法然上人の唱えられた浄土信仰が流れていて亡き人達への“鎮魂歌”だとも言われています。

 改めて、「平家物語」に挑戦中です。