城山の影を映す助任川は「渭水」という別名がある。中国長安の渭山の影を映す渭水になぞらえたというが、実際はその姿から猪山と呼ばれた城山が渭山と当て字され、それから渭水が名づけられたというのが正しいようだ。
徳島城北側の天然の濠であった助任川は川幅が現在の2倍とも3倍とも伝えられる大きな川だった。
城山の北側はすぐ助任川に落ち込み、西之丸の北側で川幅が広くなっていた。
西之丸の助任川に面した所に水之手門があり、物資の搬入をしていた。絵図と現在地図を重ねてみると内町小学校北側の緑地あたりになるが、痕跡はみつからない。城山の下の古い石組の石垣が現在も部分的に残っている。