眉山のふもと

徳島のくらし

消えた寺島川⑤

2022-10-12 10:30:00 | 徳島の暮らし

        ↑ 現代の地図の上に江戸中期の河川を重ねた

  

     ↑明治42年                  戦後↑

 明治32年(1899)開業の徳島鉄道株式会社による線路用敷地として寺島川の埋め立てが始まった。牟岐線沿いはしばらく半分だけ残っていたが、1959年ごろに埋め立てられた。明治から昭和にかけての約60年間で寺島川は少しずつ埋め立てられ、その姿を消した。

 徳島駅の場所を100メートルほど南にずらす、又は助任川北岸にするなど、川の埋め立てを避ける方法はなかったのだろうか・・・誰が、どんな理由で、寺島川埋め立てを発案したのだろう・・・疑問が湧き上がる・・・

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2 コメント

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Unknown (machan)
2022-10-14 14:04:19
天神祭りの船渡御は
寺島川の吐き出し口まで下ったら
最後の打ち上げ花火が一斉にドドーーンと上がり
新町橋まで引き返してきて
船渡御は終わったのが懐かしいです
懐かしい記事や地図
ありがとうございました
machanさま (sain)
2022-10-16 12:13:31
読んでいただきありがとうございます。
天神祭りの船渡御、そうだったんですか。
徳島のこと、まだまだ知らないことがいっぱいです。
ちょっとずつでも調べて40年間の空白を埋めたいです。

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