眉山のふもと

徳島のくらし

馬に乗った銀行員

2020-12-07 11:01:02 | 翻訳
               馬に乗った銀行員(原題 騎馬銀行)
                                 ウ・ダンバ 著

 日増しに近代化される生活の中でも牧民は馬から離れられない。1960年代アブハナル旗人民銀行職員の仕事は馬がなくてはできるものではなかった。

 アブハナル旗人民銀行の栗毛馬に乗ったトノイ、黒馬に乗ったボーハイチンという二人の職員は、ホショーの人民銀行シリンホト炭鉱、バインシル牧畜場にある支店や、ヤラルト、ダブシルト、バインボラグ、チョホール、アラシャンボラグなどの公社の信用組合に金銭の出し入れする仕事を担当していた。背中には何千何万の人民元を詰め込んだ荷物を背負い、拳銃を肩にかけ、はるかに続く草原の道を駿馬に乗って行き、滞りなく効率的に仕事を遂行していた。遠くへ行く時には二つの耳さえ重いという。当時の紙幣の一番大きな単位は10元であるから、何万元もを背負うと遠い道のりではどうしようもなく重い荷物になった。

 1963年、アブハナル旗農業銀行が設立され、その後1965年に人民銀行と合併した。僻地に出かけていく職員数を増やしたので馬も増やす必要から新たに21頭の馬を買い、元からいた2頭と合わせて23頭になった。その時新しく買った馬の中に5歳の雌鹿のように美しく背の高い白馬がいた。馬を売ったのはアブハナル旗ダブシルト公社のシャルタル隊のジョグドルであった。ジョグドル老人は銀行に500元の借金があり、何年経っても返済できなかった。白馬を銀行に売ることになったとき、ジョグドル老人は愛しい白馬から離れがたく、馬の首を抱えて熱い涙を流した。

 1964年春、政府の執行機関から、当時流通していた5元・3元・2元の旧人民紙幣を新札に替える通達が出された。この通達を実行するためアブハナル旗の2つの銀行は直ちに専門チームを編成した。そしてこの2銀行の職員であるジャムスロン・チョグデルゲル・リュウジヤンなどの14人の職員からなる7つのチームの者は、2万元の人民弊を布袋に包んで背に負い、護身用の銃を肩にかけ、3種類の旧札を交換する任務についた。

 4月1日の朝、駿馬に跨り、それぞれの目的とした銀行支店、信用組合を目指す長い旅路についた。私も農業銀行の上司であるシーボーシャンと二人、同じような毛色の黒馬に乗って遠路90㎞を二日がかりで行き、アラシャンボラグ公社の中心部アヨールハイに着いた。人民弊交換の仕事はアラシャンボラグ公社の役所の駐在、信用組合の暖かい支援により順調に進み、二十数日が過ぎ、持って来た紙幣が尽きそうになると旗の人民銀行に知らせて紙幣を送ってくるように頼んだ。

 4月25日我が銀行長ヤンジャンイオイが白馬に乗り小銃を持ち、同行の二人の職員は同じ毛色の栗毛馬にのり、それぞれ2万元の新札を背負い二日がかりで届けてくれた。そしてシーボーシャンと私の二人はアラシャンボラグ公社で1月ほど働いた。周辺の牧民、幹部、職員、労働者の手にある5万ぐらいの旧紙幣を新紙幣に交換するこの度の任務を職員達と共に決められた期間内で完遂させ、銃を下げ残った紙幣を背負い、黒馬に乗り5月13日に帰宅した。
 
 1979年11月に中国農業銀行が再建され、アブハナル旗農業銀行も再生した。そして、銀行の新職員が非常に増えたので、交通手段としての馬も買い足し、計42頭になった。他に馬車を曳く馬も4頭いた。これ以外にアブハナル旗各所の信用組合、支店ごとに交通用の馬が2頭ずついて、60年から80年にかけてアブハナル旗の農業銀行関係の職員の交通用の馬の数は計56頭であった。冬には飼料となる草を育てているので馬たちは肥えており、そのため我が銀行は「肥えた馬の背に乗った銀行」と呼ばれていたものだ。
 
 当時、各銀行の草原の田舎に出かける18人の職員にはそれぞれ全員に交通手段として2頭の馬があてがわれていた。職員は各公社・牧畜場・炭鉱にある銀行の支店・信用組合に金銭を届ける、受け取る、融資、集金、信用組合の調整、公社の会計を指導援助する、帳簿を校正する、安全を調査する等の銀行の多くの関連するいろいろな仕事のために馬にのった。その度に馬は順調に目的地に向かい、仕事をやり遂げることができた。

 1985年には、アブハナル旗農業銀行の草原に出張する職員の乗り物はオートバイに変わった。「馬の銀行」は「車の銀行」になったのである。
 1960年から始まったアブハナル旗人民銀行・農業銀行の金銭流通システムは、それから20年の間に馬の背の上ですばらしい成果を挙げたのである。

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