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某国破壊工作団体幹部氏 へ

某破壊工作団体と某被害者とのごく内輪の遣り取りの場所です。

19/10/27 若者達へ 其の二

2019年10月27日 | 日記


本日は朝方に「二時間」睡眠であった。

そして、、今は「一時間半」睡眠であった。


しかも、、それは『二十分刻み』で寝ては起しを繰り返させるものであった。

寝たかと思うと頭部を熱して叩き起こすのである。


この小刻み睡眠がどれだけ苦しいものか、これまで散々記事にしてきたところだ。


御前達みたいのは本当に酷い目に、「できるならば」、遭えばいいと私は思う。


            

               ◇

本日は特に酷いが、いつもは以下のパターンの繰り返しだ。


朝方二時間ほど眠らせる。
午前六時から午前八時、と言ったところ。

叩き起こし、「撤収だ!」、とそこから散々苦しめつつ延々と撤収準備が進む。


しかし、中々準備が進まずそこへ午後五時半などに連絡便がやって来る。
もちろん、これを守る為にとても苦しい思いを一時間以上も味わうこととなる。


この連絡便が帰り、彼の持って来た弁当をぼそぼそと御前らは食う。
そして、、「重大な事実を連絡便から聞いたから」、、と撤収準備が午後七時頃から開始。


ところが、、頭のいい御前達の作戦で 『わざわざ寝不足にさせた』 菅原が午後八時半過ぎ頃に眠る、もしくは眠らされる。


そして、、「二時間もしくは二時間半」睡眠だけで、またもや起される。

     『この時刻は毎日毎日決まって午後十一時頃だ。』


ここから撤収準備を頑張るのだが、遅い時間帯からの開始ゆえに中々ものが進まない。

そして、午前二時半頃から決まって苦しい電磁波と共に気合の入った撤収開始。

しかし、残念、午前四時頃には色々な理由で、、菅原がクソをしているなどの理由で撤収は失敗。


この午前二時半から午前四時が、人通りが少なく 唯一の 撤収実行が可能な時間帯だ、、とアンタらは言い訳をしたいのだろう。


この午前四時からは、今度は任務が連絡便が出て行くのを守るのだ、に切り替わり、、一日でももっとも苦しい電磁波が始まる。

撤収しろ、、の話がなぜか連絡便を守る自分達に話が切り替わるのだ!


そして無事に午前五時半などに連絡便が出ると、すぐにやっぱり撤収準備頑張ります、、だから弁当も夕方には御願いします・家族も無事で御願いします、、と撤収作業が開始するのだ。

そして間もなく、寝不足で疲れた私は眠り、、これが「冒頭の」午前六時から午前八時の睡眠とはなるのである。



                ◇


上記の様に頭の物凄くいい御前達の考えた絶妙な作戦を毎日毎日繰り返して、「撤収ができない言い訳が成立する様になっている」のだ。

こんな小学校一年生でも顔を真っ赤にして怒り出すことを繰り返すアンタらは、「できるならば」本当に酷い目に遭えばいい。





19/10/27 若者達へ 其の一

2019年10月27日 | 日記


『二時間』睡眠で起された。
目が覚めるとすぐに体を強く熱せられるものであった。

目が開いた時、相当に疲れていたから、、短時間睡眠であることは容易に解った。


母は惨殺された。
私の目の前で徐々に殺された。


その後、一番悲しく辛いこの二ヶ月と十日以上、ずっと酷く苦しめられ続けた。
私もまた一日一日と「殺さ」れて行っている。


「三時間」眠ると体がずいぶんと楽なのだが、こうして殆どいつも「二時間」睡眠で御前らは私を起床させる。

母と私を、、苦しめて苦しめて苦しめ抜くのだ。


御前らも、、御前らの家族も、、できるならば苦しめ。

長年互いに穏便にやろうと必死に私は訴えて来た。
母の死後も撤収で構わない、と言って来たのだ。


疲れ果てつつ目薬をさそうと床に横になれば、、背中曲げと熱線だ。
起床すれば苦しい電磁波が寝不足の身を襲う。


繰り返し言う。

できるならば、、 御前らも御前らの家族も苦しめ。