私は産経新聞を購読していないが、そのネット版を毎日チェックしており、かなり共感する部分がある。たまたま新聞広告で「検証 産経新聞報道」の存在を知り、産経新聞の欠点を知るのも一興だと思って読んでみた。ちなみに、私が購読している新聞は読売と日経(ネット版)である。
タイトルから判断して、本書は産経新聞の過去の報道の誤りやつじつまの合わない部分を探し出して批判することにより、産経新聞は信頼するに足りぬ新聞だと認識させることを主眼としている、と私は推測した。その推測は当たっていたが、同書の指摘に「なるほど、そういう観方もあるか」と感じる部分もかなりある。
一方、どうしても本書の主張に納得しかねる箇所も多々あるのも事実だ。今回は、その納得しかねる箇所の一つである《慰安婦募集の「強制性」》を取り上げる。
本書は「強制性」に関し、次のように説明している。
元慰安婦の募集(徴用)の実態は
(1) 力づくで無理矢理連れていかれた。
(2) 言葉巧みにだまされた
(3) ある程度の自由意志はあったが、仕方なく応じた
に分類できる。日本側は(1)のみを強制連行にしたいのに対し、韓国側は(2)と(3)も強制性があると訴えた。そして、韓国側の主張を認めたのが、1993年における河野洋平談話である。
(1) のケースはインドネシアやフィリピンでは何件かあったようだが、朝鮮や日本では皆無だった。高給で誘えば、いくらでも応募者がいたからである。
問題は(2)と(3)である。「騙された」とか「親に売られて、仕方なく…」まで「強制性」のカテゴリーに入れるには、言葉の意味からしてかなり無理がある。そして、河野氏は「強制性」に関する日本軍の関与を認めたが、河野氏が韓国の代表にうまくしてやられたのではないか。それが、いつのまにか「日本軍が強制連行した」にすり替えられた。
という経過についてはさんざん論議されてきたことで、今さら蒸し返しても意味がない。
問題点は、「週刊金曜日」編集部が「強制性」の定義に関し、(2)と(3) を含めた広義の解釈を採用していること。その観点に立てば、「慰安婦は強制連行された」という韓国の主張は正しいことになり、日本政府が反論する余地はない。そして、いったん認めた河野談話をひっくり返すのは、政府としてやるべきではない。
ともあれ、本書は河野談話、すなわち韓国の主張、を正しいとして論を進めているから、読み終わると不快感で満腹になる。「強制性」とは(1)だけを指すものである、という考えの人にはお勧めしない本である。