三太郎一家・福猫はどの子!PART7(完結編)

三太郎一家を応援してくださった方々に送るブログ
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元野良猫が人慣れするには 1

2021-01-29 12:04:22 | 保護ねこを看取るとき
野良猫は人に慣れることはあるのかないのか。
私の結論では、時間と手間暇をかけて飼育すれば必ず慣れる。
人慣れ度には個体差があります。猫の育ち方が大きく影響していると感じています。
産まれ落ちてから、猫に育てられたか人間に育てられたか。育てた猫が生粋の野良なのか、
人慣れしていたかでも、人慣れ度数は大きく変わっていきます。
仔猫は親を見て学習していきます。あー人も同じですね。
人間が自分にとって得か損か。どう付き合えば、安心安全な生活ができるか。
猫は賢いので持てるアンテナの全てを使い、人を観察して生きています。
そこを利用しながら私は、人慣れしていない猫と暮らしております。
私の経験だけで書いております。決して専門家ではありません。
野良猫がどこで、どう産まれて、どう育ってきたかは普通は分かりません。
想像も入りますが例を上げて書いてみます。どうすれば人慣れ度の低い猫が人を信用するようになるかを。

ミーちゃんは、どんな育ちだったか大体分かるの一番に書いてみます。
ミーちゃんが外猫であった時のブログ記事です→https://ameblo.jp/soumenumai3/entry-11252105957.html
外猫の時のみーちゃん


私が地域猫活動に没頭していた、2010年には野良猫でした。外で生きていたのが約3年。
子猫の時から3才くらいまでは、家の中で暮らしていたとのこと。かなりのビビリで天袋の中で暮らしていた。
飼い主さんは繁盛していた生花店店主。自宅兼店のビルの周りで猫を増やしていました。理由はネズミの繁殖防止。
ネズミは花のツボミを食べてしまうとのこと。猫が居ることを良しとして猫を追い出さない。
ご飯を上げていましたが不妊手術はしない。自然に増えますね。
それを見かねた先輩の猫ボラさんが手術を始めたのです。
ミーちゃんが3〜4才の時、駅前の開発計画にともない家(ビル)の建て替え工事が始まった。
店は駅前の仮店舗(プレハブ)に移動。外猫も家猫も外で飼育することにして
ミーちゃんを外に出したのです。決して捨てたのではありません。
ミーちゃんはビビリなので、騒々しい駅前から少しずつ移動してしまい住宅街へ。
行方不明猫となっていきました。お花屋さんが探しても見つからなかったのです。
2010年、私が野良になったミーちゃんを発見。地域猫として餌をやり最後、保護した。
保護のキッカケは、猫の嫌いな人と私が大喧嘩をしたから。
何時ものパターンです。「猫に餌やるのなら連れて帰れ!!!」
まぁ、駐車場で餌やりをしていた私が悪い。喧嘩は面倒だから連れて帰るの繰り返し。
活動中でここのトラブルが一番に凄かったです。詳細は、また何時か書いてみます。
猫ボラは大きな喧嘩をしてはいけない。活動の良さを主張してタカビーになってはいけないのです。
喧嘩の最後に殺られるのは猫。猫を守るために保護の繰り返し。
あー話がそれました。

保護したミーちゃん、全く人慣れしませんでした。2012年の保護だから
飼育して8年。今は、触ることには抵抗しますが逃げません。
それは何故か。私と一緒に居ると美味しい物が貰えるからです。
ミーちゃん美食家。美味しい匂いがすると自分から私の近くにきて鳴きます。
「ちょうだい!ちょうだい!」と私のそばに来る。そこがチャンス!
他の猫に取られない体制を素早く作り、好物をあげる。
ミーちゃんの好物はチュール、シーバ、またたび、懐石。
それを繰り返した結果、この冬から私の寝るベッドの下で暮らすようになったのです。
その餌付けができたのは、ここ1年です。長く慣れないままにしていました。
理由は好物を買う余裕、餌付けする時間が無かったからです。私にその余裕があれば、
短時間で人馴れしていたと思います。ミーちゃんが丈夫で長生き(推定16才)してくれたので、今できました。
ミーちゃん、保護時には新築となった家に帰れるチャンスはあったのですが、人馴れ度が低く飼い主さんは
飼う自信なくあきらめました。私もそれが良いと飼育を引き受けました。それで良かったです。
ミーちゃんの親族2匹も保護しましたが、10才くらいで死にました。
ミーちゃんには長生きしてほしいです。













《ご支援のお願い》
現在88匹の猫の飼育をしております。猫のご飯は月に約90キロです。
トイレ砂とシート代は節約をしても1ケ月3万円が必要です。
口内の炎症のある猫が増えており、その子達には食べやすいウエットを食べさせております。
ご無理のない程度に定期的に、ご寄付をいただけると助かります。
食料も医療費も不足しております。温かなご支援を頂きたく宜しくお願いいたします。

ご支援のお願いhttps://www.happynekochan-towa.com/%E3%81%94%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84/









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外猫さんの最後をどう看取るか 2

2021-01-05 14:49:23 | 保護ねこを看取るとき
外で暮らす猫の世話をされている人は多い。家に入れたくても
入らない外猫の最後をどう看取るのか。外猫の最後でよく聞くのは
「毎日ご飯を食べに来ていた子が突然来なくなりました」。
辛いことです。生きているのか死んだのかも分からない。私も経験が有ります。
前に住んでいたマンションの敷地に一時期は10匹くらいの外猫が居て、毎日玄関先でご飯をあげていました。
若い猫で突然、来なくなった猫は数匹。猫ハウスの中で死んでいた猫が1匹。病気で弱ったため、
家の中に入れて看取りをしたのが3匹。
人慣れしていない猫を家の中に入れる作業は大変なことですが、順番を踏めば家の中でも暮らすことができるようになる。
特に年寄り猫は人慣れしやすい。猫のことを全く知らない方に、外猫の飼い方を教えてあげておりました。
2018年12月7日のブログ 『外猫さんの最後をどう看取るか 1』
https://blog.goo.ne.jp/safumineko5656299/e/15ee0e12079e26a232fb16a531c76c5e

その後、どうなっかた。引っ越し後も、飼い主さんから継続して相談を受けておりました。


3匹の猫達は、だんだん家の中で過ごす時間が長くなっていったのですが、やはり外が好きで時々は散歩していたとのこと。
母猫が穏やかな性格で人が好きで、その母猫に習って、人慣れしていなかった息子1と息子2も廊下に敷いてある
ホットカーペットの上でブラッシングをねだるまでになっていました。
触れない子が触れるようになったのです。
弱っていた息子1はドンドン弱り、このブログを書いた12月の大晦日に死亡。
玄関先に倒れていましたが、きちんと看取ることができたのです。少量ですが最期まで食べていました。
野良猫が死ぬ時は隠れて死ぬと、よく聞きますが人を信頼している猫はそうではないのです。
私も経験がある。普段はシャーフー威嚇する猫でも、病気で苦しい時に救いを求めてきたこともある。

2020年の3月に母猫が突然消えました。ほとんど家の中で暮らしていた猫がいない。
飼い主さんは必死で近所を探したところ、向かいの家の床下にうずくまっていたそうです。
骨折です。動けなくなっていたのです。散歩中に何かの事故にあったのでしょうか。
複雑骨折で高齢のため手術をしても完治はしない。断脚との診断がでました。
母猫は推定で13〜15才。慢性鼻炎、頬の化膿で何度か病院に行き血液検査もしている。
腎臓の数値が悪くなっていたし、貧血も少し進んでいたことを考えてアドバイスをしました。
そんな状態で脚の切断ができるとは思わない。私の猫だったらしない。
飼い主さんは他の獣医でセカンドオピニオン。ボルトを入れる手術を選択して
ご家族で手厚い看病を半年されたのです。最後、苦しむことなく9月末に亡くなりました。
この写真は9月2日にお見舞いにいった時の写真です。私に挨拶をしてくれて元気でした。
人馴れしている猫は、人が来ると頑張って食べるのです。可愛い子でした。
骨折しなければ、もう少し長く生きたかもしれない。


暑い夏でした。その時外で寝ていたのが、息子2です。プランターをベッドにしています。
この時点では、人馴れ度は低かった。3匹の中で一番警戒心が強く、家の中に入っも
すぐに出て庭の猫ハウスで暮らしていました。


母猫が死んだ知らせるを受けた時、飼い主さんにメールしました。
「仲良し親子は一人になると母猫を探します。母猫のベッドやトイレをそのままにして置いて下さい。
あと追うように逝きますので覚悟はされておいて下さい。」

予告どうり母猫の死の3ケ月後の12月に、息子2は亡くなりました。
母猫を鳴いて探すことはせずに、飼い主さんに驚くほど急速に慣れていき、
よく食べ、よく寝て、よく抱っこしてもらい元気そうでしたが、
3日間で急に弱り、死ぬ前の日には少し散歩に出かけ戻り、翌日には横たわり、
飼い主さん家族全員に見守られて、息を引き取ったそうです。
全く苦しみはなかったとのこと。
素晴らしい!本当に素晴らしい看取りができました。書きながら涙出ます。
亡くなられた飼い主さんの、お母様から引き受けた外猫3匹のお世話。
3匹ともエイズキャリアなのに長生きできました。ハッピーネコちゃんです。





《ご支援のお願い》
現在89匹の猫の飼育をしております。猫のご飯は月に約90キロです。
トイレ砂とシート代は節約をしても1ケ月3万円が必要です。
口内の炎症のある猫が増えており、その子達には食べやすいウエットを食べさせております。
ご無理のない程度に定期的に、ご寄付をいただけると助かります。
食料も医療費も不足しております。温かなご支援を頂きたく宜しくお願いいたします。

ご支援のお願いhttps://www.happynekochan-towa.com/%E3%81%94%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84/












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2020年は野菜作りにハマりました

2021-01-02 15:01:33 | 新しい生活へ
新年明けましておめでとうございます。今年はコロナが消えて元の生活に戻れますように。

祈りながら自粛生活を行っております。昨年末にはブログ更新が連続でできました。良かった〜〜〜
書きたいことは多くあるのですが、文章が書ける時間と、そうでない時間があって書ける時間を作ることが
難しいのです。書ける時間の条件。ある程度の掃除ができた状態。猫が食事に満足して眠りに入る静かな時間帯。
そして自分の神経が落ち着いている時。今日はお正月なので重いテーマは避けて、写真の整理しながら書いて行きます。引っ越しをして始めたのが野菜作り。
野菜作りは生まれて初めての経験なので、何を植えていいのかどうかもわからずに、
とりあえず食べたい野菜を植えた1年でした。
使う畑は陽当たり風通しが抜群に良く、素人の私が何を植えても素晴らしく成長するのです。
 
春一番の収穫(ほうれん草、サラダゴボウ、新玉ねぎ、苺、虫で苦労した空豆。出来立てのズッキーニ)


夏野菜の始まり。初夏


初めて栽培したジャガイモの出来が良くて嬉しくて嬉しくて!


紫のじゃが芋が素敵!今年も植える。


自宅の窓にはグリーンカーテン用のゴーヤが次々と生る。あまりの簡単な栽培に感動。ゴーヤはサラダが美味し。


8月。待望の枝豆が生る。自作の枝豆で飲む麦酒は最高!枝豆の栽培、結構手がかかります。


9月。栽培の難易度が高いと言われるパプリカに成功。私は天才?いえいえ畑の質が良いのです。
バジルも大量にできて、ジュノベーゼを作りました。美味しいのよ!これが。


夏と秋の変わり目。スイカ有りの柿も有り。みかんも。


こんな美しい野菜が作れるとは。感動する。ジューシーなフルーツパプリカ。


冬は大根。去年、普通の青首大混を作って売って、つまらないと感じた。
今年は珍しい物を植えたい。で、できたのがこれ。


インスタ映えするらしい紅心大根も作ってみた。確かに美しい。でも甘酢漬け以外に用途があるのか。


冬は鍋料理!


豪華、3種類のみぞれ鍋(大根おろし、普通、中辛、激辛)。でも大根おろしの辛みは煮ると無くなりました(ショック!)


こんな感じで、自作の野菜以外は食べない1年でした。
以上、沢山の写真をみていただき有難うございました。自分にとって野菜作りは天職。
昨年の春、雨天が長く続き夏野菜の値段が高騰しました。
コロナでスーパーでは品薄となりました。その時に思いました。農業は素晴らしい仕事。
生きるための食糧を作ることのできる農業は凄い!微力ではございますが、
万が一に備え安値になろうが植え続けます。
非常時が起きること想定して、保存ができる野菜を優先で作ってみます。
そして野菜作りの能力が、お金を産む仕事へ繋がる努力をして行きます。今年も楽しみ!


《ご支援のお願い》
現在89匹の猫の飼育をしております。猫のご飯は月に約90キロです。
トイレ砂とシート代は節約をしても1ケ月3万円が必要です。
口内の炎症のある猫が増えており、その子達には食べやすいウエットを食べさせております。
ご無理のない程度に定期的に、ご寄付をいただけると助かります。
食料も医療費も不足しております。温かなご支援を頂きたく宜しくお願いいたします。

ご支援のお願いhttps://www.happynekochan-towa.com/%E3%81%94%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84/





































 

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