三太郎一家・福猫はどの子!PART7(完結編)

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余命が更新されました

2024-02-25 15:45:23 | 私の病気(胃癌)について

私の病気に関して、より多くの人に知って欲しいと思い、カテゴリーを作りました。癌患者はとても多い。私の経験が情報として、どなたかの参考になれば幸いです。

 

胃の中にあった大きな腫瘍が萎縮したことで、自分の余命が、

どう変わったのかを2月20日、7回目の抗がん剤投与の日に、

質問してきました。その日は白血球の数値が、とても低く治療は中止。

先生とお話しできる時間が、少し長く取れたので質問しました。

「先生、前の病院では余命半年、抗がん剤やって1年の延命と言われましたが、

今はどうでしょうか?」。ほんの3秒考えて先生は、

2年と少し。でも福田さんのように薬がよく効く人は、

4年も5年も生きている人がいます。あまり深く考えないで」

私が落ち込んで見えたのか、先生は肩を数回ポンポンと叩いてくれました。

優しい先生です。余命宣告、癌告知を何百、何千回も経験されているのでしょう。

「あー先生!大丈夫です。やらないといけない事が沢山あるので、

早目にやっときます!」と私。

「あー前向きなんだね!」と先生。それで終わりです。予想どうりの2年。

希望は5年ですが、ネットで検索すると、胃癌ステージ4の

5年後生存率は0〜7%。5年生き延びたら奇跡でしょう。

リンパや他の臓器に転移した末期の癌は、進行が早い。

(私はリンパと肺に転移している)

早いと言うことは、再発も、他の臓器に転移が起きる時期も早いという事。

抗がん剤の副作用では、他の重篤な病気になることも有る。

5年生き延びるかどうかは、神様が決めることで、

最低ラインの余命2年で、計画を立てます。

でも2年の間、ずっと元気であることはまずない。

動ける時間は1年かもしれない。半年かもしれない。

自分一人で保護猫達の全てを看取ることは、もう不可能。

私が死んでも、猫達が今と同じく生活できるようシステムを作らねば。

抗がん剤治療を始めたのは、昨年の11月。

今回、白血球の数値が初めて大きく下がりました。

白血球=免疫力。

ネットからコピペ

抗がん剤によって骨髄の機能が低下すると白血球(特に好中球)の数が減少します。 一般的に抗がん剤治療開始後7から10日目頃から白血球の数が減り始め、10日目から14日目頃に最低になり、3週間くらいで回復してきます。 好中球は体内に侵入した病原菌から体をまもる働きがあるため、好中球が減少すると免疫力が低下します。

前回投与の時は、投与可能なギリギリの数値だったのです。

「私の副作用は、眠いだけで大丈夫」と思い込んでおり、

先生から「熱が出るかもしれないよ」と言われたのに、投与してもらったのです。

投与後の体調は大変でした。高熱ではなくて微熱が何度も何度も出たのです。それも毎日ではなく、37度1分が出たり引っ込んだり。

最初はそのことに気が付かずに、あまりの怠さに寝込んでいました。

怠いと横になる時間が長くなる。1日に12時間は寝ます。

寝過ぎは、筋力が落ちる。

体力が落ちないように頑張って動くと、疲れが残る。

疲れると、免疫力はさらに落ちていくらしい。無理ができない。

抗がん剤中止の日に、白血球が増える注射を打ってもらったのですが、

翌朝は異常に元気になって、動き回りました。でも、その次の日はダウン。

暴走する体調に、振り回される3週間でした。

次の抗がん剤投与の日まで、体調を整えます。

どう生きるか。どう死ぬか。抗がん剤を継続するのか止めるのか。

色々と思いがあるのですが、

とりあえずは、一日でも長生きできるよう頑張ります!

 

現在91名のサポーター、マンスリー218、000円(支払い手数料含む)です。

シェルター運営費用の目標金額は30万円(家賃を含む)です。

一人でも多くの方からのご支援を賜りたくお願いをいたします。

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高齢猫の治療と看取りが続く 4

2024-02-12 16:56:20 | 高齢猫の治療と看取りが続く

2月12日。連中最終日。朝5時3分。幸男君が静かに逝きました。

昨日の夕方にトイレの中で転けて、おしっこまみれになったので、

「もういいよ。横になって漏らしていいよ」と抱き抱え、

ケージに入れました。それまでは自由にさせていました。

獣医に連れて行ったのが1月25日。ガリガリに痩せて脱水がひどい。

末期ではないが、それに近い腎不全。貧血が進んでいるので余命は少ない。

毎日朝晩100ccの補液で、延命はできるとの診断。

まだ食べる元気があるから、延命してみるかな。

幸男は嫌がらないので朝晩、きっちり補液をしました。

1週間後に効果が出た。自分からケージを出ましたね。

2月3日の写真↓生気が出た。

私の顔を見るたびに、ご飯をねだる。

好物はジュレ。健康缶。1日に4回5回も要求する。

一番好きな物は、だしカップだけど、食べ過ぎて下痢になるから中止。

痩せた猫の補液は難しいです。

今の私は、抗がん剤副作用で、指先に力が入りにくい状態ですが、

連続で行っていたら、なんとか上手くできました。

看取り経験が豊富なので、説明のつかない勘みたいなものがあります。

今朝は、5時キッチリに目が覚めました。

熟睡していたのに、パッと目が覚めてしまったのです。

「あー幸男が呼んだ」と、すぐケージを開けて触る。温かい。

(ケージと私の寝るベッドとの距離は1、5m)

目を開けたまま、口を少し開けたまま、横たわっていました。

口呼吸をして、すぐに動かなくなった。たった3分間の看取りです。

午後には、ペット霊園ニルバーナさんへ運ぶ。

人馴れ度抜群で、後輩を可愛がる良い子でした。

お祭り男に相応しい、祝日で良い天気。寿命をまっとうしたね。

幸男を題材にした動画も沢山作りました。写真も多いです。

いつものように呟く。「お疲れ様でした。ありがとう、ユッキー」

この動画が14年前だから、この春で15歳だったね。

現在91名のサポーター、マンスリー218、000円(支払い手数料含む)です。

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癌が消えたと言われた日

2024-02-03 15:34:16 | 私の病気(胃癌)について

今年になって初めての抗がん剤投与の日(1/11)には、CT検査(造影剤を入れての断層写真)を受けました。私の外来での、抗がん剤投与の日のスケジュールですが、主治医の診察の予約時間は9時半か10時。その前に採血とCT(9時予約)を行いました。採血は毎回(8時から)です。CTは約2ヶ月ぶり。病院の受付時間は7時20分から。私は7時前には、病院に着くように行きますが、いつも数人は並んでいます。受付時間直前には、数十人は並びます。受付が終わると、すぐに採血の受付へ行く。7時半受付でも10番目から20番目。8時過ぎの受付だと、80〜100人目となります。早朝にどれだけ多くの人が来院しているか想像できますでしょうか。検査を受け主治医の診察を受けてから、抗がん剤投与となります。早くて、11時くらいに開始で、投与時間は3時間半。朝、私が自宅を出るのは5時半。抗がん剤投与が終わって帰宅する時間には暗くなっています。正直な話、電車で通院するには、かなりの体力が必要です。私は付き添い無しで通えますが、そうで無い人は大変だと思います。本人も大変ですが、付き添いの人も大変です。診察の予約時間は、予約どうりに進むことは、まずありません。診察時間は必ず遅くなります。初診の時など、予約時間から2時間半遅れ。体力ないと大きな病院通いはきついです。

前置きが長くなりました。1月11日に診察室に呼ばれ、撮影したばかりの胃の画像を見ました。「詳細は次回だけど、癌は消えてますね。薬が良く効きましたね。」と先生はニコニコ。想像さえしなかった状況に衝撃を受けて、私は、頭の中が真っ白。「え?え?え?」。パニックです。画像は縦横15センチくらいの小さな物。入院直前の撮影と、今日撮影の画像が並べて対比されていたのですが、どこが癌で、どう消えたかが理解できない。しっかり見ると入院前の画像にある黒く大きな影が、横の画像には無い。胃の中の色は、真っ白だったのです。「先生、私の余命は伸びたのでしょうか?」それを言うだけで、他の質問が浮かばなかった。先生は言いました。「詳細は次回ね」。転移していた癌の事、聞けば良かったと後悔しました。

癌が消えた喜びを、すぐにでもブログに書きたかったのですが、転移しているリンパ節(4ケ所)と肺癌は、どうなったか分からないまま書くと、ぬか喜びとなるので、今日まで黙っておりました。もしかして他の臓器に転移している可能性もあるし。

そして一昨日が、抗がん剤投与の日。大きな画像で対比できました。完全に消えたのではなく、かなり萎縮しているのです。今回の画像は胃の実物大だったので、理解できました。子供の拳くらいの真っ黒の影が、梅干しの大きさになっていました。そして梅干しの色は薄い。この表現を考えるのに丸一日。先生に、大きさを質問したのですが困っていました。癌の大きさはセンチでは出せないみたいです。転移した部分の癌も、小さくなっているとのことで良かったです。

これで第一関門突破となるのでしょうか。そうでは無いのです。これからもずっと抗がん剤治療は続きます。癌に完治は、ほぼ無い。ネット上からの情報ですが、半年後から5年以内に7割の人が再発する。そして抗がん剤は、だんだんと効かなくなっていく。効かなくなったら薬を変える。その繰り返しで、生存期間が延長となるようです。胃癌の場合は変更できる薬は、今のところ数種類と聞いています。再発しても試す薬はある。後5年くらい延命できるといいな。先生に延命期間のことを質問するの、また忘れました。次回に聞いてみます。

とりあえず胃の中の腫瘍は小さくなりました。今後も月に2回通院します。再発しても、早期発見となるはずです。試す薬はまだある。先生のお力を信じて、治療していくつもりですが、抗がん剤の副作用には、肉体的に辛い症状と、精神的なものがあるのです。私は精神的なものが強い。ケモブレイン。最近、知った単語です。

ケモブレインの謎を解く

私に起こる抗がん剤の副作用は、眠気、怠さ。記憶力、判断力、集中力の低下。元気だった頃と比べると、能力は半分以下です。とっさの出来事に頭の中が真っ白になるのが、その証拠。先生への質問を忘れるのもそれ。文章が書けないのも、思考能力の低下。人との会話中でも、言葉がすぐに出てこない。だから喋るのが面倒になる。これらが私にとっては、最高に辛い症状です。ケモブレインを知る前は、自分がボケたと思っていました。とうとう認知症が始まったと思い込んでいましたが、このサイトを知ってから、少し気持ちが楽になりました。

この先、自分の身体がどうなるかは分かりませんが、今は元気です。後5年生きたいのです。5年、元気に生きることができれば、猫のお世話が、きちんとできます。そのためなら、抗がん剤を継続すると決めています。我慢できないくらい精神的に辛くなったら、治療を止めるかもしれません。今回の抗がん剤投与においては、眠気と怠さの原因である、吐き気止め(点滴で入れる強い吐き気止め)の薬の量を減らしてもらいました。なので眠気と怠さが少し弱くなりました。吐き気も無い。投薬後にすぐにブログが書けるのは凄いです。(誤字脱字はお許しください)

猫のお世話と掃除は筋トレ。ブログは脳トレ。自分の肉体と精神は自分でコントロールする。そして一番は、前向きに明るく生きること。自分に万が一の事が起きる前に、猫の飼育環境を継続できるシステムを作る。これだけは実行していきます。癌が小さくなるまで静かに闘病生活ができましたのは、支援者の方々のお力です。本当に心から感謝しております。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。今後とも温かなお気持ちで見守っていただけると嬉しいです。

今年も金の成る木に、花が咲き始めました。私も頑張ろう!

私のシェルター運営を支えてくれるサポーターを募集しております。

現在91名のサポーター、マンスリー218、000円(支払い手数料含む)です。

シェルター運営費用の目標金額は30万円(家賃を含む)です。

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