三太郎一家・福猫はどの子!PART7(完結編)

三太郎一家を応援してくださった方々に送るブログ
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空しい活動と思ってはいけないけど

2018-09-30 22:10:37 | 私事
毎日「きょうは書こう。きょう書けないから明日は書こう。」と思い続けた日々を送っていました。
かなりのご無沙汰となりました。すみません。ここ数ヶ月、自分の気持ちを表現することに自信が
無くなっていました。文章が浮かばない状況と、本業の重圧が重なり、掃除と筋トレに逃避しておりました。
きょうは書きます。淡々とご報告だけですが。

8月19日。事務所猫1号の小雪が死にました。
2007年の保護。猫友達から譲り受けた子です、当時の私はバイオベンチャーを立ち上げ、
晴れて、その会社の事務所を開設した時期の、縁起の良い事務所猫1号となった子です。
良い子でした。可愛い子でした。
小雪ちゃんへ。会社の事務所に沢山の猫を入れて、ごめんね。
一人っ子で育った小雪には、相当のストレスをかけてしまった。私が悪い。
https://blog.goo.ne.jp/happynekochan/e/e2386f71039060a4962473f1bb02cd10

8月22日。私のビジネスパートナーが亡くなりました。17年前、バイオベンチャーを
立ち上げ一緒に必死に、癌のマーカーと治療薬を作ることを目標に駆け抜けました。
猫白血病の治療薬を作ってくれていた研究者でもあります。
亡くなる前日のお昼に、最後のメールがきました。「すまん。頼む」。死因は癌です。
私と同じ歳で64歳。中学の同級生でした。半年前には余命を聞き、できることは全て行い覚悟は
していたので、涙は出ませんでした。心に大きな穴が空きました。癌を憎む。

9月10日。自宅で飼育していた三原台ミーちゃん死亡。まだ4歳。
保護した時から虚弱体質でした。ビジネスパートナーの死後、残された遺言実行のため、
いろいろな事務処理に集中していて、ミーちゃんが具合悪いことに気がつかなかった。ダメな私。
ミーちゃんゴメン。


9月17日。私の子供のミューボン死亡。14歳。まだ目が開いていない子猫での保護。
初めてミルクで育てた子で、私の子供と同じ感覚の猫でした。
死ぬ3日前。真夜中に私の頭を叩き、何時もの「お母さん!遊ぼ!」のサインを出した。
疲れていた私は「止めてよ!」と言った。ごめん。母さんはダメ人間だ。
ミューボン消えて、心の穴はもっと大きくなって息ができなくなったんだよ。



9月28日。元保護猫カフェで飼育していた、たえ子が死亡。
その日の朝、「あれ?たえちゃん、まだ寝てるの?」と触ると冷たくなっていた。
2ケ月前に呼吸が荒くなり、下半身がダメになり(脳か心臓の障害)歩けなくなった。
タワーが好きで走り回り元気だった、たえ子をケージ飼いとした。
歩けなくても、ご飯は食べていました。私がケージに近ずくだけでゴロ〜ゴロ〜ゴロゴロ鳴く、可愛い子。
私を完全に信頼していました。子猫で餓死寸前での保護だったので、私の手が命綱だった。
強制給餌が大好きな子でした。変な子。もっと一緒にいたかった。悲しい。


たえ子を保護した2014年は、保護猫カフェを開店したものの、お客さんは少なく大赤字。
猫の保護依頼だけが、もの凄い数、来ていた時期でした。

同時期に保護したシャムミックスの王子も、昨年の10月、心臓の疾患で死亡。
同じく、ランとスー姉妹(キジトラ)も、早くにFIPで死亡。みんな穏やかで優しい子でした。
http://happynekonerima.blog.fc2.com/blog-entry-386.html

この動画は、当時のカフェの中で撮影したもので、私の大好きな動画。
王子(シャムミックス)、たえ子(茶白)、ランちゃん(キジトラ)が元気に遊んでいます。
皆、同級。皆、消えた。寂しい。心の穴が大き過ぎて修復ができない状態なのに、私は生きてる。

王子ともぐもぐ



やっと書けました〜今、外は台風です。
保護活動は・・・・空しい。お金と時間を掛けて、無理して保護し飼育しても、
ハッピーねこちゃんになれる子と、死んでしまう猫と同じ比率かもしれない。

死んでいった皆んなへ。短い時間でもハッピーだったよね。
お母さんは思い出が多過ぎて、押し潰ぶされてしまいそう。

みんな、みんな、みんな。そして同じ時間を共有したあなたへ。
頑張る。私は皆んなのぶんまで生きる。残っている猫達のために頑張るからね。
そっちに私が行くまで、待っていてください。














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