ジャングル大帝見ちゃった
絵は綺麗だったけど
展開に無理がありすぎわろたw
脚本大島の旦那だったな・・・
かなりリメイクしてたようだけど
どのへんまで原作要素は残ってたんだろう
おいらジャングル大帝見たことないんよね
キャラデザが何気に天野
おお・・・みなしごハッチ(なぜか知ってる)
どうでもいいけど↑って書こうとして
みなしごハッチとみつばちマーヤの区別がついてないことに気付き思わずググった
こっそり勉強になった
どっちも見たことないけど
トトにはかなり萌えたのだが
wikiではトットってなってるな・・・なんか可愛い
しかし今ちょっと見ただけでもかなりオリジナルくさいな
登場キャラが全然ちがうっぽい
あとはもうパンジャがイケメンすぎることくらいか見所は
キャラ萌えする分には問題ないけど
あまりに原作とかけ離れてるようだと気が乗らないし
ストーリーは中途半端だし
今時の子供はこんなんで騙されないと思うけどなぁ・・・
声優は役によって差が激しい
主人公を本職で固めてくれたのは良かったけど
ジャングル大帝とその妻に威厳も迫力もないのは(´・ω・`)な気分
他もところどころおかしい
せっかく予算かけて豪華スタッフ用意したんだろうに
変なところでキャスティング血迷うから
もったいない
感動させようとしてるのはわかるんだけど
終盤あまりに無茶苦茶すぎてニヨニヨしながら見てしまったよ
極めつけはエンディング曲が感動するほど合ってない
個人的に歌手が好きでないせいもあろうかと思われるが
とりあえずトトとパンジャの大人萌えってことで
今なんとなく思い出したんだけど
夏に法事で実家に帰った時の坊さんの話
「信心」という言葉には二通りの意味があるそうで
「信心をする」というと
かようにお祈りしますからあれやこれやの希望を叶えてくだいという
お願いに当たるのであって
いわば請求書を発行するようなモノである
「信心をいただく」という言い方がもう一つあって
仏の教えを胸に暮らしていたおかげでこのようなことに気付かせていただきましたという
これは報告(?)やら感謝(?)みたいなことで
いわば領収書を発行するようなモノである
で、おなじ信心ならいただく方がいいよねと
請求書ばかり濫発するクレクレになるのではなく
今日もありがとござましたという気持ちで領収書をお出しするのがいいよねと
思ったとかいうそんな感じの話
おいらは信心をいただくという言い方は知らなかったので
ふーんと思ったのだが
そういえば基督教も本来は救いや恵みといっても現世の即物的なものではなく
最後の審判を経たのち神の国に行けるかどうかという
死後の救いが最大の奥義なのであって
その神の国というのも要は各々の心の中に築くものなんだよという
たしかそんなような教えだった気がするのだが
お祈りする時も
受験合格させてくださいとか大金拾いますようにとかそんなんは無理なお願いであって
(ましてやそれで不合格だったり小銭も落ちてなかったからといって
神の教えがウソだとかインチキだとかいうのはそれこそイカレポンチな言い分)
願うのであれば誘惑に負けない強い心を持てますようにとか
また祈りというのは何もおねだりだけに限ったことではないのであり
本来は神とのコミュニケーションなのであるから
今日も一日穏やかな気持ちで過ごせましたありがとうとか
ムカついて汚い言葉を吐いてしまいました反省しますとか
神に語りかけるのであればそんなんでいいのだと
聞いたような気がするのだが
まあ小中学生の時分におやつ目当てで土曜学校行ってただけなので
信憑性のほどは自分が一番疑わしいのだけれども
平和の祈りも
私をあなたの平和の道具としてお使いください
というスタンスだしね
しかしまあ
初めてこの言葉に接した時は結構斬新に感じたのに
気付けば基督教圏の国がガンガン戦争で血を流しているのだから
大したがっかりイリュージョンではあるのだが
あの頃のおいらの感動を返せ
あと基本的に物質的な利害や損得ではないといいつつも
それならばイエスが起こした数々のミラクルは何だったのかと
(病気治したり食糧増やしたりな)
疑問に思わないでもないけど
(初期限定のプロモーション活動?)
昔はちょっと気軽に聞ける雰囲気じゃなかったな
若干距離を保った今なら
機会があれば詳しい人に聞いてみたいとも思う
それはともかく
請求書より領収書、というのは
宗教どうのというより
それ以前の人間として大切な基本姿勢なんではないかと
足痺れながら思ったりした夏の日
夏に法事で実家に帰った時の坊さんの話
「信心」という言葉には二通りの意味があるそうで
「信心をする」というと
かようにお祈りしますからあれやこれやの希望を叶えてくだいという
お願いに当たるのであって
いわば請求書を発行するようなモノである
「信心をいただく」という言い方がもう一つあって
仏の教えを胸に暮らしていたおかげでこのようなことに気付かせていただきましたという
これは報告(?)やら感謝(?)みたいなことで
いわば領収書を発行するようなモノである
で、おなじ信心ならいただく方がいいよねと
請求書ばかり濫発するクレクレになるのではなく
今日もありがとござましたという気持ちで領収書をお出しするのがいいよねと
思ったとかいうそんな感じの話
おいらは信心をいただくという言い方は知らなかったので
ふーんと思ったのだが
そういえば基督教も本来は救いや恵みといっても現世の即物的なものではなく
最後の審判を経たのち神の国に行けるかどうかという
死後の救いが最大の奥義なのであって
その神の国というのも要は各々の心の中に築くものなんだよという
たしかそんなような教えだった気がするのだが
お祈りする時も
受験合格させてくださいとか大金拾いますようにとかそんなんは無理なお願いであって
(ましてやそれで不合格だったり小銭も落ちてなかったからといって
神の教えがウソだとかインチキだとかいうのはそれこそイカレポンチな言い分)
願うのであれば誘惑に負けない強い心を持てますようにとか
また祈りというのは何もおねだりだけに限ったことではないのであり
本来は神とのコミュニケーションなのであるから
今日も一日穏やかな気持ちで過ごせましたありがとうとか
ムカついて汚い言葉を吐いてしまいました反省しますとか
神に語りかけるのであればそんなんでいいのだと
聞いたような気がするのだが
まあ小中学生の時分におやつ目当てで土曜学校行ってただけなので
信憑性のほどは自分が一番疑わしいのだけれども
平和の祈りも
私をあなたの平和の道具としてお使いください
というスタンスだしね
しかしまあ
初めてこの言葉に接した時は結構斬新に感じたのに
気付けば基督教圏の国がガンガン戦争で血を流しているのだから
大したがっかりイリュージョンではあるのだが
あの頃のおいらの感動を返せ
あと基本的に物質的な利害や損得ではないといいつつも
それならばイエスが起こした数々のミラクルは何だったのかと
(病気治したり食糧増やしたりな)
疑問に思わないでもないけど
(初期限定のプロモーション活動?)
昔はちょっと気軽に聞ける雰囲気じゃなかったな
若干距離を保った今なら
機会があれば詳しい人に聞いてみたいとも思う
それはともかく
請求書より領収書、というのは
宗教どうのというより
それ以前の人間として大切な基本姿勢なんではないかと
足痺れながら思ったりした夏の日