肝炎Sabavian:風になる日記

《優 し く 吹 く 風 に な る》
やさしく吹く、そよ風のような人になるために・・

障子を開けると

2011年04月26日 | Weblog
まるで一枚の絵画があるように見えます。

日本の文化を象徴しているような創りです。
こうした演出は、たぶん日本だけにあるものなのでしょう。
粋な細工ですね。


古来より光と影をうまく調和させてきた日本人の感性が、この創りに集約されているみたいです。

モナリザはすばらしいと思います。
が、私を和ませてくれるのはこの粋な創りの一枚。

自分は日本人だなぁってつくづく思うのです。

震災以降、日本人という感覚が強くなっているのでしょうね。

エネルギーの伝達

2011年04月25日 | Weblog
このところすっかり肝っ玉が座ってしまった私。

更に元気になる素、娘からのメールには学校の様子を写した写メが添付されていました。

何気ない写真にどれだけ癒されていることか。
気がつくとニコニコしているんだよね。


やっぱり娘のエネルギーはものすごい♪
伝達の圧力が高いんだなぁ。小さな出来事でも圧力が高いから衝撃が大きい。


結局、娘とのつながりが私の元気につながっているんだね。
しばらく会えてないけど、前のようにそれがストレスになることはなくなったように思う。

会えないことに慣れたんじゃなくて、ちゃんとつながっていると感じていられるからなんだろうなぁ。

きっと僕はものすごくしあわせ者なんだね。

ニホンザルあらわる

2011年04月24日 | Weblog
  ニホンザル

今朝出社した時、いつも渡る橋のところにニホンザル家族がいました。

たまに見かけていたけど、家族連れというのは珍しい!

至近距離でおとうちゃんらしきニホンザルと目があってしまい、学生時代を思いだしてガン飛ばしてしまった
(^^;

おとうちゃんはすぐにママを追うように走り去ったのですが、私は飛びかかってこられたらどうしよう!?とビビりでした。


エサ不足なのか、人の出すゴミの贅沢さにひかれたのかはわかりませんが、ニホンザルがこんなところにいるのはあまり良くないことなんだよな、と思いました。

と同時に、線引きは人が勝手にしているのだから、彼らがどこにいようが自然だ、という思いもふっとわいたりしました。

共存というけど、人間だって自然の一部。
共存という言葉にちょっと違和感を感じます。

自然に帰す

2011年04月23日 | Weblog

鍾乳洞。こんなにきれいな色を自然は作り出すことができるのですね。


自然が作り出す様々な物には、人の力など及ばないところがあります。

だから美しさが際立っているのでしょう。



人類は進化進歩し、地球上を支配しているかのごとく思っていても、

結局は自然の中のちっぽけな存在に過ぎないのです。



言ってみれば私たちも自然の一部。

なすがままの自分に沿うことが必要なのかも知れません。


スーちゃん、逝く

2011年04月22日 | Weblog
スーちゃんが逝ってしまった。

悲しい気持ちと同時に、ここのところ気力や元気を失いそうになっていた自分の姿を思い、とても恥ずかしく感じました。


自分にどんな判断が下されても、私には家族がいる。
なにより生きている。
生きていれば笑える、泣ける、悩める、喜べる。
大切な生きる素を失ったわけではない。


家族という土台の上に仕事があるべきなのに、それが最近逆になっていることにすら気がつかなくなっていた。

スーちゃん、ありがとう。
あなたのお陰で気がつくことができました。
ご冥福をお祈り申し上げます。