私にとってのパワーの源ってなんだろう?
そんなことを考えてみたのね。
これはいろいろあるのだけど、まず第一は家族。というより娘。
娘が元気にしている限り、私も元気でいることができるわけだ。
そして第二が意外にも仕事。
これは何かを達成するために懸命に取り組んでいる時や達成することで
得られる自己満足ってやつかな?
第三は人との繋がり。
これは一番でもいいくらい大切だし、というか全部大切だ。
仮に第一・第二・・・と呼んだところで、結局すべてが必要だし、すべてが
私を創っているわけだもんね。
私が持つ、私自身への夢なり願望なりがパワーの源ではないのだろうね。
ということは、この第一なり第二なりといくつかあることを介してやっと
初めて私の存在が成立ち、夢なり願望なり希望なりが生まれるのだね。
目的地ができるってことが大切で、そこへ向かう手段なり行動なりが
自分の生き方で、それをしている時にパワーが生まれる。
パワーの源って目的意識なんだね。
その意識が高い人ほどパワーに溢れる何かを持っているのかも。
パワー溢れる人=人生に目的をしっかり持っている人、ってことだ。
俗に言うギラギラしているっていうヤツだ。
私の人生の第一目的は
「娘のために生きる」だから、それをいつも胸に抱いている限り、
パワー溢れる人でいることができるでしょう。
娘にこのパワーを感じて欲しいものですねぇ。
ワガママと要求の違いってなんだろう?
PTAの集まりなどで出た話をママから聞くと、いつもこのことを考えちゃう。
どこまでがノーマルでどこからがモンスターなのか・・。
常識?規範?校則?法律?慣例?表向き?鶴の一声?
このどこかの枠に納まるとでハミ出るとなのかな??
そうやって考えるとワガママと要求の違いが見えてくるように思える。
↑に書いた、常識・・・・は、すべて外向きの視線。
自分が見る側にいる状態だ。
常識と照らし規範を探し校則・法律をチェックし慣例・表向き
を学習し、一声を出している人を見る。
見る側にいるだけなら○ということなのでしょう。
これが自分向きになってしまうとワガママになっちゃうってことなのかなぁ。
自分の中だけにある定規をみんなと共通だと勘違いすると△。
共通ではないと知りながら自分だけの定規をかざす人は×。ということになるね。
でもさ、この判断っていうのが誠に難しいと思う。
何かを提案する時、ワンクッションを入れて誰かに相談するくらいの余裕は持
ちたいものですね。
いつ何があってもこれだけは実行する。
あと10年は生き抜く。
それができたらまた10年。
そのすべてを娘に捧げる。
前に一年一年が勝負だと書いたし、それは今も変わってないけど、
考えるスパンを10年にしようと決めた。
参観に行ったり娘の試合を観ていて思ったんだ。
私は生き抜かないといけないんだってね。
自分のためじゃなく娘のために。
そう考えればどんな辛いことでも耐えることができるし、生きることができる。
それをちゃんと言葉で娘に伝えようと思うんだ。
もしかしたら、あと何年生きられるかなぁ?それくらい生きたいなぁ、
と私がつぶやしているのを聞いているかもしれないしさ
安心して欲しいし、心配せずにいて欲しい。
そんなことで娘が悲しく感じることがあってはいけないんだ。
そして私の行動で伝えたいことは・・
娘よ、私がお前以上に愛する人はこの世にいないからな。
何があってもお前のために生きるからな。
お前が悲しい時、私も一緒に泣くからね。楽しい時は一緒に笑うからね。
いつもいつもお前のそばにいるからな。励ますからね。
お前のためにできることはすべてやるようにするからね。
パパの人生は、命は、お前のためのものだ。
そしてこれからも一緒の時間をたくさん、たくさん、過ごしていこうね。
そればかりか3年生にはコーチも近寄らないことに気がついた。
言っても何も聞かないからだろうね。
昨日は団体も個人も優勝したけど、次はブロック大会だ。
いくら3年生でも、あれでは勝ち進むのは難しいだろうなぁ。
まず3年と1年生に挟まれている娘たち2年生はつらいと思う。
練習したいのに、3年がコートでバスケやっていたりするらしい。
これからの一年間が2年生には大切だというのにさ、娘たちにして
みれば「ふざけんなぁ」と思うのは当然だわな。
幸い1年生と2年生は仲良くやっているみたいだから、
3年生が引退すれば、良い部活になると思うんだ。
早くそうなるといいね。
昨日はママが家に帰って来るや否や、夏季合同練習の案内を作ってぇ、
というので、サクッと作成。
それをもう一人の部活世話人(娘がダブルス組んでいる子のママ)に
メールして終了。
何かと忙しい一日となりました。