清少納言(せいしょうなごん)
●清少納言 http://p.tl/tuex 平安時代の女流作家、歌人。随筆「枕草子」は有名。
●紫式部との関係 http://p.tl/tJ6W
清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく 人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれば え心になりぬる人は いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ をかしきことも見過ぐさぬほどに おのづからさるまてあだなるさまにもなるにはべるべし そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ
— 『紫日記』黒川本
清少納言と、同時代の『源氏物語』の作者・紫式部とのライバル関係は、後世盛んに喧伝された。しかし、紫式部が中宮彰子に伺候したのは清少納言が宮仕えを退いてからはるか後のことで、2人は一面識さえないはずである[注釈 1]。紫式部が『紫式部日記』(『紫日記』)で清少納言の人格と業績を全否定するかのごとき筆誅を加えているのに対し、清少納言が『枕草子』で紫式部評を残していない一方的な関係からもこの見方は支持される。
もっとも、『枕草子』には紫式部の亡夫・藤原宣孝が派手な衣装で御嵩詣を行った逸話や従兄弟・藤原信経を清少納言がやり込めた話が記されており、こうした記述は紫式部の才能を脅威に感じて記したものであるという説も存在す。
●清女伝説[編集]
清少納言(菊池容斎・画、明治時代紫式部の酷評に加え、女の才はかえって不幸を招くという中世的な思想が影響し、鎌倉時代に書かれた『無名草子』『古事談』『古今著聞集』などには清少納言の落魄説話が満載された。『古事談』には、「鬼形之法師」と形容される出家の姿となり、兄・清原致信が源頼親に討たれた際、巻き添えにされそうになって陰部を示し女性であることを証明したという話がある。
また全国各地に清女伝説(清少納言伝説)がある。鎌倉時代中期頃に成立したと見られる『松島日記』と題する紀行文が清少納言の著書であると信じられた時代もあったが、江戸時代には本居宣長が『玉勝間』において偽書と断定している。
伝墓所[編集]徳島県鳴門市里浦町里浦坂田 - 比丘尼の姿で阿波里浦に漂着し、その後辱めを受けんとし自らの陰部をえぐり投げつけ姿を消し、尼塚という供養塔を建てたという。
香川県琴平金刀比羅神社大門 - 清塚という清少納言が夢に死亡地を示した「清少納言夢告げの碑」がある。
京都市中京区新京極桜ノ町 - 誓願寺において出家、往生を遂げたという。
歌[編集]「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」が百人一首に採られている。
京都市東山区にこの歌の歌碑がある。昭和49年(1974年)、当時の平安博物館館長・角田文衞の発案によって歌碑が建立された
●清少納言 - Wikiquote http://p.tl/MeZk
平安時代中期の歌人、清原元輔の娘。清原深養父は曽祖父。中宮定子に女房として仕え、『枕草子』を著した。
●清少納言からの引用 枕草子 春は、あけぼの。http://p.tl/j2Ii
●清少納言-Yahoo!百科事典 http://p.tl/8nwT
生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔(もとすけ)であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳 ...-日本大百科全書(小学館)
●清少納言 千人万首 http://p.tl/N1jX
歌人清原深養父の曾孫。元輔の娘。生年は康保元年~同三年(964-966)頃とする説が多い。
天元五年(982)、橘則光との間に則長を産む。則光と正式な夫婦であったかは不明であるが、関係は長徳四年(998)頃まで続いたと考えられている。正暦初年(990-993)頃、一条天皇の中宮定子(藤原道隆の息女)のもとに宮仕えを始める。時に二十代後半、または三十歳前後か。
●清少納言の画像(169,004件)-Yahoo!検索(画像) http://p.tl/YYQA
●清少納言の世界 http://p.tl/MGgC
平安中期に活躍。姓は清原、名は不明。父・清原元輔(もとすけ)は百人一首に「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは」が採られた三十六歌仙の一人。曾祖父・清原深養父(ふかやぶ)も百人一首に「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづくに月宿るらむ」が入った『古今集』の歌人。こうした周囲の環境に感化され、彼女は幼い頃から和歌や漢文に親しみ、機転の利く明るい活発な女性に成長した。15歳で橘則光と結婚し、翌年に則長を産む。しかし武骨な則光とは性格が合わずに約10年で離婚した。24歳、父が他界。
●これは共感できるかもと思う清少納言の名言 - NAVER まとめ http://p.tl/JC_l
●清原元輔の娘・清少納言 http://p.tl/EKnK
一条天皇の中宮 定子様から清少納言に和歌を詠むよううながされて・・・
「~<略>~ いといかがかは、文字の数知らず、春は冬の歌、秋は梅、花の歌などをよむやうははべらむ。なれど、歌よむと言はれし末々は、すこし人よりまさりて、『そのをりの歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はればこそ、かひある心地もしはべらめ。つゆとりわきたる方もなくて、さすがに歌がましう、われはと思へるさまに、最初に詠み出ではべらむ、亡き人のためにも、いとほしうはべる」と、まめやかに敬す~(略)~」
(「わたくしは、歌は三十一字で詠むものと知っておりますし、春に冬の歌を詠んだり、秋に梅の花の歌を詠んだりはいたしませんわ。けれども、私の先祖は歌人の家系と言われた者ですから、少しは人より優れた歌を詠んで『その時の歌は、これこそ見事な出来だった!さすがは清原の家の子だけのことはある!』などと言われればこそ、歌を詠む甲斐もある心地がいたします。
それが少しも優れたところがないのに、それでもいかにも歌のつもりでわたくしこそはと思い最初に歌を詠むのは、亡き父・清原元輔のためにも大変申し訳ないことです」とまじめに申し上げる)
この後、中宮様はお笑いになって「それなら好きなようにになさい。もう無理に歌を詠めとは言わないわ。(^^)」とおっしゃた。
●●●●●● ●●●●●●
●ブス 【Vsu】 【ヴス】
エストニア北部、フィンランド湾に面する町。ラヘマー国立公園内に位置し、19世紀頃からロシア貴族の保養地になった。現在は国立公園の観光拠点として知られる。
●ブース 1 [booth]
展示会場・語学教室などで、間仕切りをした小さな空間。
●ブース [Booth]
(1)〔Charles B.〕(1840-1916) イギリスの社会調査家。貧困問題の浩瀚な実証的調査報告「ロンドン市民の生活と労働」を著す。
(2)〔William B.〕(1829-1912) イギリスの宗教家。救世軍の創立者。貧民への伝道と社会事業に尽くした。
●附子 難読語辞典
読み方:ブス(busu)
狂言のひとつ
●きょうげん きやう― 3 【狂言】
(1)日本の伝統芸能の一。猿楽の滑稽・卑俗な部分を劇化した芸能。室町時代に成立。猿楽能と併せ行われるが、舞踊的・象徴的な能と異なり、物まねの要素や写実的な科白(せりふ)劇の性格をもつ。主役をシテまたはオモ、相手役をアドという。独立して演じられる本狂言と能の曲中に行われる間(あい)狂言とに大別される。江戸時代には大蔵流・鷺(さぎ)流・和泉(いずみ)流の三流があったが、明治時代に鷺流は絶えた。能狂言。
(2)歌舞伎の演目。歌舞伎狂言。
(3)人をあざむくために仕組むたくらみ。お芝居。
「―自殺」「―強盗」
(4)道理にはずれた言葉や行為。たわごと。
「孔明が臥竜の勢をききをじしてかかる―をば云ふ/太平記 20」
(5)ふざけて面白おかしく言うこと。また、その言葉や動作。
「正直にては能き馬はまうくまじかりけりと―して打連れてこそ上りけれ/盛衰記 34」
「狂言」に似た言葉» 類語の一覧を見る戯曲 演劇
●狂言 歴史民俗用語辞典
読み方:キョウゲン(kyougen)
中世を代表する喜劇。
●狂言(きょうげん) 文化財選集
名称
狂言
<きょうげん>
区分
重要無形文化財
保持者
茂山 七五三
<しげやま しめ>
(芸名 茂山 千作)
<しげやま せんさく>
(京都府)
野村 太良
<のむら たろう>
(芸名 野村 萬)
<のむら まん>
(東京都)
解説
狂言は,平安時代猿楽の直系の芸能で,我が国の生んだ最古の喜劇である。猿楽から派生した楽劇である能が完成をみせはじめる十四世紀から,能と狂言とはそれぞれの専門に分かれながら,しかも同じ舞台で交互に上演されるのを常として,互いに影響を与えあって発達をとげた。歌舞的要素に規制される能とは違って,狂言はせりふを中心とする劇であるため,脚本の固定は遅れてほぼ十八世紀に入ってからと考えられるが,その前後から演技の基礎としての歌舞的修練がより重視されるに至り,独自の格調のある明朗洒脱なせりふ劇として大成した。
●三省堂 大辞林索引トップランキング凡例
きょうげん きやう― 3 【狂言】
(1)日本の伝統芸能の一。猿楽の滑稽・卑俗な部分を劇化した芸能。室町時代に成立。猿楽能と併せ行われるが、舞踊的・象徴的な能と異なり、物まねの要素や写実的な科白(せりふ)劇の性格をもつ。主役をシテまたはオモ、相手役をアドという。独立して演じられる本狂言と能の曲中に行われる間(あい)狂言とに大別される。江戸時代には大蔵流・鷺(さぎ)流・和泉(いずみ)流の三流があったが、明治時代に鷺流は絶えた。能狂言。
(2)歌舞伎の演目。歌舞伎狂言。
(3)人をあざむくために仕組むたくらみ。お芝居。
「―自殺」「―強盗」
(4)道理にはずれた言葉や行為。たわごと。
「孔明が臥竜の勢をききをじしてかかる―をば云ふ/太平記 20」
(5)ふざけて面白おかしく言うこと。また、その言葉や動作。
「正直にては能き馬はまうくまじかりけりと―して打連れてこそ上りけれ/盛衰記 34」
「狂言」に似た言葉» 類語の一覧を見る戯曲 演劇
● 狂言 歴史民俗用語辞典
読み方:キョウゲン(kyougen)
中世を代表する喜劇。
● 狂言(きょうげん) 文化財選集
名称
狂言<きょうげん>
区分
重要無形文化財
保持者
茂山 七五三
<しげやま しめ>
(芸名 茂山 千作)
<しげやま せんさく>
(京都府)
野村 太良
<のむら たろう>
(芸名 野村 萬)
<のむら まん>
(東京都)
解説
狂言は,平安時代猿楽の直系の芸能で,我が国の生んだ最古の喜劇である。猿楽から派生した楽劇である能が完成をみせはじめる十四世紀から,能と狂言とはそれぞれの専門に分かれながら,しかも同じ舞台で交互に上演されるのを常として,互いに影響を与えあって発達をとげた。歌舞的要素に規制される能とは違って,狂言はせりふを中心とする劇であるため,脚本の固定は遅れてほぼ十八世紀に入ってからと考えられるが,その前後から演技の基礎としての歌舞的修練がより重視されるに至り,独自の格調のある明朗洒脱なせりふ劇として大成した。
能楽用語集索引トップランキング
● 狂言 能楽用語集
読み方:キョウゲン
狂言とは、社会を風刺するエンターテインメントとしてのこっけい劇です。
物語の設定として、主と従者の組み合わせが多く見られます。
主従関係という社会構造の中で生ずる様々な問題点を、笑いという要素で包み込み、物語として見る 者に突きつけます。
人の本質は、時を経ても変わらぬものなのかもしれません。
それゆえ、現代に生きるわたしたちにとっても、狂言が痛切な批判となって響いてくるのかもしれません 。
▼関連用語
太郎冠者/次郎冠者/能/能楽/能楽堂
●きょうげん〔狂言〕人形辞典
能楽の一部、または芝居の演目(外題)をいう。
能楽の合間に演ぜられる軽い喜劇の能狂言(「末広」「靱猿」など)と、歌舞伎劇の脚本を総称する歌舞伎狂言(「勧進帳」「道成寺」など)との2種がある。人形は両者から題材をとっているが、羽子板の場合はほとんど後者のみ。
●狂言 国指定文化財等データベース
名称: 狂言
ふりがな: きょうげん
芸能工芸区分: 芸能
種別: 能楽
認定区分: 各個認定
指定年月日: 1967.04.10(昭和42.04.10)
解除年月日:
指定要件:
備考:
解説文: 狂言は、平安時代猿楽【さるがく】の直系の芸能で、わが国の生んだ最古の喜劇である。猿楽から派生した楽劇【がくげき】である能が完成を見せはじめる十四世紀から、能と狂言とはそれぞれの専門に分かれながら、しかも同じ舞台で交互に上演されるのを常として、互いに影響を与えあって発達をとげた。歌舞的要素に規制される能とは違って、狂言は科白【せりふ】を中心とする劇であるため、脚本の固定は遅れてほぼ十八世紀に入ってからと考えられるが、その前後から演技の基礎としての歌舞的修練がますます重視されるに至り、独自の格調のある明朗洒脱な科白劇として大成した。その間、歌舞伎狂言をはじめ人形浄瑠璃その他の近世芸能に多大の影響を与え、現代においても、それ自体高い水準の舞台芸術として広く愛好されている。
芸能のほかの用語一覧演芸: 講談
組踊: 組踊立方 組踊音楽歌三線
能楽: 狂言 能シテ方 能ワキ方 能囃子方大鼓
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