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●「819(ハイク)」●ハイク(俳句,Haiku) トンチのあった日でもある

2012年08月19日 12時22分24秒 | 色んな情報
●「819(ハイク)」●ハイク(俳句,Haiku) トンチのあった日でもある
ハイクの日(http://p.tl/iUv9)はてなハイク(http://p.tl/NRmA)
★8月19日(はちがつじゅうくにち)http://p.tl/pe2g
年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。
★はてなキーワード > 俳句の日
8月19日。
正岡子規の研究家の坪内稔典が「819(ハイク)」の語呂合わせから夏休み中の子供たちに俳句への興味を持ってもらおうと制定した。
日本記念日協会公認の記念日でもある。
なお、はてなハイクにおいては同日は「ハイクの日」という別の記念日とされる。
★8月19日は語呂合わせで「ハイク(俳句)の日」http://p.tl/H1YP
ハイク(俳句,Haiku)は五・七・五の形式の世界最小の定型詩です。ただし近年
発達した外国語のHaikuの場合は文字数・音節数には余りこだわらずに3行程度
の短い詩が作られています。また俳句には「季語」といい季節を感じさせる言
葉を必ず埋め込むという約束がありますが、近年の現代俳句やHaikuでは必ず
しもとらわれません。
「俳句」という言葉は意外に思われる方もあるでしょうが、明治20年代に正岡
子規が作った造語で、「俳諧の発句」を縮めたものです。松尾芭蕉や小林一茶
などがやっていたのは実は「俳諧」であって、まだ当時は「俳句」という言葉
はありませんでした。
「俳諧」とは「連歌」の形式で滑稽や生活感情などを読み込んだものです。そ
れはいづれも最初に誰かが五・七・五の形式の「発句」をして、それに別の誰
かが七・五の形式の「付け句」をするということを続けて何連も続いていくと
いうお遊びです。手軽に体験してみたい方はFPOEMのRTに決まった曜日に行き
ますとやってますのでどうぞ(^^;

★俳諧【はいかい】世界大百科事典 第2版
漢詩,和歌,連歌,俳諧等の用語。〈誹諧〉とも書くが,〈俳諧〉のほうが一般的である。俳諧はもと中国で滑稽とほぼ同じ意味に用いられた言葉で,機知的言辞が即興的にとめどもなく口をついて出てくることをいう。現在残っている作品はそう多くはないが,中国の詩に詼諧体,俳諧体というのがあった。日本文学で俳諧(誹諧)という言葉が用いられるようになったのは10世紀初頭のころからで,《古今和歌集》巻十九〈雑体〉の部に〈秋の野になまめきたてる女郎花あなかしがまし花もひと時〉(僧正遍昭)以下58首の〈誹諧歌〉が収められている。
▼俳諧について記述のある項目
 季語【きご】 俳論【はいろん】 俳言【はいごん】
★俳諧【はいかい】百科事典マイペディア
発句(ほっく)と連句の総称。もともとは漢詩や和歌の用語で,滑稽や機知諧謔(かいぎゃく)を主とすること。早く《古今和歌集》雑体の部に誹諧歌(はいかいか)がある。のち,俳諧の連歌の略。
★俳諧【はいかい】デジタル大辞泉
1 こっけい。おかしみ。たわむれ。
2 俳句(発句(ほっく))・連句および俳文などの総称。
3 「俳諧の連歌」の略。
4 「俳諧歌(はいかいか)」の略。
★俳諧(はいかい)http://p.tl/Y5kz
主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。
★俳論【はいろん】世界大百科事典 第2版
俳諧・俳句用語。俳諧・俳句の本質,理念,方法,規則,語彙などに関する論の総称。その発生は早く歌論,連歌論の中に見いだされる。俳諧の原義を滑稽,狂言などに求めた藤原清輔の《奥儀抄》や順徳院の《八雲御抄》,俳諧を連歌の一風体としてとらえた二条良基の《連理秘抄》などがそれである。しかし真の意味の俳論は,文芸の一ジャンルとして確立された〈俳諧之連歌〉の論でなければならない。 貞門においては,松永貞徳の〈十首式目歌〉(1628成立)を嚆矢(こうし)として85部の俳論が書かれた。
俳諧・俳句についての理論や批評。代表的俳論書に「去来抄」「三冊子」などがある。
★俳言【はいごん】世界大百科事典 第2版
俳諧用語。俳諧の制作に用いることばのうち,俗語,日常語,ことわざなど和歌・連歌に嫌うことば,音読する漢語,鬼,女,竜,虎,狼など千句連歌に一度だけ使用を許された耳立つことばをいう。〈俗言(ぞくごん)〉〈ただごと〉〈ひらことば〉ともいう。俳文芸ジャンルの確立をめざす貞徳は,〈抑(そもそも)はじめは誹諧と連歌のわいだめ(区別)なし。其の中よりやさしき詞(和語,歌語)のみをつゞけて連歌といひ,俗言を嫌はず作する句を誹諧といふなり〉(《御傘(ごさん)》)と,用語のうえから俳諧,連歌を区別した。
俳諧に用いて、和歌・連歌には用いない俗語・漢語などの総称。俗言(ぞくごん)。はいげん。
俳諧に用いる語。和歌・連歌には使わない俗語・漢語。貞門で重要視された。俗言。はいげん。
★国際日本文化研究センター|俳諧データベース http://p.tl/oPuB
★俳諧(はいかい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
和歌、連歌(れんが)、俳諧用語。誤って「誹諧」とも書いた。俳優の諧謔(かいぎゃく)、すなわち滑稽(こっけい)の意。『古今和歌集』巻第19に「誹諧歌」として収める58首の和歌は、ことごとく内容の滑稽な歌である。連歌の一体である「俳諧之連歌」は、滑稽な連歌の意で、連歌師の余技として言い捨てられていたが、純正連歌の従属的地位を脱し、詩文芸の一ジャンルとして独立するに伴い、「俳諧」とだけ略称されるに至った。最初の俳諧撰集(せんしゅう)は1499年(明応8)成立の『竹馬狂吟(ちくばきようぎん)集』であるが、1524年(大永4)以後に山崎宗鑑(そうかん)編『誹諧連歌抄』(『犬筑波(いぬつくば)集』)が、1536~40年(天文5~9)には荒木田守武(もりたけ)の『守武千句』が相次いで成り、俳諧独立の気運を高めた。17世紀に入ると、松永貞徳(ていとく)を盟主とする貞門(ていもん)の俳諧が全国的規模で行われた。俳風はことば遊びの滑稽を主としたが、見立(みたて)や付合(つけあい)がマンネリズムに陥り、より新鮮で、より強烈な滑稽感の表出をねらう、西山宗因(そういん)らの談林(だんりん)俳諧に圧倒された。談林は1660年代の中ごろ(寛文(かんぶん)中期)から70年代(延宝(えんぽう)期)にかけてのわずか十数年間で燃焼し尽くし、1690年代(元禄(げんろく)期)以降は、芭蕉(ばしょう)らの蕉風俳諧にみられるような、優美で主情的な俳風が行われた。18世紀の初頭を軸として、連句中心から発句(ほっく)中心へと俳諧史は大きく転回するが、蕪村(ぶそん)も一茶(いっさ)も連句を捨てたわけではない。連句が否定され、発句が俳句へと変身を遂げたのは、近代に入ってからのことである。
[ 執筆者:乾 裕幸 ]
★俳諧摺物データベース http://p.tl/_7RE
★寺田寅彦 俳諧の本質的概論 http://p.tl/gLpg
★「夫馬基彦の風人通信」中の「俳諧・連句」欄です)http://p.tl/bhNY
★百姓俳諧寺 http://p.tl/_SdU
★俳諧について http://p.tl/WYmJ
★俳諧七部集(芭蕉七部集)http://p.tl/k0uK
★俳諧通信ライブラリー http://p.tl/20zs
★蕉風について http://p.tl/RgIp
★「連歌(れんが)」と「連句(れんく)」 - 和歌・俳諧 http://p.tl/DbKk
★Category:俳諧 http://p.tl/VzcI

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