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●事代主(ことしろぬし、言代主神)と一言主(ひとことぬし)

2013年04月12日 17時01分35秒 | 色んな情報
●事代主(ことしろぬし、言代主神)と一言主(ひとことぬし)
★事代主(ことしろぬし、言代主神)http://p.tl/YaTL
日本神話に登場する神。別名 八重言代主神、八重事代主神(ヤエコトシロヌシ)。
神話の記述 [編集]大国主とカムヤタテヒメとの間に生まれた。

葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。

タケミナカタもタケミカヅチに服従すると、大国主は国譲りを承諾し、事代主が先頭に立てば私の180人の子供たちもは事代主に従って天津神に背かないだろうと言った。

・解説
名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。言とも事とも書くのは、古代において「言(言葉)」と「事(出来事)」とを区別していなかったためである。

大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。葛城には、事代主を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のような全国の鴨(賀茂・加茂など)と名の付く神社の名前の由来となっている。

美保で青柴垣に引き籠った事代主神は、伊豆の三宅島で三島明神になったとする伝承もある。富士山の神とともに10の島を生み、現在の三嶋大社(静岡県三島市)に鎮座したとする。

・信仰
託宣神のほか、国譲り神話において釣りをしていたことから釣り好きとされ、海と関係の深いえびすと同一視され、海の神、商業の神としても信仰されている。七福神の中のえびすが大鯛を小脇に抱え釣竿を持っているのは、国譲り神話におけるこのエピソードによるものである。

美保神社(島根県松江市)、長田神社(神戸市長田区)のほか、恵美須神社(京都市東山区)、今宮戎神社(大阪市浪速区) などのえびすを祀る神社でも祀られている。


★託宣 http://p.tl/JurM
神懸かりになったシャーマンの口から発せられる言葉。この時一時的にシャーマンの意識は失われ、神が代わりに降りて人格を支配するとされる。ときには神でなく悪霊や動物霊の類が降りることもあるという。古代日本の卑弥呼やギリシャの「デルポイの神託」が有名。

★一言主(ひとことぬし)http://p.tl/F2HN
・神話・歴史書の記述
『古事記』(712年)の下つ巻に登場するのが初出である。460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った、とある。

少し後の720年に書かれた『日本書紀』では、雄略天皇が一言主神に出会う所までは同じだが、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、天皇と対等の立場になっている。時代が下がって797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。これは、一言主を祀っていた賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている。(ただし、高鴨神は、現在高鴨神社に祀られている迦毛大御神こと味耜高彦根神であるとする説もある)

さらに、822年の『日本霊異記』では、一言主は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである、と書かれている。役行者は一言主を呪法で縛り、『日本霊異記』執筆の時点でもまだそれが解けないとある。

また、能の演目『葛城』では、女神とされている。

・信仰
葛城山麓の奈良県御所市にある葛木一言主神社が全国の一言主神社の総本社となっている。地元では「いちごんさん」と呼ばれており、一言の願いであれば何でも聞き届ける神とされ、「無言まいり」の神として信仰されている。

このほか、『続日本紀』で流されたと書かれている土佐国には、一言主を祀る土佐神社があり土佐国一宮になっている。ただし、祀られているのは味耜高根彦神であるとする説もあり、現在は両神ともが主祭神とされている。

名前の類似から、大国主命の子の事代主神と同一視されることもある。


★葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)http://p.tl/gwH5
奈良県御所市にある神社。大和葛城山の東南麓にあり、東向きに鎮座する。祭神の一言主神は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神」であるという託宣の神ということから、願い事を一言のみ叶えてくれると信仰を集めて「いちごん(じ)さん」と呼ばれ親しまれている。
・祭神
祭神は一言主大神であり、大泊瀬幼武尊(雄略天皇)を合祀している。これは『古事記』や『日本書紀』にあるように雄略天皇が顕現した一言主神と邂逅したためである。また、託宣神としての神格の類似性から一言主神と事代主命を同一視するような記述も表れた。さらには近隣に出自を持つ賀茂氏に信仰された味耜高彦根命もその分身として混同されるようになった。

・歴史
神社鎮座地は前述の話における一言主神が顕現した地とされている。また、裏山である神山こそが顕現の地「カミタチ」であると伝わる。神社一帯は葛城氏の本拠地で、綏靖天皇の皇居(高丘宮)があったという伝承が残る。

延喜式神名帳には葛木坐一言主神社と記載され、名神大社に列せられている。嘉祥3年(850年)に正三位、貞観元年(859年)に従二位と神階が進められていった。

神宮寺として一言寺が存在したが、明治の神仏分離で廃された。


★役行者山(えんのぎょうじゃやま)http://p.tl/wGmQ
京都市内で行われる祇園祭にて毎年7月17日に巡行する山鉾である。

・概要
役行者山は応仁の乱の前から存在する舁山(かきやま)で御神体は役行者と一言主神(ひとことぬしのかみ)、葛城神(かつらぎのかみ)の三体である。上段中央に役行者が経典と錫杖を手にして鎮座しており、その左に一言主神、右に葛城神が鎮座している。

名称は、修験道の開祖として知られる役行者が一言主神などの神を呼び寄せ、葛城山・大峰山に橋梁を設けた事に由来する。一言主神に使用されている着物は、平成8年(1996年)に作られており、葛城神の着物も翌々10年(1998年)に新しく作られている。

裾に使用されているのは江戸時代中期に作られた西山勘七作の絵巻である。

宵山の7月16日の昼過ぎには聖護院門跡配下の山伏による問答と採燈護摩が毎年行なわれている。


本山派山伏による採燈護摩
・所在地
室町通三条上ル役行者町

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