「新藤総務大臣繰上げ閣議後記者会見の概要」
平成25年12月26日
(略)
安倍総理の靖国神社参拝について(3)
問:
話が行ったり来たりで申し訳ないですけれども、靖国のことなのですけれども、朝日新聞の伊藤と申します。昭和天皇がですね、ずっと靖国にお参りを続けていらっしゃったと。ところがある時期から、参拝を取りやめになった。どういうことが、きっかけだったかということは御存じですか。
答:
それは、その前後の事象というのは承知しておりますが、しかし、それは天皇陛下の御判断ですから、私がコメントすることではありません。
問:
伝えられるところによるとですけれども、本人から聞いたわけではないですから、A級戦犯の合祀がきっかけですよね、タイミングは。正にそのことが、海外の批判を招いている原因であって、よく皆さん方がおっしゃる、国のために命を捧げた人たちをお参りするのに、どこが悪いのだという論法とはですね、若干ずれていると思うのですが、そこについての大臣のお考えを、是非この際お聞きしたいと思います。
答:
まず、海外からの批判というのは、どこからの批判なのでしょうか。
問:
例えば、韓国ですとか。
答:
例えばではなくて。
問:
韓国、中国。
答:
と。
問:
と、いや、もう私が直接、ニュースでよく見るのは、その2ヶ国ですね。
答:
ほかに、ありますか。
問:
どうでしょう。記憶には、私の記憶にはありません。
答:
それは、海外とは言わずに、その2ヶ国からの御批判ということだと思いますね。
問:
では、中国、韓国の批判は、正にA級戦犯を合祀している靖国に対してですね、私人の行為だからいいのですよというふうな返答というのは、ややその議論がずれていると私は思うのですけれども、そこはどういうふうにお考えになられますか。
答:
私は、この問題は一貫してですね、心の問題としてとらえております。今のあなたが御質問された問題を、いろいろ議論されていることも承知をしておりますけれども、正に議論がずれているとおっしゃいましたけれども、そういう議論をすること自体がふさわしいものなのかどうなのか、いろいろな意見があると思いますね。私自身は、これは、自分が心の自由に従って参拝するものである。神様の前においては、霊となった者は、誰も平等であるし、そして、この神様の前では、人間は、どういう立場であっても人間でしかないと、私は思っているのですね。ですからその範囲での私は行為をしてきておりますし、これからもやっていこうと思っています。
問:
公人の振舞いというのを、単に心の問題ということでですね、片付けて、なかなか済まないものだから、こんなにごたごたしているわけですよね。何とか、けじめと言うのでしょうかね、言葉遣いはちょっと微妙ですけれども、日本国政府としてはね、もう少し考えた方がいいのではないかと。例えば、中曽根さんも1回参拝になって、1回ですか、ちょっと回数、すみません覚えていませんが、中国、韓国から批判を浴びて、おやめになりましたよね。そうすると彼は、公人である中曽根という人と、自分の、個人の心の問題をですねどういう兼ね合いで判断されたか、直接聞いていませんから分かりませんけれども、外交政策のぎくしゃくぶりを見ているとね、中曽根総理の当時の判断の方がすっきりしていると私は思いますけれども、いかがですか。
答:
今ですね、御意見、御質問に、私もそろそろ決着付けた方がいいのではないかと。これは、全くそのとおりだと思うのです。それは、戦争が終わって、69年目に入りますね。そして、主権回復してから、61年目になるわけです。いつまで、そういったことでもって、問題にして、議論していくのだろうかというのを、私も同じ思いが有るのですよ。普通に、自分が行きたいときに、誰でもが行ける。神様に心を、手を合わせてですね、先祖に思いを致し、先達に敬意を表する。これは自然のことであって、そして、しかもそれは日本において、この、魂の問題、霊に対する尊崇の念というのは、これは日本人がみんな共通してもっていることだと思うのです。ですから、それをですね、問題にすることの方がおかしくて、私も、何か例大祭であるとか、そういった日に行くと、行くのですか、行かないのですかと、散々聞かれるのですよ。でも、さっき申し上げましたけれども、私は、初詣も行きますから。子どもの誕生日のときも行きますし、いろいろな何かでもって都合が付けば行っているのですよ。そのとき、何も言われていません。同じことをやっているのですよ。ですから、私自身は、こういった問題が特別なものになること自体をやめた方がいいのではないかと、このように思っていますし、そしてまた、それは周辺国にもですね、特に、中国と韓国の皆さんには、理解をしてもらいたいと思いますね。そもそもが、内政に対してのですね、私は、どうして他国が、どこに行っていいか、悪いかなどということを言ってくるのかが、そこが、お気持ちが、どういう気持ちで言っているのかというものは、これは、受け止めなければいけないと思います。過去への反省、そういったものは、私たちは常に持っていますし、国家として、もう何回もそういったことについてお気持ちを示して、また、誠意を行動で示してきたというふうに思っています。ですから、ほかの国のことについては私は申し上げませんけれども、今、あなたがおっしゃったように、この問題を、そうやって問題としていつまで続けていくつもりなのかというのは、そろそろですね、自然の形で自由にすれば、自由な中でですね、心の判断にお任せすればよろしいのではないでしょうかというように私は考えております。