縄文人の反乱 日本を大事に

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●言葉(ことば)と言霊(ことだま

2011年11月30日 23時00分53秒 | 色んな情報
●言葉(ことば)と言霊(ことだま
聖書などには「はじめに言葉ありき ヨハネ 」知有る。
言葉は大事なもので他に伝達して理解して貰う原点に成る。
和はマッサージの仕事で客に対した時に相手は最初の指が身体に触れた瞬間から緊張し始める。
「仕事忙しいですか」と問うことが多い。
時には「大分溜まってますね」と二本目の指当てる頃にタイミングよく発している。
長年の慣れか相手のリズムにその時ピタリと合っている。
それが相手の気を解しスーっと懐に入っている。
ほとんどこれは意識していなくて今その時の情景思い出して感じたことを言葉にした。
三十年近くしていると仕事のタイミングなどはいつの間にか自然に出てくるように身に付いている。
先日はこの言葉のかけ間違いである客を怒らせてしまった。
言葉は大事なのを判っていても失敗はする。
かけ方一つで相手に飛び込んでいける。
人生の中でこの仕事についてから失敗は少なくなった。


昔こんな事を聞いたことがある。
宗教団体に行きいろんな話を聞くのが若い頃は大好きで出入りして色んな事を聞く。
お互い慣れてくると宗教以外のことまで話す。
その団体の人はあまの直接関わっていない事例で明治時代にはこの日本で呪文唱えるだけで天候を変えるような霊能者が二万人くらい全国にいたと。
恐らくは陰陽師や霊能者のたぐいの流れを汲み取った人たちではないかとその時感じた。


九州に戦時中ある牧師がいて一杯の水と一杯のご飯からその周りにいた何百人の食事を出したと。
コレも呪文の成せる技かもしれにい。
聖書の中にも似たような話があると聴いたことがある。
先日インドの聖職者でサイババなる人物が他界したとか聴いたけれども彼の人が何年も前に手から金粉を出したと聴いたことがあるけどコレも呪文ではないかな。

言葉とはかくも大きな力を持っている。

はドア説は聴いたこと有ると思うけどこの世に存在するものは総て波動でできていると。
光も音も波で伝わっていく。
決してタダ飛んでいくものではない。
眼に見えないほど細かくて早いから直進しているように見えるだけ。
呪文は音でエネルギーもちからもあるる

日本の言葉のもとのご音は総て驚愕音で あ い う え お びっくりして出す音だと。
一音一音音に出してみると判ると思う。

ある人は このご縁が世界の言語の基本だと言っていた。
私は信じる。
又コレも一考と聞き流しても差し支えない。


呪文知ってて雨降したり晴れにできたら あまり良いことはないかな。

●言葉 http://bit.ly/vHlLas
言葉(ことば)は、話す・書くなどの行為をする事によって情報伝達手段となりうる、意味があるものの総称。
心・気持ち・思い・考え等を表す手段の一つである。
学術的分野では、「言語」とも称される。

ただし、日本語で「言葉」というと、言語の中で用いられる語を意味することも多い。

脳の意識が明確な状態で心に発生する感情・思考等は、言葉・映像・音声により想起されるが、これを自分以外の者に伝達する手段は、何等かの手段により音声化された言葉・音、筆記された文字、又は描かれた絵である。
人が無意識の状態で思考している可能性は否定出来ないが、意識回復時に記憶に残る可能性が低いため断定する事は困難と考えられている[要出典]。

全ての言葉には対応する概念が少なくとも一つ存在する。一方、概念の中には対応する言葉のないものがある。人は言葉によって認識を共有する事が容易となる。
反対に、言葉に出来ない思考・概念は、伝達する事が困難である。


・はてなキーワード > 言葉 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%C0%CD%D5
他者との連絡手段・コミュニケーション手段。
意味を表す単語
人間は言葉(単語)を積み重ねて、ものごとを考える。意味や理屈の最小単位。
感情表現の手段
人間は言葉を用いて喜怒哀楽を伝える。
意思表示の手段
人間は言葉によって“意見”をつくりあげ、言葉によってその“意見”を他人に伝える。
(例:「黙ってたら、分らないじゃないか!」)
言葉を否定する行為に、暴力、圧力たとえば緘口令、口止め料などがある。
(例:死人に口なし)


・言葉の機能
言葉には、主に以下の機能がある。
伝達機能(思考や感情を他者に伝える)
分類機能(ものごとの意味を区別する)
思考機能(ものごとを考える個々の要素が言葉)
さらに文字で表すことにより

記録機能(ものごとを記号化して長期に保存する)
言質機能(争いが起きた時の責任を明示する証拠とする)
宣伝機能(より多くの他者に伝達させる)
などがある。


・けとば 【▽言葉】三省堂 大辞林
〔上代東国方言〕ことば。
「父母が頭掻き撫で幸(さ)くあれて言ひし―ぜ忘れかねつる/万葉 4346」



●言霊 http://bit.ly/rWj8sV
言霊(ことだま)とは、日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。
言魂とも書く。
清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。


●言霊☆言霊の不思議な世界! http://bit.ly/rZXUFy
●~言葉に宿る神秘なる力~  http://bit.ly/w1b4X5

言葉遊びと口遊【くちずさみ】

2011年11月30日 18時29分57秒 | 色んな情報
言葉遊びと口遊【くちずさみ】
同じ遊の字を使っても片や字の通りで形や口遊【くちずさみ】は教科書。
日本て本当に面白い国だ。

言葉遊びは沢山有る。
以下に書き出してみた。

判っている範囲でこれだけのものがある。
いかに日本人は 昔から言葉遊びの好きな民族だというのが理解できる。
先人は時間つぶしにこんな事シテイた。

言葉遊びに入るかはどうか知らないけど平安時代などは和歌で競ったりした。
何と言う名前の遊びか今思いつかない。
みなさんで探してみてください。


●言葉遊び(ことばあそび)は、言葉の持つ音の響きやリズムを楽しんだり、同音異義語を連想する面白さ可笑しさを楽しむ遊びである。http://bit.ly/vEXuui

日本語における言葉遊びでは、表音文字であるかなの表現の背後に表意文字である漢字での本来の表記を絡めて、隠れたユーモアをより発揮する例もある。

一般には主にこどもの遊びや駄洒落として認識されるが、有名なものにはマスメディアで発表・流布されたものがあったり、寿限無を代表とする落語などの芸能の演目に残る古典的なものもある。

また、本来の意味から転じて、支離滅裂な詭弁や戯言を指して「言葉遊び」と呼称することもある(例:つまらない「言葉遊び」は止めろ)。


◆ 代表的な言葉遊び
●ぎなた読み(ぎなた よみ、異称:弁慶ぎなた式[べんけいぎなた しき]、英語訳:rading by false groupings)は、日本語における言葉遊びの一種。 文章の区切りを間違えて読むこと、および、わざと文章の区切りを意図的に変えて読むことを言う。
日本語以外の諸言語にも同様の言葉遊びは存在する。http://bit.ly/sWhDdf


●ことわざパロディとは、ことわざをもじって、面白く、可笑しくしたものである。もともとがリズムを持った口調のよい言葉なので、その良さと言葉の置き換えによる意味の変化、あるいはその内容の変さが笑いに繋がる。漫才やコントで使われる他、新聞記事の見出し等に使われることもある。http://bit.ly/tNJVhg

1960年代には日本のSF作家の間でも流行ったと筒井康隆が記しており、その時の産物のひとつ『狂気の沙汰も金次第』は彼の作品中にも何度か使われている。ちなみに、星新一のそれが秀逸であった由。

2008年に発刊された文藝春秋の日本語特集号では、詩人の森真紀が創作したことわざパロディが紹介されている。なお、森真紀はことわざパロディの専門書である『悪妻盆に返らず』(まどか出版、2004年)、『日本語ごっこ』(まどか出版、2005年)も執筆している。


●しりとりとは、言葉遊びの一つである。参加人数は何人でもよい。
古い語法として用いられたこともあるという。

本項では日本語のしりとりについて解説する。
http://bit.ly/sXkhlf


●たほいやは辞書を利用して行うゲーム。
http://bit.ly/swwTjz


●つみあげうたとは、文章に後から文をどんどんと継ぎ足していく言葉遊びのこと。「きりなしうた」とも言う。
http://bit.ly/skgR5p


●倒語(とうご)とは、言葉を逆の順序で読む言語現象。逆読み、逆さ読み。「てぶくろ」→「ろくぶて」など。
http://bit.ly/sZM0MC


●どちらにしようかなとは、子供の数え歌の一種で、遊びの鬼ごっこの鬼など、主に何かを選んで決めるときに使われるもの。地方によってさまざまなバリエーションがある。
http://bit.ly/swkFeF

●なぞかけとは、なぞなぞの一種と言える言葉遊びである。なぞなぞを「単式なぞ」あるいは「二段謎」と呼び、このなぞかけを「複式なぞ」あるいは「三段謎」と呼ぶこともある。
http://bit.ly/sCNBFm


●もじり句
段駄羅 (だんだら)は石川県能登半島の輪島で、漆塗り職人の仕事場を中心に、かつて大流行した五七五の短詩型文芸で、言葉の二重構造を楽しむ言葉遊びのこと。
形の上では俳句や川柳と同じく五七五であるが、中の七音が二つの異なる意味を持って、上の五音と下の五音につながる構造をしている。
もじり句ともいう。江戸時代に始まった文芸で、300年近い歴史を持っている。最近、能登地方の人々を中心に見直され、復活の兆しが見られる。
http://bit.ly/uvZxI1


●アナグラム (anagram) とは言葉遊びの一つで、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって全く別の意味にさせる遊びである。

文字列を逆順にして一致するかどうかを調べればよい回文とは異なり、単純に考えて異なるN種類の文字列ならNの階乗通り(例えば5文字なら120通り)の並べ替えが可能なので、意味のあるアナグラムを一瞬で見つけるのは困難である。
逆にそれだけの可能性があるため、大抵の言葉は(強引な意味づけをすることで)アナグラムになりうる。

例えば「アナグラム」から「グアムなら」などのアナグラムを作ることができる。
http://bit.ly/vHdxFv


●アンビグラム(ambigram、またはinversion, flipscript)とは、語を与えられた形式だけでなく、異なる方向からも読み取れるようにしたグラフィカルな文字のこと。
テキストはいくつかの語からなる場合もあり、異なる方向で綴られたテキストは同一のものであることが多いが、違うテキストになることもある。ダグラス・ホフスタッターはアンビグラムを「2つの異なる読み方を同一のひとそろいの曲線に何とかして押し込める筆記体デザイン」と述べている。

わかりやすく言うと、文字を180度回転させたり、鏡に写したりしてできるデザインのことで、多くはシンメトリカルで、同じ語に読める。
http://bit.ly/vr40aD


●ダズンズ(The dozens)とはアフリカン・アメリカン(黒人)の伝統、習慣のひとつ。
観客がいるところで、1対1で互いに相手の母親に関する罵りの言葉を言いあって、先に怒ったり言い返せなくなったほうが負け、というゲーム。うまい人は尊敬される。
目的は罵倒や喧嘩をすることではなく、馬鹿にされても怒らない精神力の強さや言葉の表現力を競うこと。フリースタイルのラップの源流といわれ、ラップの発展の一要素といわれている。見ている観客は対戦者同士のやり取りに対して、野次や賞賛の言葉をそのつど叫ぶ。すばらしい勝ち方をした場面では「ああ!おわりだ!("Ohhhh! Burn!")」と叫ぶ。
http://bit.ly/tjDim6


●ハナモゲラは、山下洋輔一派、「ジャックの豆の木」常連客の間で流行した言葉遊びのひとつ。

ハナモゲラの他には「デタラメ外国語」「解かない謎解き」「観念シリトリ」などがある。
1970年代半ばから1980年代初頭にかけて隆盛を奮った。
ハナモゲラの様式を使った言葉をハナモゲラ、あるいはハナモゲラ語という。タモリの持ち芸として有名。http://bit.ly/uGE8bZ



●パングラム (pangram) は、アルファベットを使用する言葉遊びである。ギリシア語で「すべての文字」という意味がある通り、すべての文字(26個のアルファベット)を使い文章を作るのが目的である。
同じ文字を複数回使用するのはよいが、短い文章の方がよい。
あるいは、少し長くても他に意味のあるものは評価される。

文の作成において、パングラムは文字の種類を減らそうとするリポグラム (lipogram) と正反対の位置にある。

今日では、パングラムはフォントのサンプルの表示にも利用されている。

最もよく知られたパングラムの1つに"The quick brown fox jumps over the lazy dog"(あるいは"The quick brown fox jumped over the lazy dogs.")がある。
これらは、タイプライターのテストなどに用いられる。
http://bit.ly/t8bTkX


●マジカルバナナ
http://bit.ly/w2a2t2


●回文、たいこめ
◆たいこめとは言葉遊びの一つ。ある文を後ろから逆に読み返ると、全く違う意味の通る文のこと。
「たいつりぶねにこめおしだるま(鯛釣り船に米押しダルマ)」の略で「たいこめ」。同文をひっくり返すと別の文章が現れることから、略して「たいこめ」と呼ばれている。
同様の言葉遊びに「雲雲崖にこんち旅無し(くもくもがけにこんちたびなし)」「飛べ飛べツチノコ(とべとべつちのこ)」といったものがあり、地方、時代によって様々なものが存在したことが伺える。
◆回文(かいぶん)とは、「竹藪焼けた」(たけやぶやけた)のように始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列のことで、言葉遊びの一種である。英語では palindrome という。
http://bit.ly/uz4THV


●空耳 (言葉遊び)
言葉遊びとしての空耳(そらみみ)は外国語の音を何らかの意味を持った日本語に聞こえるように工夫したり、日本語の歌を意味表現としては不自然な音の区切り方や歌唱法によって、異なる日本語に聞こえてしまう事を利用する替え歌などのことである。

・実際にはない声や物音を聞いた様に思うこと。⇒幻聴
・聞こえても聞こえない振りをすること。「空耳を使う」「空耳を潰す」「空耳を走らす」
・タモリ倶楽部のワンコーナー、空耳アワー。
http://bit.ly/rHIwfG


●見立て
見立て(みたて)とは、ある物の様子から、それとは別のものの様子を見て取ること。その別の物で対象物を言い表す、一種の言葉遊びとしてもよく見られる。比喩遊びとも言う。

日本では文人の遊びとして、ひとつの流れを作っており、芸術表現としても和歌、俳諧、戯作、歌舞伎などで広く見られる。

落語では、特殊な道具を使わず、限られた決まり切った道具として扇子や手拭いだけを用い、様々な情景を表すが、これも一種の見立てである。たとえば扇子を閉じた状態で、ある時はこれを煙管に見立て、煙管として使ってみせ、又あるときはこれを箸に見立て、蕎麦をすすってみせる、という具合である。

横溝正史の金田一耕助シリーズには見立てによる殺人現場がしばしば顔を出す。代表作のひとつ『獄門島』では三人の被害者がそれぞれ三つの俳句の見立ての形で殺される。たとえば、殺した少女の足を帯で縛り、庭の桜から逆さ吊りにしたのは、『鶯の 身を逆さまに 初音かな』(其角)の見立てであった。
http://bit.ly/uXNJNq


●Category:日本の言葉遊び
http://bit.ly/vG8lCq


●語呂合わせ(ごろあわせ)とは、文字を他の文字に換え縁起担ぎを行うものや、数字列の各々の数字や記号に連想される・読める音を当てはめ、意味が読み取れる単語や文章に置き換えることを指す。電話番号や暗証番号、数学など元の数字列が意味する事象を暗記する場合に使われる。
http://bit.ly/trdcPr


●山号寺号(さんごうじごう)は、落語の演目の一つ。別名『恵方参り』ともいう。

また、この落語の内容から、「○○さん○○じ」という言葉を見つける言葉遊びも指すようになった。

ほとんどの寺院には「○○山○○寺」という呼び名があり、この山号と寺号を合わせて「山号寺号」と呼ぶ。
http://bit.ly/uEgPNS


●折句、あいうえお作文、縦読み
■折句(おりく 英:acrostic)とは、ある一つの文章や詩の中に、別の意味を持つ言葉を織り込む言葉遊びの一種。句頭を利用したものがほとんどである。
http://bit.ly/utQish
■あいうえお作文(あいうえおさくぶん)は、言葉遊びのひとつである。
http://bit.ly/sUvGbl
■縦読み(たてよみ)とは、言葉遊び(折句)の一種。一見すると通常の文章だが、各行の頭文字をつなげるとメッセージが表れる文章である。

読ませたい文章や単語を先に決め、縦に読むとそれが現れるあたり、あいうえお作文と似ているが、ほとんどの場合、意図的に読み方を変えさせるよう作ったものであるため、正確には異なるものといえる。違いは後項で詳しく解説する。
http://bit.ly/uZwHjG


●早口言葉(はやくちことば)は、言いにくい言葉を通常より早く喋り、うまく言うことができるかを競う言葉遊び。

アナウンサーや俳優など、人前で話す職業に従事する人が滑舌を鍛える発声トレーニングに用いる場合もある。
http://bit.ly/w5cXli


●駄洒落、地口
■駄洒落(だじゃれ)は同じあるいは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び。雑俳の一つとしての「洒落」は言葉の一部分を母音とイントネーションが同じ語、母音が同じ語、同音異義語などを当てはめるものである。例「蝶々一本さらしに巻いて(包丁一本サラシに巻いて)」。言葉遊びの「洒落」は知識と教養を示す気の利いたものであったが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーからの揶揄を込めて「駄」の文字を冠した。洒落の文化が失われるにつれ、それを文化として持たない若者からはおやじギャグと称されるようにもなる。古くは地口とも。

判りやすい遊びの一種であるため、語彙が増えだす小学生などの低年齢の人がこれを用いてコミュニケーションの円滑化をはかることがある一方で、大人が条件反射的に特に若い世代に対して用いると逆にコミュニケーションの円滑化を損ねることになる場合もある。
http://bit.ly/uxia1f
■地口(じぐち)は、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びである。発音が似た単語を用いるため、駄洒落よりも創造性に富み、作成するのも比較的容易であり、また、形態も多様化している。

語呂合わせと同様に扱われるが、例えば円周率のπを「産医師異国に向こう」と憶えるような側面はこの地口にはなく、意味する範囲は語呂合わせより狭い。
http://bit.ly/ugLjsr


●入れ詞(いれことば)とは、各音節のあいだに別の音節を挿入して、無意味な文章をつくりだす遊び。また、そのような文章。挟み詞(はさみことば)、唐言(からことば)とも言う。江戸時代に遊里の隠語として使用されはじめ、のちに言葉遊びとしてひろまった。
http://bit.ly/uN0eUr


●無理問答(むりもんどう)とは、言葉遊びの一種である。 現代日本においては全くルールの異なる2種類の遊びが無理問答と呼ばれている。
http://bit.ly/vHhdMD

●ルー語(るーご)とは、
ルー語 (言語) - タイ・カダイ語族に属する言語。
ルー大柴が用いる、日本語に英語のフレーズを交えた話法。
http://bit.ly/uKFWnu


●ピッグ・ラテン -英語の言葉遊び
ピッグ・ラテン(豚のラテン語;英語:Pig Latin)は、英語の言葉遊びのひとつ。おはよう(Good morning)をピッグ・ラテンで言うと、oodgay orningmayとなる。ピッグ・ラテンは子どもが大人や他の子どもと楽しんだり、内緒話するために用いる。反対に、大人は子どもに知ってほしくない敏感な話題を話すときに時々使う。英語話者の旅行者は、英語が第2言語の国を旅行する時、話していることを隠すためにピッグ・ラテンを時々用いる。
http://bit.ly/udV54X






こんな言葉遊びも日本の国の歴史に溶け込み一体となってこの国を創りだしてきた。
コレが日本民族と言われる所以である。
この日本列島に人が定住し始めてどのくらい経ったのかは定かでない。
我々の先祖は本当に馬鹿な民族。
絶対に他の国のものが真似のできない民族である。
世界広しと云えども この日本民族と対等に渡り合える民族は存在しない。
惡賢さでは他国には負けるけど。
他国の人が日本人と同等の立場で同じ土俵に乗って渡り合ってくれるとは絶対に思わないこと。
沢山調べてこれだけは私が理解できたこと。
他国の人を責めているわけではない。
何十億人とこの地球上に住んでいて分かる人もいるとは思えるけど。

今回も変な私見が入ってしまった。

コレも一考と笑い飛ばして下さい。

馬鹿だから。





●くちずさみ【口遊】http://heianjiten.fc2web.com/kutizusami.htm
源為憲が書いたの貴族子弟のための教科書。

乾象、時節、官職、人倫、禽獣など19部門に分け暗唱できるようにまとめてある。
九九や子丑寅卯…という今もよく使うものから夜道を歩いていて死体に会ったら唱える歌まで様々ある。
成立 970年。源為憲による。


●口遊【くちずさみ】百科事典マイペディアの解説.
平安中期の幼学書。
源為憲が藤原為光の子の誠信(松雄君)のために書いた。
970年成立。
口に唱えて暗誦しやすいように編集されている。
九九の表や,〈たゐにの歌〉として知られる五十音を覚えるための〈太為爾伊天…〉の字列などを含む。


●口遊 - Wikipedia http://bit.ly/tDn3mx
口遊(くちずさみ)は970年(天禄元年)成立の学童向け教科書。全1巻。「くゆう」とも訓じられる。作者は源順門下の源為憲で、太政大臣藤原為光の子で当時7歳の松雄君(のちの誠信)のために編纂されたもの。

乾象(天文)・時節・官職・人倫など19節にわけた様々な知識を、暗唱しやすいよう短句としてまとめ、それに解説を付した。以呂波歌に先行する字母歌として有名な「あめつち」や「たゐに」、掛け算の暗唱句である「九九」、十二支(子丑寅卯…)などを収録し、類書である『二中歴』・『簾中抄』・『拾芥抄』の先駆となった。

所収の知識としては「夜道で死人に会ったときに唱える歌」や「三大建築物」「三大橋」など興味深いものがある。唯一の伝本として1263年(弘長3年)書写で大須観音(真福寺)所蔵の「真福寺文」が重文に指定されている。1997年(平成9年)には勉誠社(現勉誠出版)から『口遊注解』が出ているが現在は品切れとなっている。


●「口遊(くちずさみ)」の数学 http://www.geocities.jp/yasuko8787/6-s1.htm

神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)と神字

2011年11月30日 17時05分01秒 | 色んな情報
神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)と神字
神代文字については何度か書いてきた。
最近 神字というものを知った。
いろんな表現があるもので日本語の表現の豊富さを改めて知らされている。

私はこうして書いているけれども中身について実際は余り理解していない。
それでもこの文字たちには引かれている。
見ているだけでも何か自分のふるさとへ帰った感じがする。

人は笑うかも知れないけれど。
漢字を創りだしたのは日本人では無かったのかと荒唐無稽の説が最近飛び出してきているのは確か。

マダマダ検証の段階で否定はされているけど。
その神代文字は、世界中の古代遺産に残された文字を全て解明できると言われています。

橋本進吉氏の提唱する古代8母音説により、イロハ47音 ・あいう50音で構成されている神代文字は、平安以降の偽作であるという証拠として 現在迄学界での通説となっています。
ところが、この常識となっている根底を覆すような学説が提起されたました。なんと!「古代の日本で使われていた日本語はあくまでも5母音であったが渡来人の影響で8母音になった。」という説が浮上してきた。
という解説が最近されているようで ほとんどすべての古文書は紙に書かれていて虫食いだらけで刊本としての形態で残っているものはなくて写本されたものばかり。
古事記も日本書紀も原本はない。
源氏物語も意訳の写本が昨年だと思ったけれど京都で発見されている。
中身は所々違っているそうです。
どちらかイヤ両方共 写本者の創作が入っているはず。
虫食いで読めない部分は何かの形で補完しないと完本に成らない。

どの古文書もより多くの苦難を乗り越え現存している。

長野県の神社らは木の板に書かれたものが現存しているという。

気ならば加工した紙よりもより長い保存はできる。

ぜひ炭素年代測定が出来るならして欲しいもの。

何と言っても世界一古い遺跡の大平山一号古墳が日本には存在する。
●『日本を楽しんで 「大平山元|遺跡(おおだいやまもといちいせき)」1万6500年前(縄文時代前)』 http://amba.to/t70Z0T


●神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたと称される日本固有の文字の総称である。http://bit.ly/rCPWcr



●神字とは http://hojoakari68.web.fc2.com/shinji.html
漢字渡来以前、神代から日本にあったといわれる文字。日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留(あひる)文字など の類で神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とも言う。
神代文字は、神の意志を伝えるために使用されていたが、後 に人と人との間でも使われるようになった。これが、文字の始まりである。

・文字エネルギー
文字は言葉、言葉は文章になり、全細胞から流れだす気力を指先一点に集中して呼吸を整え気を丹田に置き全精力を傾 け作品にエネルギーを注ぎこむ。

神字の文字には一文字一文字に神様のエネルギーが宿りパワーがありますのでその方のお名前を作品に書く事で自身の 霊性、運気向上、エネルギーを上げ場のエネルギー向上に繋がると思われます。
個人の場の波動が上昇すると世界の波動も変化し良い方向に向かうことを節に願います。



●神 字 http://homepage2.nifty.com/Gat_Tin/kanji/sinji.htm
 仏教以外の,道教、儒教、神道などの経典名、神名、護符、呪符等に限って用いられる文字です。漢字とは別体系と考えられる神代文字は除きます。
 複数の漢字を組み合わせた合字もよく用いられます。



●神字日文伝(かむなひふみのつたゑ)(しんじひふみでん)
江戸後期の語学書。2巻。付録1冊。平田 篤胤(ひらたあつたね)著。
平田篤胤は、『古史徴開題紀』の「神世文字の論」で神代文字の存在を論理的論述した。

そして、その実践研究篇として『神字日文伝』で日本各地に散在していた13種の神代文字を蒐集し、分類・整理したもの。
13種の神代文字を一体如く論じ、神字を否定した賀茂真淵や本居宣長らを批判し、古代文字の存在を力説す。

また、神代文字を真書、草書の両系統に分類、数多の神代文字に特に太占の兆の形を連想される阿比留文字(物部文字)を最も信用できる日文(ひふみ)とす。
それ以外真偽不祥の文字を『神字日文伝附録』こと『遺字篇』に収録。


●日本古代文字学の夜明け?http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/yoake.htm

●江戸期の儒者貝原益軒、太宰春台等が神代文字の実在を否定したのに対し、尾張国八事山興正寺の僧・諦忍は宝暦13年に「以呂波門弁」を著し、猛烈な勢いで神代文字の実在を説いた。
これに対して、同じく尾張国の僧・道楽庵敬推が反論したのに対して、諦忍は「神国神字弁論」を著し、「神字厳然として、今に名山霊窟に存在せり」として、実例をあげて詳細に反論を加えた。
この二著は近世における神代文字肯定論の嚆矢とされるが、奇怪なことに国会図書館にもなく、実物を見た人は殆どいない。


●5.神代文字について http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/episode05.html
●謎解き : 古代文字で書かれた社伝記を読む http://utukusinom.exblog.jp/i8/
●前置詞としての「神」http://www.dai3gen.net/kami_pre.htm

●日本語上古代文字(神代文字)考 http://bit.ly/vRj5Cf

●神代文字総覧神代文字の否定論拠としては、橋本進吉氏の提唱する古代8母音説により、イロハ47音 ・あいう50音で構成されている神代文字は、平安以降の偽作であるという証拠として 現在迄学界での通説となっています。http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/sinmoji.htm

 ところが、この常識となっている根底を覆すような学説が提起されたました。なんと!「古代の日本で使われていた日本語はあくまでも5母音であったが渡来人の影響で8母音になった。」という説が浮上してきたのです。

●神代文字 by ARATI-WORLD(アルティーワールド) http://www.arati-world.com/kamiyo-moji.htm
 日本語と外国語の違いは、外国語はただの通信手段としての言葉であり、日本語の五十音は真理(神の理・神理)と対話する言霊と言われ、一つ一つの仮名文字にも意味があります。
縄文時代からの神道の祝詞(ひふみよいむなや・・・・・・)や神代文字として綿々と受け継がれてきた言葉(言霊)です。
その神代文字は、世界中の古代遺産に残された文字を全て解明できると言われています。
それは日本発の文化が古代に花開いており、その遺産として残った産物であると言えるでしょう。

●古史古伝と神代文字 http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm
古史古伝とは、神代を歴史的叙述の対象とし、神代文字に関する伝承を有する古文献と称されるもので、多くは没落した民族の伝承と伝えられ、アカデミズムに史料的価値を認められない共通性がある。


●神代文字について - 書の霊智塾  http://www.kamiyo.org/kamiyo/kamiyo.html
神代文字は、神の意志を伝えるために使用されていましたが、後になって人と人との間でも使われるようになったのです。
それはあくまでも、文字には言霊と共に神の波動が入り、それを書くことによって相手に良い影響を与えていたのでした。

そしてこれが、文字のはじまりであり、意味なのです。

●神話の森 Home > 日本の神話 http://nire.main.jp/rouman/sinwa/keizu1.htm
●神代文字-日本的霊性 http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/kamiyomoji.html
日本の古代史の謎の一つに「神代文字」がある。
この神代文字は由緒ある神社に使用されていたり、古文献が発見されていたも「偽物」とされているのが現状である。。
日本には漢字が入る前までは、文字がなかった・・・。本当にそうなのだろうか・・・・


忍者とはこんな者たち(広義だと陰陽師なども入るかな)

2011年11月30日 08時15分42秒 | 色んな情報
忍者とはこんな者たち(広義だと陰陽師なども入るかな)
「戦国時代」における 陰陽師 とは? http://bit.ly/up2Msf に結構面白い記事が出ている。
身体能力に優れ、厳しい規律に律された諜報集団という面の他に、優れた動植物の知識や化学の知識を持つ技術者集団としての一面も持つと書かれている部分で前半部分が後半部分が陰陽師にかぶさるように思える。

近年 北斎や芭蕉が忍者ではなかったかと疑われている。
いろんな説があり 調べれば調べるほど奥が深くなっていくのが日本の歴史文化である。
それだけかけ離れているように見えるものでも何らかの形で一般庶民も関わっていたものだからではなかろうか。
色んな事を調べれば調べるほどルール正しい日本が見えてくる。
今でもアメリカのGHQの日本骨抜き作戦をしようとした日本に対する白人の恐怖心が見えてくるのは私だけかな。
縦糸と横糸でシッカリ編まれた大きな丈夫な布(歴史や習慣)を切り刻まないと彼らは眠れないのかも知れない。

あれだけ戦後教育で日本人を貶める教育をして来てもマダマダという感じで迫ってくる。

東北地震で見せた日本人の冷静沈着な行動力を見て。

●忍者(にんじゃ)とは、鎌倉時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕え諜報活動、破壊活動、浸透戦術、暗殺などを仕事としていたとされる、個人ないし集団の名称。その名は日本国内にとどまらず、世界的にもよく知られている。http://bit.ly/vLrFK0

領主に仕える隠密行動を主体とする集団。戦国時代まで、忍者は地域的に集団化した特殊な階級であり、武士や足軽といった身分の集団とはまた別の立場にあった。

忍者、忍術は日本国内各地で集団を形成していた。
その中でも伊賀と甲賀は良く知られている。
忍者は上忍、中忍、下忍に身分が分かれており、上忍は伊賀では郷士(地侍)で、地主として小作人である下忍を支配していた。
中忍は下忍達を率いる小頭(こがしら)である。甲賀では上忍ではなく中忍が最高位とされていた。
実際に各地の戦国大名に雇われていたのは下忍達だったと言われている。
中世にはどの村落も軍事力を備えていたが(江戸時代に武装を必要としない安定を見る(→兵農分離)までは、あらゆる階層が武装していた)、その軍事力は村落の自衛に用いられることもあり、また村落外の勢力に傭兵のように貸す場合もあった。
外から連れてきた子供を訓練することもあり、伊賀では脱走者(いわゆる抜け忍)は探し出して処罰したと言う。

忍者は様々な特殊訓練を行い、特殊な道具なども所持しており、この道具を「忍具」、逃走術を含む種々の技術を「忍術」と呼ぶ。
忍術は密教、陰陽道や、修験道の行者が用いた術(九字護身法、山嶽兵法など)とも関係があるとされ、現代に伝わる古武術には忍術の名残りが見られるものもある。

『萬川集海』によると、忍術には「陰忍」と「陽忍」があるとされる。
陰忍とは、姿を隠して敵地に忍び込み内情を探ったり破壊工作をする方法であり、一般的に想像される忍者とはこの時の姿である。
対して陽忍とは、姿を公にさらしつつ計略によって目的を遂げる方法である。いわゆる諜報活動や謀略、離間工作などがこれに当たる。
近年の研究では、身体能力に優れ、厳しい規律に律された諜報集団という面の他に、優れた動植物の知識や化学の知識を持つ技術者集団としての一面も持つことが判っている。

戦前は「忍術使い」といった呼称が一般的だったが、戦後は村山知義、白土三平、司馬遼太郎らの作品を通して、「忍者」「忍びの者」「忍び」という呼称が一般化した。
江戸時代までは統一名称は無く地方により呼び方が異なり、「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ、“スッパ抜き”という報道における俗語の語源)」「水破(すっぱ)」「出抜(すっぱ)」「突破(とっぱ)」「透破(とっぱ)」「伺見(うかがみ)」「奪口(だっこう)」「竊盗(しのび)」「草(くさ)」「軒猿」「郷導(きょうどう)」「郷談(きょうだん)」「物見」「間士(かんし)」「聞者役(ききものやく)」「歩き巫女」「屈(かまり)」「早道の者」などがある。

●くノ一について http://bit.ly/szrwZy
女性の忍者も存在していた。
彼女たちのことを「くノ一(くのいち)」(“女”という文字を「く」「ノ」「一」と三文字に解体し呼称するようになった隠語表現)とする表現が一般的である。
異説として鼻、目、耳、へそ、肛門などの人体にある九つの穴(鼻は一つの穴と数える)に加え、女性は穴が一つ多いことから「九の一(くのいち)」として呼んだという説も存在する。
しかし穴の数え方が資料によってまちまちのため(例えば、へそではなく尿口を数えるなど)の説もあり、信憑性は今ひとつである。
また「くのいち」という呼び方自体が山田風太郎の創作とする説もある。
「くのいちの術」と言って女性を使った忍術は存在するが、忍者を題材にした映像作品や漫画作品などで登場するような女忍者は存在しなかったとも言われる。
しかし女忍者が女中になりすまし城に潜入したという記述も残っており、女中達の「女の噂好き」を利用した諜報活動でかなりの功績をあげていたとされる。
また史実に登場するくノ一で有名なのは、武田信玄に仕えた歩き巫女の集団がある。
詳細はくノ一の項が詳しい。

●黒装束について
「全身墨染めの黒装束」「その中には鎖帷子を纏い、顔には墨を塗っている」「背中に刀」「夜陰に紛れて敵地に侵入する」という印象で描かれることが多いが、黒は夜に像が浮いて見えることから、紺色もしくは柿の熟したような色の衣装を使用していたとされる。
現存する「忍び装束」とされる物も、ほとんどが柿色系統である。
黒色よりも柿色の方が安価に製造できたからとする説もある。
この衣装は、元々は甲賀地方(現在の滋賀県南東部)や伊賀地方(現在の三重県西部)で使われていた山着、野良着が元とする説がある。
また、その状況に合った服装(町中では町人の格好、屋敷などに侵入する場合には使用人の格好など)、すなわち変装を用いており、特に虚無僧・出家・山伏・商人・放下師(ほうかし、大道芸人、奇術師)・猿楽・常の形(つねのなり、武士や農民)の七つは「七方出の術(七化)」と呼ばれる。
また、「専用の」装束などを着用することは稀で、黒装束については、歌舞伎などに登場させる際に黒子のように観客に対して「見えない存在であること」を表現したものが後に、現実にもそのような格好で活動していたと誤認されたとする説もある。
戦うよりも逃げることに重点を置いていたため、通常は重い鎖帷子は着用しない。
漫画表現では、鎖帷子を簡略に描いたことから、網シャツのようなものを着たキャラクターデザインに発展した。
背中に刀を背負うと動くとき邪魔になるため、通常は普通の武士のように腰に下げるが、床下などに潜むときは狭い所でも動き易くするため、また刀自体を盾代わりとするために背負った。

・歴史
・発祥と変遷
広義の忍者、忍術の起源は人類の歴史とともに古く遡ることができる。
その発祥については日本発祥説の他に、インド発祥説、中国発祥説などもある。
『孫子』用間篇を始め、古来、間および諜を説く兵書は多い。
飛鳥時代には、聖徳太子が、大伴細人(おおとものほそひと)を「志能備(しのび)」として用いたと伝えられる。

・狭義の忍者、忍術は源平時代以後に日本で発祥したものである。
忍者、忍術は日本国内各地に分かれ、いくつかの集団を形成していた。
文献上にその名が見られる忍術流派は71流を数え、伝書及び資料の確認される流派は31流とする説がある。
中でも甲賀や伊賀を本拠としていた忍者集団は有名である。
これらの場所には多数の忍者屋敷があり、日々の訓練が行われていたと考えられる。甲賀と伊賀は、鎌倉時代にはその領地の大半が荘園で木材の供給地だったため守護や地頭による支配を受けなかったが、戦国時代になり荘園が崩壊すると、地侍が数十の勢力に分かれ群雄割拠した。
各地侍が勢力を保つため情報収集戦とゲリラ戦が日夜行われ、「忍術」が自然発生したのではないかと考えられている。

文献上の初見は1487年の足利義尚幕府軍対六角氏・甲賀・伊賀連合軍の戦いといわれる。
特に伊賀忍者は、古代、琵琶湖が伊賀国内に存在し、そのため土質が農業向きではなく特殊技能を体得し国外へと移動して忍者集団を形成したものという。

なお、戦国時代には、伊賀・甲賀組や紀州根来衆の他に甲斐武田氏の透破、越後上杉氏の鳶加当他、相模北条氏の風間党、奥州伊達氏の黒脛巾組、加賀本願寺の修験、伊勢長島、出雲尼子氏の鉢屋一党など各地方諸文献に草等の忍者らしき記載が有る。

・大久保忠教の三河物語の記述
徳川家康が桶狭間の戦い後に今川氏から独立し、三河国奪還戦争のさなか、蒲郡市にある鵜殿長持の西之郡城(上ノ郷城)を忍で取る、と記載されている。
寛文7年(1667年)の近江国甲賀武士が奉行に差し出した書状には、甲賀21家が援軍として駆け付け、夜襲・焼き討ちにより、鵜殿藤太郎の首を討ち取った武功について記載。
伊賀ではなく、甲賀であることも注目される。

・服部氏伝説
昭和37年(1962年)、伊賀上野の旧家より「上嶋家文書(江戸時代末期の写本)」が発見された。これによると、伊賀国の服部氏族・上嶋元成の三男が申楽(能)役者・観阿弥で、母は楠木正成の姉妹だったという。
すなわち、観阿弥は楠木正成の甥だったことになる。根拠は特にないが、偽系図などと呼ばれている。
観阿弥の息子・世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していた。

伊賀国では、藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍を支配下に、最終的に合議制を敷いて、戦国大名に支配されない地域を形成していた。
外部からの侵略に対しては結束して戦い、織田信長が伊賀国を支配するために送り込んだ築城奉行・滝川雄利を追放、その報復として攻め込んできた織田信雄の軍も彼らは壊滅させている(第一次天正伊賀の乱)。
改めて敵の一部を調略してから、信長が大軍を編成し攻め込んできた際に、その他の伊賀国の忍者集団は壊滅的な打撃を受けた(第二次天正伊賀の乱)。百地丹波以下100名が紀州の根来へと落ち延びたと言われる。

・徳川幕藩体制下
伊賀忍者は本能寺の変の際に、堺(現・大阪府堺市)の見物に訪れていた徳川家康を護衛して伊賀越えを行なったことから、徳川幕府に召抱えられるようになった。
中でも服部半蔵は重用され、江戸城の城門の一つにその名が付けられ、現在も東京の地名「半蔵門」として残っている。
彼らは、徳川幕府のために諸大名の内情を探るだけでなく、江戸城下の世論調査、大奥の警護、空き家となった諸屋敷の管理なども担当し、同心として江戸城下の治安の警護に当たった。
御庭番は忍者と同様に思われがちだが、誤りであり八代将軍・徳川吉宗が紀州から連れて来た薬込役を伊賀者と同格に格付けしただけに過ぎず、彼ら御庭番は忍者とはかかわりがない。

江戸時代の諸国を行脚していた俳諧師・松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市に当たる地方の出身者だった。
そのため、松尾芭蕉は実は忍者あるいは隠密だったのではないかとする説があり、小説などでも題材に扱われている。
その根拠として、芭蕉の著書奥の細道の記録どおりに旅行したとすると、一日数十キロ歩かなくてはいけない計算になり、普通の47歳ならば体力的に相当無理がある、などがあげられる。
当時の江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎も公儀隠密説が囁かれている。
これらの説には決定的な根拠はなく、現状では単なる想像の範疇を出ない。

江戸時代の探検家・間宮林蔵は、幕府の隠密であり、広義には彼も忍者だと言える。
少なくともシーボルト事件において高橋景保を売ったという彼の行動は儒教道徳的観点から非難され、冷酷な忍者ならではの行動であると評された。

マシュー・ペリーの率いる黒船が浦賀沖に来航した際、幕府の隠密が早速調査のために行動しており、これがいわゆる忍者の活動の最後だった。

・明治後の忍者
その後明治になり、徳川幕府から明治新政府へ政権が移ると、警察、日本陸軍、日本海軍が創設され、忍者(江戸時代には隠密、同心、御庭番などの武士)もその役目を終えることになった。
活躍できる場を失った彼らはその後、警察関係(警察官)の職業など、新たな職に就いた。

明治末期~大正年間には立川文庫の作家たちによって、猿飛佐助、霧隠才蔵など忍者ものが創作され人気を博した。
映画のトリックで忍術が描かれ、また、戦後の1950年代後半より、小説や時代劇、劇画などに忍者が多く取り上げられるようになり、忍者は再び日本人の間で広く認知されるようになった。
また日本以外でも「ニンジャ」を使った作品は存在し、アメコミとして登場し後にアニメ化された『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』はあり、ゲーム『ウィザードリィ』シリーズでは職業として忍者が登場しており、いずれも日本でも放映、売買されている。