憔悴報告

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育った環境とかいろいろ

2007年11月19日 | 世の中
映画を観た原初の記憶というのが、自分の場合小学生くらいの頃に観た『トレマーズ』やら『チャイルド・プレイ』やらあとは怪獣映画で、いわゆる偉い映画というものにはほとんど触れずに育ってきたわけです。
そのせいか、昨今の名作ブーム的なものがどうもいやーんな感じなんですよね。
なんか、新作映画の傾向も「名作を目指すべきだ!」みたいなノリが下手な方向にはびこってる気がして。

世の中にはいろんな国のいろんな映画があって、みんないろいろ言うけど根本的にいろんな種類の映画があっていいじゃないか、という穏やかなムードがつい数年前まであったような気がするのに、もしかするとブログというものが主流になり始めたころから(偶然にしろ)、製作側も観客側も「名作のような映画が正しい」みたいなギスギスした空気になってきた気がするのは自分だけでしょうか。

自分が一番映画をよく観ていたのは90年代終わりごろから2004年くらいにかけて浴びるようにビデオを観たときで(学生だったので時間がいっぱいあった)、そのときも名画的なものはそんなに観なかった気がする(少しは観たけど)。
ただ、やっぱりアメリカ映画をたくさん観た(あとは90年代後半の日本映画)。
どうもここに、世間で言う「普通の映画好き」と自分との感覚的な差の原因がある気がする。

「アメリカ映画」と「ハリウッド映画」は近いようでかなり違うわけです。
自分もハリウッド映画は好きだけど、それはあくまでアメリカ映画の一部として好きということであって、対して「ハリウッド映画しか(というか有名どころ?しか)観ない」という人は映画が好きというよりはなにか別の基準で映画なりなんなりを計っている気がしますね。

自分の場合、アメリカ映画と言えばまずジョン・カーペンターがいて、ジョー・ダンテがいて、イーストウッドがいて、クローネンバーグがいて、スピルバーグがいて、ゼメキスがいて、という脳内地図を持っているわけですが、対して世間のハリウッド地図というのは、かつてスピルバーグの時代があって、キャメロンの時代があって、今は多分ピーター・ジャクソンあたりの時代、ということになるんでしょうか。
しかしやはりカーペンターやダンテを軽視してはいけないと思うんですよね。

カーペンターは有名どころでは『ハロウィン』『遊星からの物体X』あたりでしょうか、まあ自分も『遊星~』は大好きですが、『ゼイリブ』も『マウス・オブ・マッドネス』も『エスケープ・フロム・LA』も『ヴァンパイア 最後の聖戦』も大好きです。
ジョー・ダンテは『ハウリング』とか、あと『グレムリン』がもちろん有名ですが、『スモール・ソルジャーズ』とか『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』、そして去年の『ゾンビの帰郷』がすごい傑作で、もうこの人はイーストウッドと並んで現代アメリカ映画の巨匠なんだなあと実感させられました。
そのイーストウッドはすっかり偉い人になってしまいましたが、自分は『ミリオンダラー・ベイビー』と同じくらい『ペイルライダー』や『スペース・カウボーイ』が好きですね。
イーストウッドの映画はどれも本当にシンプルでいいです。
あとやんちゃですよね。

クローネンバーグは実はあまり観ていなくて、それと実はそれほど好きじゃないんですけど、この人の個性というのはやはり貴重だと思います。
しかも最新作の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』が実は一番シンプルでうまい(多分)。
何十年もやってて最新のがこういう出来というのはかっこいいです。
スピルバーグは世間での知名度で絶頂期だったのは多分『シンドラーのリスト』のときだと思いますが、ていうかそれ以前のものはほとんど語る意味を持たないのでほっときますけど、この人は『A.I.』以降明らかに変わりましたね。
『A.I.』自体はまあいいんですけど、『マイノリティ・リポート』の構成の歪さとか、終わってもいいポイントが3回くらいあるって絶対変ですよね。
その後『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『ターミナル』と不気味におもしろいのがあって、『宇宙戦争』があって『ミュンヘン』があって、なにか時代が求めているものを意図的に排除している感があって、それでいて次が『インディ4』って一体何をやろうとしてるのか分からないところがまた魅力的だったりするんですが。
あと、ゼメキスですね。
まあ『コンタクト』とか好きですけど、この人はスピルバーグについてた頃から分かりやすい個性というものが見えないところが逆に気になります。
ある意味タランティーノなんかとは真逆というか。
不気味ですね。
それでいて、現在の映画のみならずすべての映像エンタテイメントは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の色のない大衆性に影響されているようなところがなんとも言えないです。

かつてスピルバーグの時代があった、という頃のスピルバーグ(『ジョーズ』も『E.T.』も好きですけど)はまあいいとして、多分時代を大きく変えたのはキャメロンとブラッカイマーだったんじゃないかと思います。
だから偉い人ということにはならないとは思いますけど、確かにキャメロンの物量をナチュラルに見せる作劇というのはまあおもしろいんですよね。
『タイタニック』すら自分は肯定派ですから。
ただその流れで言うと、ピーター・ジャクソンが、というか『ロード・オブ・ザ・リング』がこんなに時代のスタンダードになってしまったというのはなにか嫌なものを感じざるを得ません。
ピーター・ジャクソンの映画って、基本しつこいし、長いし、リズムも悪い。
『ロード~』でもそれは同じで、ただがんばっているし愛情を注いでいるのも分かるし、個人的には技術的(テクニックじゃなくてテクノロジーの方)にミニチュアとか怪物の造詣とかは映画史上類を見ないものだったという意味ではすごい好きなんですけど、それ以外の部分で『ロード~』をスタンダードだと思われるのはやっぱまずいですよ。
それに比べればキャメロンの映画の方がずっとスタンダードに近い。

やっぱりね、カーペンターの語りの経済性(要するに短くまとめる技術)とか、イーストウッドのシンプルさを忘れちゃダメですよね。
アメリカ映画は世界の映画のスタンダードです。
ただ、ハリウッドがそうかというとちょっと(だいぶ?)違う。
映画の基本を忘れちゃいけません。

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