『マッチポイント』は優れた映画であり、おれがこの映画から連想したのは『太陽がいっぱい』よりもむしろ『ジャーヘッド』の方だった。
『マッチポイント』は、最初から犯罪が主題となっているわけではない。
最初それは、恋愛やら結婚やら、そういった色めきたったことから始まる。
しかし、だからといってこれが恋愛映画でないのは明白であろう。
ジョナサン・リース・マイヤーズ扮する主人公は、「何か、自分の人生を賭けた大きなことがしたい」という。
なぜなら、それまでの彼は、テニスというゲームのプレイヤーでしかなく、しかし彼はテニスのゲーム性に潜む偶然性に嫌気が指していた。
だから彼は、テニス・プレイヤーであることをやめた。
が、だからといって偶然性から逃げられるわけではない。
すべてをコントロールしようと企んだその男は、偶然によって窮地に立たされる。
バラしてしまうことになるが、『マッチ・ポイント』のユニークな点は、この人間的にゲスな男が、最終的にゲームに勝利してしまうことだろう。
しかし、ゲームに勝利したと言っても、彼がそれで充実感を得られるということではなく、ただ単に安心し、再び退屈な日常に回帰しただけなのだ。
なんと哀れなプレイヤーだろうか。
結局のところ、彼が自分の人生を賭けてまで闘っていたものは、巻き込まれ型の空虚なゲームでしかなかった。
もちろん、彼を巻き込んだのはファム・ファタールとしてのスカーレット・ヨハンソンである。
しかし、ヨハンソンにはその気はなかったのだ。
彼が勝手に巻き込まれていったのだ、と言ってみても、恋愛なんてどれもそんなものだろう。
かと言って、彼のモラルが補強されることにはまったくならないのだが。
ま、要するにこの男は、人生をまともに考えたことなどなかったのであり、そういう人間はたくさんいるし、映画のキャラクターとしてはとことんおもしろいのであって、ウディ・アレンのキャラ造形はまったく間違っていない。
それにしても、前半のスカーレット・ヨハンソンのエロさは必見である(それが結論かい!)。
ていうか、話的に主人公の主観で進むので、そこは当然エロくなくちゃいけないのだが、それにしても本当にエロくてすばらしかった。
うん、そういうことでいいですかね?
業務報告
●いいわけねーだろ!
●ものすごい文芸サスペンス的な映画で、確かにこれまでのウディ・アレンのイメージとは違うかもしれないが、後半に行くにつれて主人公があまりにマヌケなので、シリアスなシーンなのに可笑しくて仕方ない、ってとこがすごい増えてくる。
これを突き詰めていくと、結局はM.ナイト・シャマランになるしかない、と思うのだがどうでしょうか?
●考えようによっては、逆『デスノート』だとも言える、ような気がする。
『マッチポイント』は、最初から犯罪が主題となっているわけではない。
最初それは、恋愛やら結婚やら、そういった色めきたったことから始まる。
しかし、だからといってこれが恋愛映画でないのは明白であろう。
ジョナサン・リース・マイヤーズ扮する主人公は、「何か、自分の人生を賭けた大きなことがしたい」という。
なぜなら、それまでの彼は、テニスというゲームのプレイヤーでしかなく、しかし彼はテニスのゲーム性に潜む偶然性に嫌気が指していた。
だから彼は、テニス・プレイヤーであることをやめた。
が、だからといって偶然性から逃げられるわけではない。
すべてをコントロールしようと企んだその男は、偶然によって窮地に立たされる。
バラしてしまうことになるが、『マッチ・ポイント』のユニークな点は、この人間的にゲスな男が、最終的にゲームに勝利してしまうことだろう。
しかし、ゲームに勝利したと言っても、彼がそれで充実感を得られるということではなく、ただ単に安心し、再び退屈な日常に回帰しただけなのだ。
なんと哀れなプレイヤーだろうか。
結局のところ、彼が自分の人生を賭けてまで闘っていたものは、巻き込まれ型の空虚なゲームでしかなかった。
もちろん、彼を巻き込んだのはファム・ファタールとしてのスカーレット・ヨハンソンである。
しかし、ヨハンソンにはその気はなかったのだ。
彼が勝手に巻き込まれていったのだ、と言ってみても、恋愛なんてどれもそんなものだろう。
かと言って、彼のモラルが補強されることにはまったくならないのだが。
ま、要するにこの男は、人生をまともに考えたことなどなかったのであり、そういう人間はたくさんいるし、映画のキャラクターとしてはとことんおもしろいのであって、ウディ・アレンのキャラ造形はまったく間違っていない。
それにしても、前半のスカーレット・ヨハンソンのエロさは必見である(それが結論かい!)。
ていうか、話的に主人公の主観で進むので、そこは当然エロくなくちゃいけないのだが、それにしても本当にエロくてすばらしかった。
うん、そういうことでいいですかね?
業務報告
●いいわけねーだろ!
●ものすごい文芸サスペンス的な映画で、確かにこれまでのウディ・アレンのイメージとは違うかもしれないが、後半に行くにつれて主人公があまりにマヌケなので、シリアスなシーンなのに可笑しくて仕方ない、ってとこがすごい増えてくる。
これを突き詰めていくと、結局はM.ナイト・シャマランになるしかない、と思うのだがどうでしょうか?
●考えようによっては、逆『デスノート』だとも言える、ような気がする。
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ウディがナイト・シャマランになっちゃうなんて考えたくありません~(笑)
それだけは避けていただきたい。
スカーレットのエロさったらたまりませんよね。
女性にとっては敵ですわ、ホント。
>ウディがナイト・シャマランになっちゃうなんて考えたくありません~(笑)
>それだけは避けていただきたい
心配なさらずとも、多分ないです。笑
でもミチさんも反シャマラン、っていうかシャマランなんて笑い話でしかないって人ですか?
ちょっと残念です。
マジでシャマラニアンなので。
>スカーレットのエロさったらたまりませんよね。
>女性にとっては敵ですわ、ホント。
男性にとっては味方です、って、あ、いや、本音ですけど(こら)。
でも、映画の中でのエロティックなシーンというのは、少なくとも自分の中ではそれだけで加点材料です。笑
まあ、文脈にもよりますけどね。
今回のスカーレット・ヨハンソンは◎でした(結局そうじゃん)。
TBうまくお返しできなかったのでコメントにて失礼します。
>ゲームに勝利したと言っても、彼がそれで充実感を得られるということではなく
大逆転で勝利したはずの主人公の敗者のような表情が印象的でした。
しかし、スカーレット・ヨハンソン妖しかったですね。
ウディ・アレン、この女優を使うためにこんなファム・ファタール映画を作ったとしか思えない(笑)。
この映画のスカーレット・ヨハンソ\ンは、ファムファタールではあるんですが、結局主人公が勝手に迫っていっただけ、っていうのがユニークですよね。
まだご覧になってないかもしれませんが、『ブラックダリア』だと同じような役でもその辺が違うなーなんて思いました。
彼女のあの色気は天性なものなんでしょうね。
「真珠・・・」の時も、彼女の視線は画家にまとわりついてきて、清純さと妖艶さが同居しているんですね。楽しみな役者です。