先祖のお墓移動で、実家に来られた時久しぶりに逢って懐かく話が弾んだ。
そのとき、自分で監修したというCDを送るから~と約束していたのだった。
この又従妹といえば、もう数十年前の昭和30年代の頃、コロムビアから
歌手としてデビューしたのだった。
その時の作曲を担当した『山路進一』(亡)と結婚して3児の母に納まったのだが・・・
作曲家もそれほど名の通った人ではなく歌は上手かったが有名になるには、
当時は莫大なお金も必要だった頃だ。
父親は一介のサラリーマン、娘は歌が上手いと3歳の頃から新聞に載ったり
10歳で新聞全てが読めると2度目の新聞に紹介された事がある。
歌手になりたい・・といえば親としてもつい思いを遂げさせてやりたいと思うもの。
実家のわが父が預かっていた山を売って貢いだ事もあった。
大阪・神戸と舞台に立ったときは見に行き応援したものだったが、こちらも貧乏暮らし
大した応援も出来なかったことを思い出す。
CDには当時コロムビア会社で一緒だった歌手の歌が15曲・・その中には
名前の良く知られた歌手も多くいた。平均年齢60歳代というこの仲間達で
『きずなの会』を結成して時々集まって歌っているそうだ。
美人歌手だった『野沢佳子』が現会長だとか・・この人の歌が大好きだった。
又従妹の夫である『山路進一』の作曲で『そんな夕子にほれました』(増位山太郎)
『宗右衛門町ブルース』(グループ・ダークホース)『柔道一代』(村田英雄)
などはカラオケでよく歌われていたものだった。
美男子には少し遠いが優しくて育ちもよく裕福な家庭に嫁いだ又従妹は、
スパッと歌手を辞めたけれど悔いなく幸せだった、と話していた。
自分の遠縁の者もビクターから”ボーイング727”との題名でデビューしたとたん・・・・この年に世界各地でボーイング社の新鋭旅客機ボーイング727が連続して墜落事故を起こしました・・・・運の無いという事なんでしょうね。その後作曲家としてやっているようです。
おっしゃるように当時最低5万枚のレコードが売れると何とかなったのでしょうが、親戚はとても資金的に無理でした。
ひとつでも書きとめておきたい気持ちです。
といっても現在の・・昨日・一昨日のことの方が
記憶が薄れる今日ですが・・・