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今回は、JR身延線芦川駅から徒歩5分ほどの場所に鎮座する式内社表門神社と石製春日型鳥居の紹介です。
表門と書いて(うわと)と、読ませます。甲府市白井町にも論社の表門神社があります。また以前訪れた北杜市明野の「式内社宇波刀神社」 も(うわと)と、同じ読み方ですが、それぞれ祭祀などが異なるため因果関係は不明です。
さて、まずこの神社の不思議なことは、本殿~社殿~舞殿~隋神門の延長に、鳥居がないと云うことでしょうか。
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本来あるべき場所に鳥居がありません。
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隋神門と狛犬一対
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舞殿と拝殿
では、鳥居は無いのかと云うと実は、県道沿いに立派な大鳥居が建てられています。
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表門神社大鳥居 神域の脇県道3号線沿いに建っています。参道を直角に曲がって境内に入る形となります。
また、もう一基ここには貴重な石鳥居が建っています。
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表門神社石鳥居 この鳥居も大鳥居と同じく県道沿いに面して建てられています。柱はわずかながらコロビがあり、途中継ぎがあって太く鎌倉時代に建立されたと推定されています。
現地の解説板によるとこの鳥居は“春日型と呼ばれ”とあります。春日型とは「鳥居の研究」での根岸の鳥居の分類区分です。
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奈良春日大社一の鳥居 根岸は、ここの鳥居を春日鳥居と呼ばずあえて「春日型」と区分しています。確かに、説明通り直線的で反りが少ないので表門神社の解説は正しいようです。
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ただ、薄い笠木は果たして五角形と言えるでしょうか?自分には、かまぼこ型に見えてしまいます。
さて、もうひとつの不思議なことがこの鳥居の延長上にあるお社です。
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突き当りにお社が見えます。
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こちらは、北東より境内へ延びる横参道になります。
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鳥居の延長上に、このお社があります。(左側が正面)
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背後に見えた本来の本殿?
推測ではありますが、自分はこちらがかつての本殿だったのではないかと推測しています。この本殿が昔あった位置ならば現在の鳥居の向きは正しい向きとなります。石鳥居から本殿を延長した南西方向30キロ先に富士山が聳えます。
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境内にあった謎の石棒
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拝殿
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本殿 三間社流造で、工法や彫刻など江戸時代中期の神社本殿建築の様式を伝える貴重なものとして昭和44年(1969)に市川三郷町指定文化財に指定されています。
由緒:創建は孝霊天皇2年(289)に勧請されたのが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社の論社です。永保元年(1081)、白河天皇が重い病にかかった際、当社の神官が祈祷したところたちまち病気が平癒になったことから、社殿と共に社頭と51の末社が造営され文殊画像(空海筆)が寄進されたそうです(後に市川文殊と呼ばれる由来、又、日本三大文殊の1つとされます。※日本三大文殊を自称する神社や寺院は全国で多数有り)。
中世に入ると武田家が庇護し、戦国時代の天正10年(1582)に徳川家康が陣所として利用された事から徳川家の庇護となり、慶長14年(1609)には家康が社殿を造営し江戸時代にも社領が安堵されています。江戸時代までは神仏習合し「市川御崎明神」「市川明神」「市川文殊」などと称していましたが明治時代に入り神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を表門神社に改称し明治5年(1872)に郷社に列しています。(こちらより引用)
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