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きっこ の つぶやき

美容心理学を追求し続ける職につく日々
Sence Up Club 代表

2020年6/24(木)100坪のお家に住む奇跡✨✨✨

2020年06月24日 18時35分47秒 | 真実の奇跡

昨年末よりメンテナンスしつつ、

私の持ち家となった

100坪の土地に、

平屋5LDK+3畳程の縁側+3畳程の洗濯機置き場と干場!

という、お家が坪50坪ほど、土地も50坪ほど!

余りにも、雑草がすごいから、昨日、全面に防草シ-トを

張って貰いました✌️

 

2008年6月22日 ここの、主人の弘子さんが亡くなった日

今年で十三回忌✨✨✨

お経はおふさ観音寺の院主さんへお願いをしました🍀

 

弘子さんが、住み慣れたこのお家で、

お好みの果物を私と二人でよく食べたフル-ツや、

和菓子、(和菓子は私の好み)

日比谷花壇から買ったお花などで

私なりの十三回忌しました✨✨✨

22年前、ヘルパー2級の資格を取り、わりとすぐぐらいに

こちらのお家の在宅を月曜日の週1回から仕事が始まった!

すると、1ケ月たつかたたないか位の時、

9時INだったので

8:50位にピンポンを押した。応答がない。

???ん?おかしい!!!!!

ご主人は亡くなられてて、一人息子さんは茨城県の研究所で

当時82歳位で、お一人暮らしだった。

なので、ピンポンでなく、戸をドンドン叩き

呼びかけた!すると、めちゃめちゃか細い声で返事が聞こえ

、慌てて救急車を呼んだ!!!

夜中トイレに行こうとベットから起きて廊下に出た所でコケたという。

裏戸のアルミの戸を消防隊の方が電動ノコギリで戸を壊して

鍵を開け、ストレッチャーを運び入れて、

家の中で動けなくなってうずくまる弘子さんを救助し

病院へ。もう、驚いた!!!

私の在宅ケアが月曜日でなかったら😱😱😱

凄いタイミング!!!!!

そこから、ご自宅の鍵をずっと預かっていた。

1998年から2008年まで弘子さんの付き添い介護を

2008年から2019年3月23日まで、一人息子さんの付き添い介護の仕事

 

そして今、お二人のご希望により

そのお家を私が引き継ぎました。

 

 

1998年

娘が2歳になる頃から

月曜から金曜までヘルパーの在宅の仕事をし

土日は、プリンスホテルへ花嫁専属のメイクの仕事、

センスアップクラブの仕事も入れば、撮影も行っていた。

365日働き、生活を回してた😱

地獄の日々☠️☠️☠️

 

保育園の1歳のクラスに、娘を入れて、

土日は、プリンスホテルに8時INだったので

娘を私の母に、朝の6時には預けた。

プリンスホテル花嫁メイクに限っては

妊娠中、10ケ月のお腹なのに、金策の為働いた。

1996年9月に逆子が戻らずで、帝王切開で産んだあと

またまた、金策で、退院後すぐに、切腹のひどい傷が痛み苦しいが

プリンスホテル花嫁メイクの仕事に行ってた。

 

実家の母は、保育園勤務してたので、扱いが慣れてて、

産まれたてホヤホヤの1ケ月未満の娘を安心して預けれた。

泣きながら行ってた。お乳が張ってきて痛む胸を押さえメイクした。

死んでも、忘れない!!!この怒り!!!!!この苦しみ!!!!!

 

もし、来世

生まれ変われるとしたら、また、女で生まれたい!

そして、その時こそ、自分の赤ちゃんと、ずっとずっと側にいて 

過ごしたい🍀🍀🍀育てたい🍀🍀🍀

 

弘子さんが亡くなってもう13年なのですね。

 

会いたいなぁ🍀✨✨✨

でもね、目を瞑ればいつでも笑ってる弘子さんが居ます✨✨✨

 

これからも見守っててくださいね✨✨✨


2015年:09/05(土)  『一生懸命のボランティから生まれた奇跡のお話』

2015年09月05日 22時17分42秒 | 真実の奇跡


 

ボランティア・・・

言葉にすると簡単な言葉

訳すと

無償の善意の活動


19才の時のバイク事故がきっかけで

亡くした夢

それが

私にはどれほど大きかったことか

2度目の舞台で主演のようなナレーション役

台本をもらって1ケ月も経ってないときの

飛び出し右折車の

飛ばされた

バイク事故で降板 

そのまま引退

ポッカリあいた心の穴どころでなく

心の大きな大きな大きな傷

 

しかし

これが きっかけのボランティア活動!!

 

2000年

ミラクル倶楽部を立ち上げ

ミラクル倶楽部の活動で

15年が経とうとしています。

~15周年ありがとう~

そして

その

15周年に

震災後 強く 強く 強く

生きる

被災地

石巻の方々めがけ

ボランティア支援へ

いける自分の奇跡ヾ(゜∪゜★)ノ゛・:*:・

ここまでくるのにも

いっぱいの奇跡はありました


それはそれは15年前・・・

ドレスの数が少なかった。。。

1番目のイベント先は

交野の「やわらぎ授産所様」

ドレスはたったの2枚~3枚でした。

きっこの購入ドレスです

それでも

男性の衣装で

消防士衣装を持ってきてもらえて

子供たち&親御さんは

みなさん きれいに仕上がって

ものすごく喜んでもらって・・・

たくさんの写真を撮られてました

私は全身で~感動~してました

こんなに喜ばれるなら

続けなきゃ・・・


そしたらやっぱり

翌年もオファーがあった・・・

しかし

ドレスが・・・少ない

でもなかなか高額・・・

買えないよね~><・・・と

悩んでいたところへ

1本の電話

1回目のやわらぎ授産所の主任さんから電話

「実は美容室さんからうちに

ドレスを使ってもらえませんか?

新しく仕入れたので

処分するにはもったいないので

差し上げますと、電話があったのですが

うちがもらっても

活用できませんので

是非、松岡さんに活用してほしいので

そちらにお譲りいただくよう

お話をしました」

と、いうお電話でした。


もう 驚きました!!!

「本当にいいのですか?

 いただきにあがります!!!」


そしてその美容院から

約15点ほどの白ドレス(ウエディング)

を、無料で頂きました。


いっきにドレスが増えましたが・・・

色ドレスが2点ほどしかなかったのです。

白ばっかり・・・・・ん~~~

仕方ないよなぁ~・・・

でも色ドレス・・・・・

買えないよなぁ~・・・・・

と、思っていたら

なんと

支援いただいている

Sさんが

「色ドレスほしいなぁ

 いくらくらいで買えるかな?
 
 ミラクルさんに差し入れするから

 買って来て下さい」

と言われ

ええええええええええええ

まじっすか???????

で・・・

南の衣装屋さんを

北田さんに紹介してもらって

カラードレス8点ほどと

タキシードや

ティアラ・ネックレス&イヤリング

ヴェールが買えました。

結構な高額になりましたが

「いいよ」と言われ

お支払いいただけました


ですので

今ある衣装の

9割は

差し入れのドレスなんです。

 

衣装などが

たくさん

舞い込んできた奇跡!!!


 

決して

私は裕福ではありませんので

こんなに買えませんが

一生懸命の想いで活動をしている

からこその

すごい奇跡

訪れるんです!!!


そして

ミラクル倶楽部の活動に

長年参加して頂いていた

Sさんが

3年前に

「私、そろそろ車の運転引退するねん。

 もったいないけど

 車、廃車するのよ」という・・・。

えええええええええええええええええ

私の軽自動車はその時

オンボロボロボロで

オイルもれも発生してて

大変な事になってたのですが

(廃車寸前)

車なんて 買えない・・・

で、Sさんに

「すみませんが、少しくらいは

 お支払できますが

 その車を私に売ってもらえませんか?」

と、あつかましいのですが

お願いしてみたら

すぐの回答!!

「あら、きっこさんいる???

 きっこさんやったら、そんなん
 
 お金なんていらんよ^^

 あげるわ!!!」

なんと

女性の方なのですが

男前な発言!!!


それが

今の車ヾ(゜∪゜★)ノ゛・:*:・

型は古いのですが

なんと

走行距離わずか22000キロ!!!でした


車がなくなくと

とっても困る時に

起きた

すごい 奇跡!!!

ミラクル倶楽部をしていたからこその

~一生懸命な

   あなただからあげる~

そういう奇跡

 

一生懸命の無償の努力に

ひとつも無駄がないという事を

しみじみ実感しています

 

ミラクル倶楽部が

こうやってたくさんの衣装を持ち

笑顔をつなぐ活動ができるのは

数々の 奇跡なんです

 

強い勇気をもち

    真実の優しさが

 

必ず

 奇跡を運ぶんです

(ほんまシンデレラです

 

苦のはじまりがある

 しかし

  必ず

   苦の終わりも来る

 

はじまるから

  終わりがある

 

幸せのはじまりがあるから

  幸せに終わりも来る

 

人生は

  その

   繰り返しで

山有り谷ありと

いうのではないでしょうか

 

はじまった 苦を

  分かち合って

   助け合って

   心繋げば

幸せのはじまりが

必ずやって来るから・・・

 

だから

 

今を 絶対に諦めない

今を精一杯

楽しむ 

  感じる

    夢を持つ

 

ラインでもいったけど

 

「きよちゃん!!!

  強いぞ!!!偉いぞ!!!」

 

石巻のみなさんも

「強いぞ!!偉いぞ!!!」

 

どん底の苦を乗り越えてきた 私は

  心底

    心から

      叫びたい

「奇跡来るぞ!!!

   私が行くぞ~!!!」

 

7日に IN 石巻 きっこ・りかこ・みずき

わくわくしてますヾ(゜∪゜★)ノ゛・:*:・

 

 


 


2014年 10月6日 文鳥みるくん 星となる

2014年10月07日 01時31分51秒 | 真実の奇跡

 

みるくん6回もの危篤

そして6回もの元気復活の

奇跡をくれた

馬渕小動物病院 院長先生へ

心から 感謝申し上げます。

 

お ど ろ い て き ま し た

 

小動物の 尊い命を

救い続ける 森の神様です

 

うちには

まだ 娘のここちゃんがいます

ここちゃんも

みるの死を

わかったみたいだと・・・

娘が言ってました。

 

ドクター&看護士さんは 強いです

 

きっこは 絶対無理だと思った

自分の子でなくとも(身内でなくとも)

目の前で 死に行くのを

見守るのも仕事のひとつの

ドクター&看護士さんは

精神力が強くないと出来ない

すごいなぁって いつも 感心しています。

辛くとも涙見せない

正常心を保たねばならない

 

~尊敬~しか ありません。

 

本当に本当に 感謝です

      ありがとう ございました

 

目の前の 小さな命を

決して諦めない

一生懸命の

素晴らしいドクターで森の神様の

馬渕小動物病院を

きっこは お薦め致します


人生で1番 心折れた真実  (2014年3月27日)

2014年03月27日 01時22分13秒 | 真実の奇跡

 

 

人生で1番 心折れた真実


皆さんは どんなことが
人生で1番 心折れた出来事なのでしょう・・・


きっこは
  6年前のこの出来事がウソであって欲しいと
    心から 心から 心から 願った
1番の
  
   人生最大に
 
       心折れたお話

 

そのおかげで
ペット検査を全く信じることができなくなった・・・今がある。


あれは2008年の2月半ばに
はっきりと 
主治医に
「左胸乳癌です」と告知を受けた時

私「他の場所に転移とかしていないのですか?」

先生「それは、わからないね。心配なら
   手術前までにペット検査にいくとはっきりわかる」

私「ペット検査に行きます」

2月の末に結果がでた。

先生「ペット検査で、光ってたのは左脇リンパ節と左胸のところだけだったよ。
   他の転移はない」

実際・・・
左脇リンパ節に転移あり・・・これが
大丈夫なわけないやん・・・・・・・・・・・。
と、
心は腐ってはいたが・・・

人によっては
肝臓や胃等にも
ペットで光って、癌が見つかったり・・・
というケースも多々あるそうだったので
一応 安心した。


それよりも
実は、エコーでも見つかっていたのですが
右の胸にも本当に小さい1cm未満の腫瘍があった。
これが唯一、先生も私も心配だった。

ペット検査で光ってなかった為
先生も私も
「右のは良性のポリープだね。様子をみていこうね」


この時までは

     私も、あぁよかった~
 
           ホッとしていたのです。


その後
2008年3月4日に左胸&左脇リンパ節切除手術(全身麻酔)

その1週間後くらいに
私は、先生にお願いをした。
「先生、入院をしている今、右のポリープも取っててほしい」

先生は、やっぱり大きいオペ後だったし
少し期間をあけてからと、アドバイス。

それでも
私「胸の腫瘍って置いてたらなくなったり
  ずっと良性のままなんですか?悪性にはならないの?」

先生「胸の腫瘍は、置いておくと悪いものに変わる
   確率が高いんだよ」

私「それなら、尚のこと、退院してからだったら
  ややこしいから、入院中の今・・・
  ちゃっちゃと取っててほしい。お願い!!お願い!!お願い!!」
  と必死にお願いしたら・・・

先生「わかった。じゃぁエコーで見てみよう」

エコーで右胸のポリープをしっかり診察した先生の
ちょっと困ったような、言葉・・・・・・
「ん~~~・・・・・・なんかね
 ん~~~~~なんかね~・・・・・・・・・・・」

とっても言いにくそうに・・・
「このポリープ、僕が見る限り・・・ん~~~~~
 悪い細胞のように見えるんだよ」

私「えええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」

先生「ペット検査で光ってないからね~
   はっきりとは悪性とは言えないんだけど
   ちょっと心配だね。
   このポリープ、取って検査だそう」

そして、局部麻酔で右胸の1cm未満の小さいポリープを
切除してくれた。

そして、このプチオペ前に、こんな説明も受けていた。

先生「万が一、このポリープが悪性だったらね・・・
   右の脇のリンパ節の検査も必要になるから
   申し訳ないんだけど、その場合、また全身麻酔でオペになる。
   全部のリンパ節を切除するわけではないから
   検査で半分弱ほどを切除するだけなんだ。
   一応、説明しておくね」


先生の目には・・・
エコーで見たときに
ほぼ100%悪性だ・・・と
判断できていたんだと思う。
トップクラスの乳腺外科医だったから
(こっそり看護士さんが私に耳打ちしてたの・・・。
  「松岡さんよかったね。トップクラスの乳腺外科医の先生が
   主治医で^^本当によかったね」って)

だから
そんな名医がとっても小さいポリープでも
その形が・・・悪性に似てる・・・というから
ひょっとしたら、やっぱり 悪性なのかなぁ・・・って
いやぁな感じを持ってた。


局部麻酔でポリープを切除した先生が
「万が一悪性でも、いいように
 まわりの乳腺を多めに取ったからね」

私「はい」
(でも・・・この時もまだ、なんとしても良性と信じていたかった)


そして 検査結果
1週間後
(長い長いそれはそれは長い1週間だった)

主治医はすでに変わっていたにも関わらず
最初の外科外来で診察をした
女医が私の部屋に来た。

大部屋だった。

私のベッドは入り口すぐの部屋だった。

女医(めっちゃ大きい声で!!!!!!!!)
「松岡さん!ポリープの検査結果やけど
 悪性でしたーーーーーーーーーーー!!!!!!!!^^」

~~おめでとう 悪性よ~~~と
喜んでるみたいに・・・
うれしそうに 大声で
部屋中聞こえる声で
言われた。


こ い つ は ほんまの 医者か????????

ぎりぎり 激怒を 精一杯 押さえながら 言った。

私「あの、なぜ主治医が結果を言いに来ないのですか?」

女医「あぁ、今日、お休みやねん」

(はぁ~???・・・はよ 目の前から消えてくれ・・・・・)


もぅ・・・

目の前が

真っ暗だった。


私の胸は両方に癌があったんだ。

 


    
     
          そう
   

           人生で1番 心折れた日だった。

 


翌日・・・・・・・

何も知らない主治医は

それはそれは、申し訳なさそうに

先生(極小声で話しだした)
「ポリープの検査結果だけど・・・」

私「もう知ってる!!!!!!」

先生「え?????」

私「女医のOO先生が昨日言いにきた。
  先生が休みなら別に結果は今日でもいいんちゃうの???
  最悪!!!!!!!
  検査結果とか、そんな大事なこと、こっそり別部屋とかに
  呼んでくれて言ってくれてもいいやんか!!!」


気持ちが

  収まらなくなってて

     昨日の出来事を

        ボロクソ 文句を言ってしまったのです。


あの時は

   先生が悪いわけではないのに

   本当に ゴメンナサイでした((o _ _)oペコ


その日、別部屋に呼んだ先生は

私から事情をゆっくり聞いてくれて

ドクターである前に

     一人の人間として・・・かな・・・

一生で あるか ないかの

   一言を、

      私に言ってくれたのを

               忘れません。


昨日、部屋中に聞こえた検査結果の件で
私の気持ちを考えてくれた主治医の


        先生「それはひどいね。ごめんね」


驚いた・・・

先生は、決して謝ることなんかしないと思ってた。

  すべてに関して

     ドクターは、正しい が仕事・・・・・・。


だけど

 先生の その一言で

   
主治医は、女外科医に代わって謝ってくれたのです。

患者の心もちゃんと感じてくれる人なんだ・・・と

思えた。


  この先生について行こう

          先生が主治医で

                本当によかった

            
        
         より一層、信頼が持てた日になったのです。

         (その女外科医はわりとすぐにいなくなってた!!!フンだ!!!
             一生 大嫌い!!!!!!!!)


そして

右の脇リンパ節の検査オペ(全身麻酔)

その結果は白で

    先生「よかったね」

          で し た。

でも、そこからの


     私の病名は


         「左胸乳癌」から

            
             「左右乳癌」と 変わりました。


両脇リンパをオペしてるので

右手からは
採血をとるのはOKですが(オペ後2年はXでした)

点滴は 両腕からはXできない。

足からの点滴が主になった。


厳しい 抗がん剤も

   半年間 足から点滴をしました。


なにもかもが キ ツ イ!!!!!!!!!! 

      普通が 普通で なくなっていく 自分でした。

 

2008年 3月4日 に 入院してから退院まで

約3週間に

全身麻酔2回のオペ

局部麻酔オペ


さすがに・・・・・・・・

体も ふらふらだったのか・・・

    退院2日後、外出しようと

      玄関をでたところで

      少し段があるんですが

      それはそれは見事に

  重い右胸側から バッターーーーーーーーン〓■●_と

  コケてしまいました〓■●_

 

2008年3月って

  
     きっこの

         人生最大の

             心折れた時


  だからこそ

     今の奇跡が より 奇跡 なんです。


右にまた、悪性腫瘍ができたら

「切除しかない」

関西医大の放射線の先生に

きっぱり言われてて

(そんなに、はっきり言わんでも・・・いいやんか・・・。と、凹んだ)

その 右胸の心配もずっと、

ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとあった。


主治医にも聞いてたことがあったのですが

主治医は 無言で黙ってた。

きっと、

オペ後の、間のない私には

厳しい話だから

黙っていたんだろうなぁ~って思った。


私の主治医が

 

「最高の名医」の意味


それはね・・・

世の中に 腕のいい外科医はたくさんいるだろうけど


病気や治療で

    心折れきっている患者の

          折れた心を感じてくれる

               そんなドクターはそうそういない

マッチママも

    よく言っていた。

「とよこちゃん、いい先生が主治医で

          本当によかったね。

            長く通院しなきゃいけないから
                  
                気の合う先生で、安心 安心^^」

 

想い返すと・・・この6年・・・

  本当に 言いたい放題 言って来てる私・・・。

  怒らず黙って聞いてきた先生は、すごいよ 

 


最初 副院長先生って知らなくて

だいぶたってから

「ええええええ!!!!!!

  先生 副院長先生なん??????」とか

だいぶたってから

「ええええええええええええええええええええええええええ!!!

   先生 院長先生なーーーん???」とか

言ってましたね~私
 
;:゛`;:゛;`ヽ(^∑^*ゞ)ブッ


わからなかった・・・

あまりにも 普通で・・・

あまりにも 偉そうにしないので・・・

         だからこそ 

            本当に偉大なのです(*´I`)(´I`*)ネー


心折れきってたわりに

通院はとても 楽しかったのヾ(゜∪゜★)ノ゛・:*:・


過酷な抗がん剤も 足からの点滴も

関わる看護士さんたちも 楽しい方々ばっかりだったし

主治医との会話も、いつも笑いありで、

乗り越えてこれたのです

 

この6年間

   折れ切った心の・・・

        修復ができつつあるので

            こうやって ここに書ける 自分がいるんだと思います


先生&私に関わってくれた看護士さん&事務さんなどの皆さん

本当に。。:.゜ヽ(*´∀)ノ゜.:。+゜ァリガトゥ-☆

 

主治医の返事は

世界一 短文明解なんです∴(め艸め★)ッブ


1番笑った一言

私「先生・・・最近めっちゃ血圧高めやねん、なんでかな???」

先生・・・ジーーーーーーーーーーーッと私を見て

 「ん~~~ウェイトかな~・・・」

私「ウエイト???重さ・・・」


。゜( ゜^∀^゜)゜。アーッハハノヽノヽノヽノ \

先生は、はっきりと 「太りすぎ」。。。といわず

重さかな~を 英語で!!!!!!


。゜( ゜^∀^゜)゜。アーッハハノヽノヽノヽノ \

こんときは もうめっちゃうけて

私「先生!!!座布団10枚あげるーーー」って

言って来た^^

。゜( ゜^∀^゜)゜。アーッハハノヽノヽノヽノ \

 

患者をできるだけ、傷つけないように

        すっごい 「短文明解」に答える先生は

                    さ す が で す。

会話に・・・ムダがない。

目が語る。

考えを押し付けない。

患者本人に考えさせるような言葉かけ。

いつも優しいが時に超厳しい。(だから先生の言うことは守る)


  この 6年間の 奇跡


      佐藤病院


         院長先生

              気の合うかわいい看護士さん達


      支えられた

             奇跡の6年で


                  ございます


                           


               心から 感謝です  きっこ(人´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 


投薬&注射治療がなくなった奇跡の代償はキツかった(2014年3/24)

2014年03月24日 00時08分31秒 | 真実の奇跡

 

去年の今頃は

   まだ 寝たきりだったなぁ~

 

3月22日にオペ

10日間で退院した。

産科外科医は女医の若いドクターだった。

説明によると

退院後、仕事も車の運転も1ケ月は NO(だめという)

~おおげさやなぁ~・・・・・・・・・・・

と、思っていたのが

母親代わりの マッチママに気付かれたのか・・・・・・

マッチママ「とよこちゃん、先生のいうことはちゃんと守ってね!!!

       仕事も車もダメよ!!!!!」って 釘さされ・・・・・><

         無事退院・・・・・・・・・・・・・

 

もぅ~~~~~

   仕事どころやない・・・・・・・・・・・・・

         お腹の中を切除してるもんやから

         腹部の鈍痛がひどいひどい

         やっぱり 痛み止めの薬を飲み続けてて

         お腹の傷もヘソのすぐ下から一番したまで切ってて

         傷の美容テープみたいなのをすすめられ

         薬局で買って帰ったのですが

         「美容テープはるのは3ケ月位でいいかなぁー」とか 先生は言ってたが

         なんのなんの しくしく痛いし

         7ケ月~8ケ月間は傷に美容テープをはってた><

 

退院後 2ケ月位は 自宅で ぐたーーーーーーーーーっと

ぐったり、寝てたよねーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!

こんなに家に居て、ねっぱなしなんか 初めてだったけど

しんどすぎて これ 不思議と 寝っぱなししか 無理不可だった

娘の春休みが終って・・・

娘の弁当をするのだけで 必死のぱっちやったと思う。

(毎日毎日、ママ友くみちゃんにお弁当を買ってきてもらってて助かったのです。

必要な買い物は近所のまりちゃんが引き受けてくれて

身内以上のご親切を一生忘れませんありごとうございました)

 

 

退院後、2週間ほどたったとき

 

      もっすごーーーーーーーーーーーーーーーーーい

          もっすごーーーーーーーーーーーーーーーーい

                めまい きた

     まっすぐなんて歩けないほど きつい めまいだった

すぐ 病院行って 

頭のMRIを撮った

頭は 全く なんともなかった

耳鼻科で診察も受けて

詳しい聴力検査まで させられた

まったく 問題なく 正常だった

 

原因不明のめまい「ストレス」 かなぁ・・・・・・・ということだったかぁ~・・・たぶん

 

めまいが数日後・・・治っても 

立ってるのが 辛かった。

なんせ すぐ しんどくなるし

お腹にドン痛もくる

やっかいな体だった・・・・・・・・・・・

(「も~~~!!!!!!!!!!!なんやねん!!!!このクソ身体め」って

 めっちゃぼやく日々が続いた・・・

 自分で自分が情けない状態!!!!!!!!!!!)

昨年の11月頃まで なぁんかずっとずっとずっと不具合な体だった

 

やっぱりね・・・

体についているもの

内臓の臓器 

どれか一つを取っただけでも

            

           人間は不具合を起こすものなのだ・・・・・・・・という事実

 

いっきに 子宮&卵巣を切除すると

     こんなにも 不具合起きるんやな~って

     ほとほと キツクて しんどくて いやんなっていた

 

口では 簡単に 

   不幸中の幸いやんかーーーーーーーっていうけど

   その「幸い」には キツイキツイそれはそれはキツイ「試練」が ありました。

しかも

 オペ後・・・・・・・・・・

      ずっと ずっと ずっと

       同じ場所に 頭皮シッシンができてて治らない

      右まゆげにシッシンができて うっすら赤いシミになってる

これまた・・・原因不明・・・・・・

          「ストレスかな~・・・・・・・」という事らしい・・・・・・・・・・・・・・・

 

そんな シッシンは あるものの

今は、お腹も全く普通

婦人科も年1回の検診でOK

胸も半年に1回の検診だけになっている身体だ

やっぱり 喜ばしい 奇跡

ウソみたいな すごい奇跡

 

その反対のお話

昨年 同じ病室の 患者さんの

とっても 悲しい 現実を目の当たりにした・・・・・・・・・・・・。

42歳女性 長男さんは20歳をすぎたお兄ちゃんで

年の離れた 次男13歳 中1年生の男の子が

よく病室に来てて

「おかぁさん、いつ帰ってくんの~」って よく言ってた。

部屋があいてなかったのか・・・

その42歳の方は

抗がん剤&放射線と両方を受けてて

それはそれは

吐き戻しで オエオエ オエオエ

 オエオエ オエオエ ずっと言ってて

ゲボゲボゲボーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

と、たらい受けて もどしてはった

正直・・・わたしは

かわいそうやったけど

こっちもそれどころやなく 大変で

             毎日 睡眠薬を飲んで 寝てた・・・。

すぐ隣だから

ほんま寝れなかった。

その42歳さんは

2012年の春(1年前)に 子宮がんでオペ・・・・・

2013年春に 転移があって 即入院だったようだ。

私が退院する日に

ちらっと聞いたのですが

42歳のその女性は 全身に癌がとんでて

手のほどこしようがない状態になっていたらしい。

(ようするに余命数ヶ月・・・状態)

3月21日 私の入院した日から3日間くらいは

その42歳さんは歩いてはったのに

あいさつもしてたのに

抗がん剤がきつかったのか・・・

4日目くらいから、すでに おむつ状態で 寝たきりなってて

ものすごく 進行が早かった気がする

 

私は 現実のキツイ試練に文句言いながらでも 

今を生きているけど

その42歳さんは

甘えん坊の13歳の 息子を気にしながら 

それはそれは 気にしながら

この世を去っていったことでしょう

こんな 恐ろしい 怖い 最悪すぎる現実が

日々 起きているんです

この 42歳さんも

もっと早く 子宮がん検診をしていたら

死なずにすんだかもしれない・・・・・・・・・・・・。

 

だから 

きっこのブログを読んでくれている 女性達は

絶対に

定期的に

乳癌検診&子宮がん検診には

必ず 行ってください

 

自分の身体を守るのは

      自分でしかないのです。

 

永遠に きっこの「3月」は 本当に 

過酷な事を してきている月な為

毎年必ず、フラッシュバック現象が勃発することでしょう

 

そんな 私の心が病んでいるときの

PCのむこうで

会話しているのは

やっぱり

      いっつも 

              石巻の きよちゃんだ

いっつも 

笑わせてくれている

ネットだから 顔は見えない(写メ交換だけはしてる)

だから きっこが 泣いてても きよちゃんにはわからない。

だけど 泣いているときに ちょうど きよちゃんがネットにいてて

会話してる

 

6年前も、そうだったの・・・・・・・。

2008年の3月4日に

乳がんオペ抗がん剤半年(かつら人生約1年)

過酷な抗がん剤半年後すぐの放射線治療26回

人生初の 坊主頭になってて

ハゲ散らかってる 悲痛な頭で我慢&辛抱の日々で

毎日毎日が妊婦の時みたいに

軽い吐き気がずっと続く・・・・・・・・・・・・・・・

放射線では見事に7回目くらいから

赤く焼け爛れてきて ヒリヒリ ピリピリ やけど状態で痛い痛い

20回目の時に

先生に「すみません。今日で終わりにします。もう限界です。」とお願いしたら

先生「ダメです!!!!!!!!!!!!!!!

         続けて来なさい!!!!!!!!!!!!!!」といわれ

泣く泣く いやいや 痛い&熱いを辛抱して最後まで行った

めーーーーーーーーーーーーーーーーーーっちゃ辛かった

(今おもえば・・・こんな過酷を乗り越えてきたから

   これからの どんな過酷な事にも耐えれる人になっている 私

 

当時・・・不眠症になってて睡眠剤飲んでも

全然寝れないから・・・・・・・・

毎晩 毎晩 ネットのゲームにIN

 

娘は小6にあがったところだったし

絶対に 娘の前では 強い母でいてな あかん と思ってて

涙は見せなかった

「大丈夫 大丈夫 心配せんでいいから」を

娘に 繰り返し 言ってあげるのが

精一杯だった。

1番辛かったのは

「辛いよ~」「心配や~」といって

泣く場所がなかった 娘が

1番 辛かったんだと思う。

普通なら おじいちゃん おばぁちゃんがいてるけど

離婚を機に

誰もいない状態だったから

娘は本当によく頑張ったと思う

 

でも

娘が寝たあと

ボロボロボロ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          ボロボロボロ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

それは それは 

        毎晩 毎晩 毎晩

                 泣き崩れてて

泣きながら ネットゲームにINしてたら

必ずそこには きよちゃんが居てる・・・

たわいもない事だけど話しかけて来てくれる

変な大阪弁 対 東北弁 ごっごとか


。゜( ゜^∀^゜)゜。アーッハハノヽノヽノヽノ \

泣いてたけど 笑ってた

 

あの頃、あの日、あの時・・・・・・・

     あの ネットでの楽しい あほみたいな会話がなかったら

     ほんまに 深いうつ病にかかってたやろなぁって思うの。

 

考えんでいいこと

考えてた・・・・・・・

子供の高校入試まではそばに居てるんかな?とか

生きてても

次の病で病院にいるのは何年後かな。。。とか

生きていれる時間が少ないなら・・・

今・・・何を残しておこうかな・・・・・・とか

(もちろん 初の遺言も書いた。HP管理人に渡してる)

(私が死んだら、まどかの妹としてりかこを育ててほしい・・・とか)

 

きよちゃんには

だいぶあとで 病気のことも話ししたけど

当時はなにも伝えてなかった。

私が1番心がキツかった日々を

きよちゃんに救ってもらってたの・・・・・・・・・・・・

 

そして・・・

その3年後の2011年3月11日に

あの 大惨事

東日本大震災が起きて

きよちゃんの 安否 きよちゃんの家族の安否が

心配で心配で 

少しでも 役にたちたかったのです

 

遠い場所に住んでて

でも、なぜか、心辛いとき ネットのむこうだけど

 たまたま、そばにいてて会話して、元気をもらうことができた

(まっててね必ず 被災地支援を実現していくから

 

人に1番大事なのは

       「言葉」

その言葉で 救われて 心ほぐれて

   前に進んでいきたくなるんだと思うなぁ

 

人を 楽しくさせるも 怒らせるも

  すべて 「言葉」

          だから

            大事に使ってほしい

              「言葉」

相手の 心を感じながら

     ちゃんと選んで   

        相手の気持ちになって

               発言していこうよ

 

きっこの接客の信念

     相手への 「気分をよくするほめ言葉」 を

                 忘れないヾ(゜∪゜★)ノ゛・:*:・ 

 

    ホスピタリティー

      「きっこ流おもてなしの心」

      百貨店部トップチーフでの何回もの東京研修で

         こんこんと訓練を受けていて

         本当によかったとおもいます

            

   

  きっこの 今を生きている

            奇跡

       うつにならなかった奇跡

     娘の大学入試を娘と共に「元気」に戦える真実の奇跡

 

きっこを 支えてくれてきた 多くの皆さんに

         心から お礼と感謝の気持ちで一杯です

 

              きっこに 奇跡を ありがとう

 

   これからも 一生懸命の奇跡

                                  実現していこう