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きっこ の つぶやき

美容心理学を追求し続ける職につく日々
Sence Up Club 代表

2014年3月22日ちょうど1年前の今日の真実の奇跡の物語

2014年03月22日 09時04分23秒 | 真実の奇跡

 

『不幸中の幸いオペからちょうど1年』

昨年の今日
2013年3月22日は、子宮・卵管・卵巣・全摘出オペをした日

→子宮に『高度異形成』
癌の一歩手前の細胞が見つかり、オペになった。

落ち込むというより、嬉しかった。
なぜなら、卵巣がなくなるので、
乳癌の治療&予防のような、
抗ホルモン剤(女性ホルモンを止めるもの)の、
3ケ月に1度の腹部注射&毎日飲む薬がなくなるからだ。

私の身体は薬漬けだった。

ホルモン関係の薬は太る。
いくら食事を控えてもアルコールを控えても太り続けた。

しかも、意外と上の腹部に注射なので、胃のあたりの腹部が
なんだか、もりもりもりもり太ってきて
土星の輪っかみたいなお腹になってきてて
めっちゃ怖かった・・・・・・。

 

私の病を知らない周りの人からは、
見た目健康そのもので、食い過ぎ飲み過ぎ太りで、

『幸せそうやね~』とよく言われた。

マジ・・・嫌やったなぁ~
心で「ほっといて~」フンだ!!!!!!と
すねているのがせきのやまだd(o´_`o)ネッ゜


実際、太り続けている事自体が、1番のストレス。


しかし・・・
もう、当分なんもないよね・・・って生きていたから

子宮がん検診で引っかかった時はさすがに

嫌んなってたね

もう~~~私ばっかり!!!!!!!!!!!!!!!
とか・・・・・・・・・・

また・・・少し ~死にたい病~がでたりとか・・・

不眠症でたりとか


関西医大の婦人科は
特に私のかかっていた先生は予約がすごくて
予約なのに6時間も待った。

4時間の待ち時間だと
「今日は早いですね~」といってたほどだ。

でも、この先生のすごいところは
患者の心を掴むのがうまい!!!

だから・・・長々長々 待たされても
たいがいの患者さんは怒らないんだなぁーーって
感心したことがある・・・。

3月21日の前日入院&22日オペって決まっているのに
心電図に少しひっかかったらしい(太りすぎが原因だと思う><)

産科の先生から心電図の取り直しを言われ
取り直したら全くの正常値だった。
~身内にも心臓病なんかいてへんわ~と
心ではかなり ぼやいてた!!!!!

麻酔科医が「オペNO」とか言い出した!!!!!!!!!!!
もっとくわしく心臓検査してからでないとダメ・・・とかで・・・・。

産科の先生も
「1年後でも大丈夫だと思うから、心臓検査してからに
しようか・・・」とか言い出して
プッチーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!

「あの~今まで全身麻酔のオペしてきてて
全く問題ないです。心電図がどうのこうのとか言われたのもはじめて!!!
仕事もあるし、ボランティアもあるし、休みも取ってるので
今更、1年後とかいわれても困るんです」

先生は「わかった。わかった。ちょっと待ってて」といい
麻酔科医と電話で話しをしてた。

~数分待合でまってて呼ばれた~

先生「松岡さん、オペはしましょう」

~私は心の中で 
 あたりまえやんかぁ
 1年後、癌に変化してたらどうすんねんな・・・!!!!!と
 かなり不機嫌だった。~

そこへ・・・なんと なんとなんと
いきなり 先生が
私の手を両手で握手のように握ってきて
「松岡さん!!!僕と一緒に頑張りましょう」ニコーーーーーー
「松岡さんの為に最善を尽くします」

といって くれて

心がトゲいっぱいだった私は
そのトゲがいっきに取れて

私も両手をそえて握手し返して
「よろしくお願いします」といったのです。

 

これは・・・技か

女性ばかりの患者さん相手だからか
女性慣れしてるな~~~~~って感心でした。

やっぱりね・・・
誰にでも言ってるし、やってるんだって思うけど
女性の心を掴む術を弁えている超ベテラン婦人科医!!!
看護士さんが・・・もうじき教授になるといっていた
大先生・・・

だからなのか・・・
いつも満員御礼のように
患者でいっぱいの先生の曜日!!!

長々長々長時間待たされても
「貴方のために僕は一生懸命なんですよ」
という事を
ちゃんと、スキンシップこみで
伝える先生だからこそ
待ち時間長すぎても、
ずっと来院するんだな~~~って
ものすごく感心しました。

だって 診察で
 いきなり!!!!!
両手で、私の手に握手してこられたのは
さすがに 初めてだったから
すごく驚いた!!!!!!

でも、とっても嬉しかった。
先生の手は、あったかかった。
(私も、仕事や支援で、辛そうにしている人の手を
そっと手に取り軽くなでてあたためるくせがある)

手を握られると

    心に響くんだ

         言葉が無くても

              「大丈夫だよ 頑張ろうよ」っていう言葉が

                      聞こえるの

先生もそれくらいの事をしないと


私が マックスに

不機嫌になっていることに
気付いていた、先生の
先手必勝だ。

。゜( ゜^∀^゜)゜。アーッハハノヽノヽノヽノ \

 

それからの予約診察で
5時間6時間またされても
音楽をっずっと聞いて 寝て待ってて
全くイライラしなくなった きっこちゃんでしたぁ~(ノ∇≦、)ノ彡☆


さて
話しは戻して・・・

さすがに、なんか
左胸はないし(再建したけど大失敗

子宮&卵巣もない・・・となっていく
自分が、

ますます・・・

女でなくなっていく自分が

          すっごく嫌だったのは事実で

                    やっぱり 泣きました

 

それでも

    今回のオペは

         いいこともある

 

それが

抗ホルモン注射&投薬がなくなる!!!!!!!!

という 奇跡がやって来る
ヽ(o^▽^o)ノ゛ ヮチョーィ♪

す  っご   い    き   せ   き


そして

なにより

先進医療上限2000万円まで出る

アフラックの癌保険にも

今年2月より加入ができた

この 奇跡!!!!!!!


きっこの
  人生 最大級の 「不幸中の幸い」

    真  実  の  奇  跡

                        1年前の今日 3月22日です

 


被災地支援に行きたい本当の意味(2014年3月11日(火))

2014年03月11日 08時05分46秒 | 真実の奇跡

 

2014年 3月11日

東日本大震災から 3年です。

 

~心静かに 黙祷を捧げます~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

~3年前 2011年3月11日を振り返る~

 

2008年3/4の 乳癌オペから・・・

ちょうど3年が過ぎた( 2011年3月4日オペからまる3年目)

私も、闘病から早や3年やなぁ・・・と

時の速さに ため息をついていた。

 

この3年目・・・っていうのが

1番 精神的に ダメージがくる・・・・・・・・・・・

最初は・・・告知・・・そして・・・

オペだ・・・

次は 抗がん剤だ ・・・・・・・・・・・

その次は放射線だ・・・・・・・・・・

なんだ かんだ・・・・・・・

なんだかんだ・・・・・・・・・・・

日々の生活・仕事・家事育児付きで

こなす 悲惨な日々・・・・・・・・・・・・・・・

シングルで私一人&仲間の支えありで

過ぎ行く日々。

(支えてくれた仲間のあったかい手、あったかい心を

一生忘れない=きよちゃんもこの仲間の一人です^^)

 

生きる為の 嫌な 嫌な どうすることもできない

「NO 」といえない

過酷な過酷なそれはそれは過酷な

薬と放射線と私の体との

戦いが進んでいった。

 

生きていたい とか 死にたい とか

考える 余裕がない3年間が あっというまに過ぎる

 

そして 3年目・・・

すこし ほっとしたころ

ものすごい フラッシュバックが起きてた。

考えないようにしてても

3年前に告知された日からの3年間の

嫌だったシーン 泣き明かしたシーンばっかりが

思い出されて 

これからの先の不安が押し寄せてきて・・・・・・・

 

毎日毎日  本当に 毎日毎日 毎日毎日・・・・・・・・・・・・・・・

娘が登校後 

異常すぎるほど 泣いていて 涙が止まらなかった。

 

すごい「うつ」に陥っていた。

3年目にして 私の心の闇から声が出る

「死にたい」

「死にたい」

「どうやったら死ねるんやろう」

オペから3年目の

2011年2月くらいから 始まった 

~死にたい病との戦い~

 

そんな

死にたい病を抱えて

日々真っ暗な心でいるときに

2011年 3月11日の この東日本大震災が起きた・・・・・・・・・

 

衝撃だった

    一体これは・・・・・・・・・・・

          どうなってしまったんだ・・・・・・・・・・・・・・・・

いっきに こんなにも あっけなく 

波にのまれ

日に日に増え続ける 死者と行方不明者・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そうなんです。

この 2011年3月11日は

私の心の闇の 「死にたい病」が壊れた日なんです。

 

あかん!!!!!!!!!!!!!!

   あかんやん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

         絶対あかん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

生きて生きて生きていたい人が

         いっきに 

             こんなにたくさん

                        天に召されていかれた

 

あ  り  え  へ  ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

あっ!!!!!!・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、死ぬかもしれない病気を持ってても

一応、経過は順調で

こんなに元気に生きている自分がここにいる

 

明日に希望や夢を持つ

生きて 生きて 生きていきたい人たちが

 

こんなにあっけなく 亡くなっっていった このひどすぎる現実

 

テレビに映る

大震災の映像から

日々 涙が止まらなかったのと

 

~私の心の闇の「死にたい病」が壊れ

                   新たな目標が生まれた日~

どんなに辛くても

私は生きてる

「死にたい」なんて思ってたら バチ当たる!!!

震災で亡くなった方々に申し訳ない・・・・・・・・・・・・

 

私の「闇の心」を

「やる気の心」に変えてくれた

             ~奇跡の日~

 

だからこそ

その日から 心に誓った!!!!!!!!!!!!!

 

ちっちゃな事でもいい

点みたいな支援でもいいから

私のできる 被災地支援を

ぜったいに叶えるんだ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

そう 心に誓った日から 3年の時が流れた・・・・・・・・。

 

ただ単に・・・笑顔を作りたいとか

そんな 簡単な感情から

被災地支援なんていう言葉をいっているのではなかったのですが

自分の病を 公表していなかったので

今。。。真実を語ります。

 

突然 告知を受ける大病患者となる人と

突然 震災を受け被災者となる人は

どこか 似ているんです。

 

「なんで なんで 私だけが???」

「なんで???」

「うそやーーーーーーーー

          助けてーーーーーーーーーーーーーー」

叫び 怒りをぶつけるところが

「ない」んです。

 

勝手にやってくる 大病

勝手にやってくる 自然災害

 

誰に 怒る?????

 

やりばのない感情を

自分自身で

耐え忍ぶしかない

 

でもね

大病は

ひょっとしたら

本当に 天に召される日がくるかもです。

 

健康でいれれば

どうにか こうにか

人生の時間は進むんです。

 

だから

生きること

諦めないでほしい

健康でいることを大事にしてほしい

 

そして

待っててほしい

ミラクル倶楽部が

必ず 被災地に出向いて

きれい 素敵に変身して貰い

沢山の笑顔の写真をのこす支援に

絶対に 絶対に 絶対にいくから!!!!!!!!!!!!!

 

被災地への

ボランティア支援が続けれる

道筋を見つけて

きっこが生きている限り

続けて いけるような準備をします。

 

諦めない!!!!!!!!!!!!!!

無理な支援かもですが

絶対 諦めない!!!!!!!!!!!

私の

心の闇を ぶっ壊してくれたのだから・・・。

 

東日本大震災で

「心が闇になった多くのみんな」を

すこしでも 笑顔にしたいんです・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

なみだは一杯流せばいい

        辛いときは 「辛い」といえばいい

               「もう嫌やーーーーーーーーーーーーーーーーー」と

                       なんどでもなんどでも 叫べばいいんだ

 

生きること

     笑うこと 

        手をつなぐこと

この3つを 忘れないで 諦めないで

 

一生懸命 本当に 一生懸命生きていたら

 

あったかい手が

        救いの手が

              必ず やってくるから

 

きっこが

    どうしても

        被災地支援を実現したい

 

                   本当の理由でした

 

 

石巻の きよちゃん

          ひざも腰も 相当具合悪そうだね

 

今日も

   忙しくしていることだと思います。

 

夜にでも

 メールするからね

 

頑張らなくていいから

    ひとやすみ ふたやすみで

          ゆっくり過ごしてくださいね

 

 

簡単なことではない事を

しっかり実現にむけて進む力を

貰った日    3・11

そして

日本の国民の誰もが

心が痛すぎる 辛い日 3・11を

 

                一生忘れません

                                  きっこ

 

 

 

 

 


2008年3月4日 この日から私の奇跡は始まった(2014年3/4)

2014年03月04日 10時05分55秒 | 真実の奇跡

 

生きてるよ 私

きっこちゃん
今を普通に生きてる事こそが、

人生最大の奇跡

今日は
2014年3月4日
6年前の
2008年3月4日に
運命の癌切除の大手術の日でした。

6年目にして
治療も投薬もなくなった!!!うそみたいな本当の話の大奇跡話です



2008年2/4の晩の
自宅のお風呂で
左胸にゴリゴリとした梅干しの種みたいなシコリ発見。

7日診察
エコ―、マンモ撮影後、すぐに
「これは乳癌ですね」と

女医にあっさり言われ、

診察室ながら、頭から氷水を浴びせられたようだった。

細胞検査もすぐにした。

次回の診察から

今の主治医で、現在は佐藤病院の院長の河合先生にバトンタッチ。

細胞検査の結果もふまえ、
河合先生から
「乳癌です。そして左脇リンパ節に転移がみられます。オペが必要で温存は不可能です」

真っ暗闇の中に取り残された気がした。

父親も てっちゃんばぁちゃんも、癌で亡くしていた私は、すぐに思った。

『私、死ぬんだ』

涙を流したのは、決まって夜中と、娘が学校に行った後の午前中に、

泣き喚いて、泣き崩れる毎日だった。

やっとの・・・やっとの・・・やっとの思いで、

娘と二人の生活・・・これから と言う時だった。

悔しいやら、情けないやら、腹立たしいやら、

感情がコントロールできない位にきちがいになってた。

入院やオペ日が決まって、

まだ当時、小5の娘に私の病気を伝えねばいけない大仕事が残ってた。

私の母親のような着付けからの長年の友人の、

マッチママがたまたま、『ご飯行こうか』とお誘いがあった。

すごくタイミングがいい。

そのご飯の時に、娘とママに告知した。

娘からは大粒の涙がいっぱい流れ大泣きされ、

ママの目にも涙であふれてた。

あぁ笑顔にしたい支援とか仕事をしてるはずが、

私の身近な人々を泣かす事しかできないのか 

と自分で自分が嫌にもなった。

人生初の上半身ヌ―ドをスタジオファンタジーの、

みいちゃん(オーナー)にお願いして、

6年前の昨日 2008年3月3日、撮影して、オペ前の姿を写真で残した。

(その昨日スタジオにいた私はみぃちゃんと仕事の話をしながら

 画像チェックしていた^^元気に仕事の話をしている今日がウソみたい^^と

二人で笑ってたのです^^)

ヘアーメイクの仕事を続けていて、スタジオとのご縁もあって、

本当に良かったと思います。

6年前の今日、ママが自宅までお迎えに来てくれて、

病院到着後、すぐにオペに入った日でした。

病室を出た所から、オペ室に入るまで、

河合先生が横に立ってて、

私に「大丈夫だよ。僕に任せて」と言ってくれた時の河合先生の顔が、

とても真剣で本当に私を救いたいと思ってくれている眼差しだったのを忘れない。

ストレッチャ―が動き出し、河合先生の背中が見えた瞬間、

背中からたくさんの光りが射したのが見えた。

点滴でやや朦朧としてたのかもだけど、

瞬間思ったの。『えっ!この人、神様!!!』って。

オペの恐怖を消し去ってくれた、瞬間だった。

それでも、目が覚めたら、左胸がない身体になっている事が、

中々受け入れがたかったし、嫌だった。

しょうがない。命と引き替えなのだからと、

何万回言い聞かせても嫌だったなぁ。悲しかったなぁ。つらすぎたなぁ。

そして そして 語り尽くすのが長すぎるほどの闘病生活&


死ぬ覚悟を持ちながら、生きる生活が始まったのです。

                                  つづく(仕事行って来ます^^)