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鄭宜農:海王星は私をもっとも象徴できる惑星!

2011年08月01日 21時00分31秒 | 芸能

女優をしながら歌手を目指した鄭宜農、78日、全10曲入りのファーストアルバム、“海王星(ネプチューン)”をリリースしました。10曲はともに彼女が作詞と作曲を務めました。アルバム名の由来について、彼女は「海王星は太陽からもっとも遠くにある青色の惑星だ。表面は氷のマントルに覆われているが、中は巨大なエネルギーを秘めている。外は冷たく中は熱いこの美しい惑星は自分をもっとも象徴できる星だ」と説明しています。複数のインディーズバンドが力を出し合って、アルバムの製作には当たったため、音楽の深みが出たほか、アルバムの視野もより広がったといいます。 

 

さて、鄭宜農は1987年に台湾東北部の宜蘭県に生まれて、中国語学科の出身です。お父さんは世界各国で数々の映画賞を受賞した、台湾を代表する名監督、鄭文堂監督です。12歳の誕生日にお母さんから小さなギターをプレゼントされて、ギターの和音であるいくつかのコードと何曲かの古い歌を身につけました。しかし、そのご、そのギターはすっかり彼女の部屋の片隅で放置状態になったとのことです。

 

とはいえ、2007年、19歳のとき、毎日夜中まで遊んでいる大学生活が嫌だと思うようになり、彼女は再び、ギターを手にして弾き語るようになりました。そのとき、彼女は生で歌を聞かせてくれるライブハウスで歌ったり、お父さんが監督した映画、“夏天的尾巴(サマーズテール)”のためのストーリーを書いたりしていました。いろいろなことに興味を持っていて、やりたいこともたくさんありますので、同じ2007年に彼女はついに学校を休学することを決めました。

 

そのあと、鄭宜農は自分が脚本を書いた映画“夏天的尾巴(サマーズテール)”でヒロインとしてスクリーンデビューしたところ、台湾の映画大賞、第44回金馬賞で最優秀新人賞にノミネートされるなど、優れた演技を見せています。この映画のテーマソングを含むオリジナル曲5曲を作っては、歌ったりするなど、これらの経験は彼女が音楽の仕事を本格的に始めるきっかけとなりました。2009年にインディーズレーベルの小白兔唱片(ホワイト・ラビットレコード)と契約を交わして、同社にとって最初の女性シンガーとなってからは更に音楽作りに専念しようと決意しました。

 

初めての録音、初めてのステージでのパフォーマンス、初めてのライブ・ツアー、初めての音楽祭参加など、彼女は精力的に自分の音楽キャリアを積み重ねているうちに、最初ははにかんで、下を向いたまま歌っていた彼女も、今はすっかりバンドの前に立ってハードロックを熱唱するなど、実に驚くほどの成長ぶりでした。

 

鄭文堂監督がメガホンを取った映画の“眼涙(ティア)”に出演したのち、鄭宜農はニューヨークへ行ってのんびりと長いバケーションを過ごしました。ニューヨークで、彼女はほかの国からのアーティストに出会って、その人と一緒にストリート・パフォーマンスを披露したりしました。ストリートを舞台に音楽活動を展開するこれらストリートミュージシャンらの生活ぶりを見て、 “音楽で人生を表現するなら、より多くの力を注ぎ、音楽の世界に身を投じなければならない”と実感し、より音楽作りの決心がつきました。

 

それで2009年にEPを出して、フォークギターとその優しい歌声でインディーズ業界で大きな話題を呼び、多くのファンを虜にしたのに続き、今年78日に、ようやくみなが待望のこのファーストアルバム“海王星(ネプチューン)”を出したのです。女優だけでなくシンガー・ソングライターとしても才能を発揮した鄭宜農、台湾音楽界での更なる活躍を期待したいと思います。(00



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