ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第33話)ユーコン・エリカ

2009年01月11日 10時31分38秒 | 女子ガイコク人列伝
1965年生まれ、カナダ・オンタリオ州トロント出身。168cm、80kg。 (得意技)リフトアップ・スラム、カナディアン・バックブリーカー
 本名をクリスティーナ・ドットコウスキーといい、86年にトロントで開催された重量上げの世界選手権で、ベンチプレス165キロのレコードを樹立。世界王者となり同年6月に初来日した。全女で大々的に“重量上げ世界王者”のプロレス転向記者会見をしてプロレス界入り。確か「タッグリーグ・ザ・ベスト」の会見と合わせ、後楽園ホールの展示場を借りて発表をしたが、そのビルドアップされた筋肉にマスコミも一様にビックリしたものだ。その肉体はいかにも重量上げ出身らしく、上半身が異常に鍛えられ、上腕は丸太のようだった。また、薬物の影響か、声はひどく野太かったことを覚えている。
 デビューにあたり、地元トロントの名レスラーで50年代に活躍したユーコン・エリックにちなんで、リングネームをユーコン・エリカと命名。このエリックはキラー・コワルスキーのフライング・ニードロップで耳を削がれたことによって後年、選手生命を絶ってしまい自殺したという逸話を持っていた。“耳そぎ事件”は世界のプロレス史の出来事の一つだった。
 プロレスの練習もそこそこに、エリカは後楽園ホールで軽量の永友香奈子を相手に、豪快に初陣を飾った。怪力レスラーの定番技である、相手を高々と持ち上げてのリフトアップ・スラムは見るべきものがあった。当時はクラッシュ・ギャルズ人気一色だっただけに、ファンの関心はほとんどなく、最初はマスコミも取り上げてくれたものの、終いには誰も触れることがなくなり、単なる一外国人レスラーでしかなかったのは残念な限りだ。翌年も再来日したが、パンテラ・スレーニャとの異国人対決はとても見られた試合ではなかった。そして日本の水にも合わず、春先には帰国してしまい2度と来日はしなかった。



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