ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

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女子ガイコク人列伝(第25話)ソチ浜田

2008年12月26日 10時22分54秒 | 女子ガイコク人列伝
1970年5月1日生まれ、メキシコ・タマウリバス州ヌエボラレド出身。165cm、75kg。(得意技)パワー・ボム、プランチャ
 父親は“小さな巨人”の異名を持ち、日本人ルチャドールの先駆者的な存在であるグラン浜田。妹は浜田文子、旦那はペンタゴン・ブラックという文字通りのルチャ・ファミリー。幼い頃から父の試合を見て育ったソチは、家にルチャドールたちが日常的に出入りするような家庭で過ごしていた。その後ブルー・パンテルのコーチを受けて、16歳になった86年にジャパン女子プロレスにプロレス留学生として入門。父とジャッキー佐藤に日本のスタイルを学び、同年9月5日に後楽園ホールでジャッキーを相手に晴れてデビュー。
 87年には早くも復活した太平洋タッグをミスA(現ダイナマイト・関西)と組んで獲得。帰国後はEMLLマットに登場し、90年にはユニバーサル・プロレスの旗揚げに参戦。私はこの頃にソチと初めて出会った。ライバルのエステルからは、あまりいい話を聞いていなかったが、話してみるとエステルと違い、育ちの良さを感じたものだ。93年3月23日、ソチはアレナ・メヒコでブル中野を破って第2代CMLL世界女子王座を奪取してしまった。この勝利はまさに快挙であり、ソチの名前を一躍大きくさせた。
 90年代の初期、プライベートではネグロ・カサスと付き合っていたが、いつの間にかシルバー・キングと結婚。一児を授かったが離婚。その後モンテレー出身のフランキーと再婚したが、長続きはせずに、今度はペンタゴンと結婚し現在に至っている。ソチはルチャドーラ版の恋多き女と言えよう。
 年々ウエイトが増加し、華麗なファイトから、すっかりパワー・ファイターに変身するも第一線で活躍。Jd’の創成期や、みちのくプロレスにも参戦したが、私はアルシオンで浜田文子をデビューさせると、ソチを招聘するのは必然だったかもしれない。00年に文子からソチのアルシオン出場を頼まれ来日させたが、そのうちに「日本で引退したい」と言ってきた。この話はトントン拍子に進み、その年の暮れには引退試合を組むことになった。引退試合の対戦相手には文子が買って出た。それも敗者髪切りマッチ。この試合を裁くレフェリーは父のグラン浜田しかいなかった。文子は獲得したばかりのクイーン・オブ・アルシオンのベルトを賭けて見事に防衛。ソチは丸刈りというより、ベリーショートのヘア・スタイルで凌いだが、誰も文句は言わなかった。
 引退したソチだが、05年くらいからペンタゴンとのミックスマッチで時折リングに上がるようになった。復帰といえば復帰だが、メキシコではそんなことは関知していない。現在はメキシコにほど近い、テキサス州で住みながら、試合をしている。08年9月には妹の文子がデビュー10周年記念大会を開催すると、久しぶりに来日し健在ぶりを見せていた。母は実に逞しいものだ。


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