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女子ガイコク人列伝(第21話)ローラ・ゴンザレス

2008年12月19日 07時22分32秒 | 女子ガイコク人列伝
1959年3月2日生まれ、メキシコ・チワワ州シウダファレス出身。165㎝、75㎏ (得意技)タパティア、カンパーナ、ゴリー・スペシャル
 今なお現役で活躍し、ルチャドーラの歴史にさん然と輝く実力者で、レジェンダ(伝説)の域に達した名選手。全盛期は“ディナミタ”(ダイナマイト)の異名を誇り、UWA、CMLL、AAAと渡り歩いた。
 75年にデビューし、本格派のテクニカとして注目され、78年1月に全日本女子プロレスに初来日。丁度、私が全女に入社した時期と重なっているが、特に強烈な印象はなく、帰国後に“怪魚仮面”フィッシュマンと結婚したことで、ようやく名前を覚えた次第だ。外敵であるビッキー・ウイリアムスとの死闘で名前を上げ、81年にはUWA世界王座を奪取。何と1年間で33回連続防衛した記録が残っているほど、当時の絶対王者だったわけだ。
 85年の来日では、立野記代や山崎五紀の挑戦を退けたが、翌年になるとジャパン女子プロレスに転出。神取忍に敗れ、虎の子の王座から転落した。92年にはブル中野と初代CMLL世界女子王座決定戦で激突。私もこの時はリングサイドで撮影をしていたが、ローラの厳しい攻撃にさすがのブルも防戦一方。嫌らしいほどの固い攻めの連続でブルも大苦戦。結果はブルが初代王者に君臨したが、地元エースの意地を見せつけた一戦だった。その後はAAAに移ったが、数年でCMLLにターンし、95年11月にはアレナ・コリセオでJd’が設立した初代TWA世界王座を獲得。日本での主戦場を旗揚げ間近のJd’に移行した。
 01年に私は浜田文子&藤田愛を連れメキシコに行った。彼女たちをアレナ・メヒコのリングに上げることを最大の目的としたが、新人発掘も兼ねての旅だった。そこで白羽の矢を立てたのが、ローラの娘パロマだ。フィッシュマンとローラの遺伝子が入ったルチャドーラを作ろうと画策したが、ローラは「パロマを日本でデビューさせてもいいわ。ところで私はどう?」と自分の売り込みもしてきた。1度、「ネッサで試合があるので見に来てくれ」と言われ足を運んだが、試合はミックスマッチ。ローラは私が見ているものだから大ハッスル。プランチャは飛ぶは、それはそれは熱い試合を見せてくれたのだ。どうも話をしていくと娘と一緒に自分も日本に行きたいと言うのだ。さすがにローラを呼んでも扱いに困る。そんな訳で娘を断念。ローラとすれば最初から、娘より自身のことが優先だったようだ。06年9月にメキシコで再会したが、後輩のレディ・アパッチェが気を使って、私との食事会にローラを誘ってくれたのだ。
 私とは同世代だが、いまだに現役で頑張っている。AAAでプロモーターもしているみたいだが、後日メキシコの雑誌を見たら、裸で体中をペイントしたローラの姿があった。いわゆる熟女ヌードである。見たくないものを見てしまったが後の祭り。みんな生き抜くのに必死だ。それでもローラの功績に誰も及ばない。

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