六本木画廊ブログ

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嶋中俊文-命・漆と白光の狭間-昨日初日を迎えました。

2012-11-24 11:46:41 | 日記
嶋中作品は現世を赤裸々に映し出す鏡といってもいいだろう。

誰もが包み隠したくなる生きるためのあがき。

薄皮一枚下で飽くことなく繰り返される生への渇望と執着。

その絶望と希望の混濁した世界を、敢えて追究し続ける画家・嶋中俊文。

それ故に、時に彼の作品から目を背けてしまう者もいる。

それほど彼の作品には生々しいほどの迫真性があるからだ。

前回おこなわれた個展では、嶋中の作品に対峙した時、私たちはその中に自分自身の「命」の姿を見た。

今回は「生への執着」を体感するだろう。

我々は奇跡的に守られているこの実世界の中で、不安や畏れ、不条理への怒りに震え傷つきながらも、

生を勝ち取って歩みを止めることは出来ない。そんな我々に嶋中作品は今展でも答えてくれるだろう。

静かに強く。 





今回はスクリームシリーズ、扉シリーズに加え、HANDSシリーズを出品。

作家が描き出す「命のかたち」を是非ご覧ください。





「白土の焼結へ」-勝野眞言の世界-が18日に終了いたしました。

2012-11-22 15:10:03 | 日記
「白土の焼結へ」-勝野眞言の世界-が18日に終了いたしました。

11日間の会期中、大変多くのお客様にお越し頂いきましたこと、ここにあらためて御礼申し上げます。

これはひとえに、作家として新たな領域を探究し続ける姿勢から生まれる質の高い作品群や、

年月を経ても変わらない人間・勝野眞言の素晴らしいお人柄によるものです。

ひきもきらない来廊者一人ひとりと、久方の再会を喜び、互いの健闘を誓い、時に悩み揺れる若者を力づけ・・・。

そのような場に居合わせた誰もが、心に溢れる温かなものを感じたことでしょう。


氏は制作の場を熊本に移して7年目を迎えられますが、それまでは23年の長きにわたり,

都内予備校にて美大・藝大を目指す若き学生たちの指導に情熱を注いでこられました。

教え子の中には、今や国内外の様々なアートシーンで活躍する作家も少なくありません。

そんな数多い教え子の末席に連なる私も、昨夏の開廊にあたり、原点である勝野氏に是非個展をとお願いをしました。

氏は快諾、その後1年をかけて、天草陶石という有田焼の原料となる素材を使用した作品群を制作され、

今展開催の運びとなった次第です。


氏は長年「人のかたちを現す」ことを追究してこられましたが、熊本での天草陶石との出会いは、新たな展開と格闘をもたらしました。

高温の炎が描くデッサン、精緻な計算を超えたところに生まれる、だれも見たことのない表現への道は、まだ研究途中とのこと。

これからも氏の格闘がどのような「焼結」となって顕現することになるのか、皆様とともに注目していきたいと思います。




六本木画廊では、この記念すべきマイル・ストーンともいえる展覧会出品作や熊本のプロジェクト「大地のメモリアル」の

記録などを掲載した図録を販売しております。見逃された方、いつでも手元において見返したい方、制作の資料などに

是非お買い求めください。(オールカラーページ/価格1,500円/60部のみ。)

國澤 薫 おりおりつれづれ染織展を終えて。

2012-11-07 20:02:38 | 日記

國澤先生の初めての東京での個展が日曜日に終わり、3日間が過ぎました。

先生とは個展を迎えるまでの約1年間、短いメールと電話でのやりとりで連絡を取り合っていましたが、

会期中、ようやくその間を埋めるようにいろいろとお話しをさせて頂くことが出来ました。

先生が腰を痛めて個展を諦めようかと思うほど、追い詰められていたことも初めて知りました。

先生は東京にいる間、貪欲的に様々なものを取り入れたい気持ちが強く、

街を探索したり、画廊に来られた多くの方々にご意見を伺ったり、

時には、表参道のスパイラルホールで開催されていたジ・アートフェアの「+プリュス・ジ・アートフェア003」会場へも。

私と共に足を運び、現代アートをじっくり見て、会場に立っていたディレクターや作家から直接話を聞かれてもいました。

画廊での個展の会期が終了した後も直ぐに京都に戻らず、横浜辺りにも足を運ぶと聞いています。

多分今頃新幹線の車中かもしれません。本当に頭が下がる思いです。


またいつか六本木画廊で個展をされる時には、進化した國澤先生と作品にお会い出来ると思います。

その時は自分も進化した姿をお見せしたいと強く感じたこの3日間でもありました。



國澤 薫 おりおりつれづれ染織展。

2012-11-02 16:13:33 | 日記
基本的に綴織は下図のデザイン、糸染め、織りは別々の職人の方がおやりになるところ、

國澤先生は図案作り、染め、織りもこなす京都伝統工芸士です。


綴織の国産化は18世紀前半に、京都西陣の林瀬平が初めて織り出し、

19世紀には紋屋次郎兵衛が祇園占出山の日本三景図を織り出している。

この織物は、各地で自然的に修得された製作技法であったとみられ、

エジプト第18王朝のアメンヘテプ2世の王章を入れた綴織がもっとも古いとされているが、

同時代のものは、ペルーの海岸砂漠地帯でも出土しており、西アジアでの綴織起源説もあります。

古いものではコプト裂、ペルーのプレ・インカ裂が知られ、フランスのゴブラン織、中国の刻糸が著名です。


日本では、正倉院裂、綴錦(つづれにしき)ともいい、緯(よこ)糸に二色から数十色以上の色糸を使い、

模様部分だけ織り綴るようにして模様を表した織物。緯糸は模様部分では織耳から織耳まで通っておらず、

つづら折りのように蛇行して織り進められるので、綴織の名称がつけられた説もあります。

一般に、たて糸にはじょうぶな麻または木綿を使い強く張ったのち、

下絵に従って数十種の甘撚(あまよ)りにした羊毛あるいは絹・金銀糸などの色緯糸を

一部分ずつ小さな杼(ひ)という糸の間を左右にくぐらせる用具で織機の付属の端から糸を引き出しつつ、

縦で通しながらつまさきで手前にかき寄せ、筋立(櫛状の織詰め具)で軽く寄せながら織る。

組織的には平織の変化組織であるが、緯糸は色の境目で折り返されて、編むように織り進められるから、

その部分にはたて方向にすきまができる。これを「はつりの目」とよんでいる。

このすきまの部分を埋めるために、両方の接する緯糸を互いに絡めあって防止する…。


多分この文章でご理解頂くのは難しいと思います。この文章を作っている自分でさえ分からなくなっていきます。

それほど、繊細な手仕事を継続してひとつの作品が仕上がっていきます。

ちなみに、図案を考え作品が完成するまでにおよそ4カ月ほどと聞いております。


詳しくは、是非足をお運び頂いて、作家ご本人からお話をお聞きください。

※会期は明後日16時までです。