くり部屋blog

くりえいてぃぶな人が集まる、ぬるーいブログにしたいと思ってます。

8月15日は何の日か?

2008-08-20 14:53:13 | ただの独り言
子供の頃、8月になると必ず
戦争関連の特集をテレビでやっていたが
今はあまり見なくなった。

さすがに8月6日は
広島ローカルで特集が組まれるが
全国ニュースでは流れもしない。

よく識者と称する人が
「最近の子供は8月6日が
何の日かも知らない」と
白々しく嘆いてみせるが、
教えてないのだから
知らないのは当たり前だ。

メディアの役割って何だ?

さて、8月15日は何の日か?

終戦記念日だ。
そんなことは知っている。

ではなぜ8月15日が
終戦記念日なのか?

実は法律上の根拠は何もない。
63年前の8月15日はただ
天皇から降伏が告げられた
夏の暑い一日である。

以下の文章は8月13日付の
産経新聞「正論」から。


たしかに、ただもつぱら法理的な観点から見るならば、
昭和20年8月15日は何の日でもない。
ポツダム宣言の正式な受諾は8月14日のことであり、
帝国大本営が全軍に休戦命令を出したのは8月16日である。
降伏文書が調印されたのは同年9月2日であり、
さらに本当の意味での「終戦」は昭和27年4月28日、
サンフランシスコ講和条約発効の日であつたと言はねばならない。
8月15日はただ、
天皇陛下の玉音(ぎょくおん)放送により
日本国民に日本の降伏が告げ知らされた日に
すぎないのである。

【正論】「8月15日」 埼玉大学教授・長谷川三千子


長谷川氏はこの文章に続けて
「死者の霊と交流する「お盆」であったこと」と
「玉音放送のときの「あのシーンとした国民の心の一瞬」の存在」が
8月15日が終戦記念日として定着した理由だと述べている。

それが妥当な答えなのかどうか、
正直いってよくわからない。

ただ自分は
なぜ8月15日が終戦記念日なのかなんて
考えたことがなかった。
疑問に思ってなかった。

そういうことに気付かせてくれるのも
メディアの役割のひとつなのかな、と
そんなことを考えた
夏の暑い一日でした。

「これでいいのだ」タモリが読んだ弔辞

2008-08-08 22:34:50 | ただの独り言
昨日、報道ステーションで
タモリが赤塚不二夫の葬儀で弔辞を読むのを見たのだが…
よく聞いてなかった …

今日ネットで全文読んだら
すごくいい弔辞だ。
もっとちゃんとテレビ見ればよかった。

exciteニュース タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに

…あなたの考えはすべての出来事、存在を
あるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、
重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また、時間は前後関係を断ち放たれて、
その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。

…私は人生で初めて読む弔辞が、
あなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、
一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、
他人を通じて知りました。
しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

平成20年8月7日、森田一義


タモリが赤塚不二夫に見出されたことも
今回初めて知った。wikiによると

…臨席したうちのひとりである漫画家の赤塚不二夫は、
「この男を博多に帰してはいけない」と引き留め、自らの家に居候させた。

…タモリの居候生活は、
住居は家賃17万円で4LDKのマンションであり、車はベンツが乗り放題、
赤塚からは月に20万円の小遣いが渡されるというものだった。
赤塚本人は下落合の仕事場のロッカーを倒し、布団を敷いて寝ていた。
赤塚以外ではこんな関係は成り立たなかっただろうとタモリも認め、
大恩人だと語っている。


本人も語っているが
肉親以上の存在だったらしい。
だからこんな台詞もでてくるのだろう。

「私もあなたの数多くの作品の1つです」

師匠に報いる弟子の言葉として
これ以上のものはちょっと思いつかない。



タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞



まんがで読破 人間失格

2008-08-05 21:35:34 | レビュー

人間失格 (まんがで読破)


中学の時、Sという友人が僕のところへやってきて、
まるで秘密を明かすようにこっそりと
「太宰治と三島由紀夫を全巻読破した」と呟いた。
Sに影響を受けていた僕はすぐに真似をした。
三島由紀夫は「金閣寺」を読んだだけで挫折したが、
太宰治は「斜陽」「晩年」「人間失格」と読みすすむうちに…はまった。
「太宰は僕だ」「僕も太宰のように若くして死ぬんだ」と
中学生らしい勘違いをしつつ、
全巻とはいかなかったが半分くらいは読んだ。

で、今年は太宰没後60年だそうだ。
「まんがで読破 人間失格」をコンビニで購入。
以下、感想。

粗筋だけを追っかけるような薄っぺらさは若干あるものの、
原作をほぼ忠実にトレースしている。
タッチが雰囲気に合っていて良い。
まんがで読んで初めて気づいたが、葉蔵(主人公)が女にもてすぎだ。
カフェの女給も女編集者もタバコ屋の娘も…貞操観念無さすぎ。
現代は性のモラルが崩壊したとか言われるが、
昭和初期も似たようなものじゃないのか。

葉蔵は父親を恐れ世間を恐れ女を恐れ、
道化を演じて生きている。
人に嫌われたくない。
本当のことを口にできない。
だから酒に溺れる。薬に溺れる。
この自信のなさ、卑屈さはどこから来るのか? 
答えは加藤諦三先生に聞いてみよう。



自信

結局のところ、依頼心の強さが原因なのだ…
と精神分析的に読むと味わいも何も無くなってしまうが。
39歳になった僕は昔に比べてずいぶん図々しくなり、
太宰のような死に方はしそうにない。
39歳は太宰が玉川に入水した年齢だ。

下は爆笑問題太田光が「晩年」について語った動画。
太宰の魅力は言葉で言い表すのが難しいが、
なかなか核心を突いている。
この人、頭がいいな。

太田光 人生を変えた一冊 1/3