またまた、
爺さまの、
ここ、数日のお話しです。
2月手術中に心停止した、
心臓で、
自宅に戻っても
思うように歩きにくくなった、
93歳の父
転倒して、
右大腿部頸部骨折 😱
心臓と、歳のリスクで、
受け入れ先が、
なかなか
見つかりません、、、😰
県北部では、
難しいと、主治医が判断し、
救急車で、
県南の病院へ
それでも、
「 覚悟しておいてください!」
と、Dr.
「 今まで、よくがんばったんだから、
延命はいいです!」
と、キッパリ!
「 わかりました!」
と、Dr.
今まで、何ども繰り返してきた、
問答です。
「 麻酔から、目覚めないかもしれない。」
肺炎も起こしていました。
それでも、
家族の覚悟をよそに、
術後、
次の日からリハビリして、
車椅子トレーニング
2日もすると、
付き添って食堂に行くと、
81歳だと言う
他の患者さんと
お話し
この地
岡山空襲の時のお話し
やはり、
想い起こすのは、
戦中、戦後が多いようだ。
昔、むかしの事は、
鮮明に ✨
「確か、
岡山空襲は、6月29日だったか、、」
と、父が話すと、
「そうですよ。合っていますよ。」
と、その81歳のおじ様が、
そう言うと、
当時のことを
話され始められたのです。
「私は、空襲の時は、7歳だったんですよ。父は、終戦で帰って来ましたが、5年ほどで亡くなりましてね。兄も戦争で亡くしたんですよ。岡山空襲の時は、爺さんに言われて、焼け跡の異臭の中から、叔父さんを探しに出かけてね。法界院から、汽車に乗って、今のようなんじゃなくて、箱に棒が立ってるだけで、その棒をつかんでいるだけの汽車でして。
焼け跡から、オーイ、オーイ、って、おじさんの声が聞こえたんです。見つけた時は、うれしかったです。リヤカーのようなもんで、引っ張って帰ったんですよ。辺り一面焼け野原でして、、、。」
父が、
「 知り合いが駅の近くの店に勤めていて
地下に逃げて死んでしもうて、、、」
と、言うと、
「合ってますよ。地下に逃げてしまったもんは、
閉じ込められて、助からんかった。
川に逃げたもんも、だめだった。
川には、油が流れていて、焼夷弾落とされたから、
いっぱつで、やられてしもうた。
でも、山に逃げたもんは、
助かった。三野公園ですよ。」
何だか、、、
戦後生まれの
私には、
遠い世界の事ですが。
還暦を迎えたとは、
言っても🤔
当時のことを
小さかったながら、
覚えてお話ししてくださる方が、
まだ、おられることが、
ありがたい。
ここ、
病院から見えるこの風景は、
戦時中とは、
全然違うのだろうと、
想像に難くない。
「93歳なら、100歳めざして、
がんばってください。
私は、88歳をめざします。」
と、
父に言ってくださった。 😅
とりあえず、
車椅子生活が、
自力でできるように
なりますように、、、、