熊本市会 鈴木 弘のまちづくりのすすめ

21世紀はそれぞれの地域のことは、それぞれの地域で決めていく時代ではないでしょうか。みんなで一緒に考えてみましょう。

「このとりのゆりかご」への提言(続編)

2007年03月17日 | アラカルト
熊本市長、許可の意向という記事に触れた。恐らく今月中の許可になると思う。
先にも述べたように、市に申請されているのは、慈恵病院の建物の構造変更の許可申請だ。いつまでも放置するわけにはいかない。

これまで、いろいろな検討を行った上での判断だと思うので、設置の意向との判断を了としたい。
ただ今回の問題は、救える命があれば対応しよという支援策の一つであって、すべての問題が解決する訳ではない。また命を軽視する風潮を助長するのではないかという懸念に応えるものでもない。

今回の問題を入り口として、救える命をどう救うのか。これからが本格的な議論と対策が求められている。
そこで、私見ではあるが現時点での提案を行いたい。

記事で幸山市長は、望まない妊娠についてコメントしていた。
私は、妊娠には、①望まない妊娠と、②望む妊娠があり、この二つにどう対応するかが重要だと考える。

対策としては、5つあると考える。
①命の大切さの認識。②性教育。③妊娠中絶(これに関しては、倫理観により対応が大きく分かれる)。④遺棄される可能性のある赤ちゃんを預かる施設、いわゆる「こうのとりのゆりかご」の設置。そして⑤匿名性を確保した相談体勢の確立である。

今回はこの④が注目され議論されているが、本来は、⑤の匿名性を確保した相談体制の確立なくして④番も活きないと考える。

慈恵病院では、預けた、または置いていった親に対して、もう一度考えるように手紙を置くとしている。重要な視点と思うが、もっと踏み込んで、相談者の匿名性を法律なり条例で守り、事前のケースケースに合わせた相談体制の確立こそ急務であると提案する。

慈恵病院に、こうのとりのゆりかごが設置された場合、おそらく預けられる赤ちゃんは、望む妊娠をしながら、出産後の養育を断念した親の赤ちゃんが多いと考えられる。なぜなら、望まない妊娠の場合、病院が近ければ別だが、それ以外はわざわざ来ないと考えられるからだ。

望む妊娠をしながら養育を断念せざるを得ない理由は三つ考えられる。①身体的理由。②精神的理由。③経済的理由である。これら三つが複雑に絡み合って、養育を断念せざるを得ない場合も多いと思われる。

こうした悩みを抱える親の最大の問題は、孤立していることである。
ひとりで悩み、一人で苦しみ、ひとり涙している姿を思うだけで、こちらまで苦しくなってくる。ひとりで悩み続けることの苦しさ、つらさ。そのことに思いを廻らさなければならない!!

一緒になって考える体制を確立知ること。そのために、安心して相談できるように、法律や条令で匿名性を確保すること。このことが重要である。

おそらく、⑤の匿名性を確保した相談体制の確立で、「こうのとりのゆりかご」に預けられる赤ちゃんを減らすことができると確信している。
また命を軽視する風潮を助長するのではと懸念している人達も、⑤匿名性を確保した相談体制の確立には賛同してもらえると考えている。

まだ構想の段階だが、具体的提案もしておく。
私(公明党)が提案して、設置方針が決まった児童相談所。これと連携する児童養護施設。そして現在、これも私(公明党)が修正提案し、存続している熊本市立病院付属熊本産院との三施設が、できれば同じ敷地内で連携しながら、①から⑤までの対策の拠点施設として機能していくことである。

今存続させた熊本産院は、もともと児童福祉法に基づいて設置された産院であったことを考えると、これら三施設の中で、その使命は大きいと言える。

何れにしろ、今期の議会は終わった。4月22日の市議会改選後の議会で議論するしかない。そのためにも頑張ろうと思う。








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