

この世界には沢山の音楽が存在している。
そうこの日本でも古来の尺八、枇杷、笛、笙、太鼓、三味線、琴などがあり、一部では取り上げられマイナーになっているけど、若い世代には興味がいまいちの楽器集団である。
確かにソウル、バラード、演歌、ジャズ、クラシックに使われる楽器に比べれば地味。
どちらかと言うと世捨て人の類であり感じである。
果たして。
これらを全て否定していいものであろうか?
若い人の感性が限定されたものであるならそれは悲しい。
演奏される楽器の個性、発展性は古来のままでない、それを生かすも殺すも若い人の感性であり、時澄まされたハートである。
どうも我々日本人は古いものを否定するところがあって、大切に守ろうとしないとこがある。
議員を辞めると言っているあの人の言葉を借りれば、すべて戦後の日教組の教育に起因をなしていると言う事になるだろうか?
私に言わせれば戦後の教育そのものに問題があると思う。
国歌イコール軍国主義となる発想が判らない。
国際スポーツ大会で海外の選手が胸を張って礼を持って国歌を聴いているのに対し、
どちらかと言うと卒業式の態度に見える。
国を愛する事が、国歌を論じるのが軍国主義の復活と言うならナンセンスである。
言うなら音楽に国境はないし、罪もない。
ある音楽番組で常磐津とブルーマンの融和した、いやコラボレーションされた演奏が演奏されたが実に聴いていても素晴らしい。
やはりこれ!何事も限定し否定するのでなく、
聴いて、その特性、背景を理解し、幅広い感性を持って音楽と言うものを楽しみたい。
古から作られ語り告げられたその個性こそ文化であり、人の心の原点。
安易に否定し、拒み、破壊して、それだけを信奉し、拘るのでなく、幅広く聴いて楽しむ事のできる、素直な広い心の持ち主になりたいものである。
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