goo blog サービス終了のお知らせ 

四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

みえない秋に思う

2025-08-19 | Weblog
きょうの詩は街に住んでいると季は秋になってもみえてこない秋に思う。みえない秋街に住んでいると朝にかけて静まる冷気の落ちはなく日差しは降雨ようになって降り暑い季は秋を告げているがああ・・・「きょうも夏日か」と溜息をつく朝に見る夏の残像その顔は夏そのもの秋を告げる夜露の降りはなく蝉はいまだに秋蝉にChangeすることなく夏・・と騒ぐ中に見るのは焦土の夏彩。  . . . 本文を読む
コメント

私の散策路

2025-08-18 | Weblog
きょうの詩は私の住む町にある小さな森のなかを走る私の好きな散歩道への想い。森の一本道寺を抱きしめるように覆う小さな森を南北に走る道は北は浅い切通しで、南は宅地の端から雑木と竹林を分ける寺の山門に至る砂利道。いまではその砂利をよけながら歩く癖が染みつき、これは長い町生活の哀しさ。自ら擁護し、砂利を避けて轍を歩く哀しさ。でも、時には砂利道は私を子供の頃に回帰させ、四コマ漫画となって脳裏に描かれる。&n . . . 本文を読む
コメント

手紙に思う

2025-08-17 | Weblog
きょうの詩は私が好きで書く手紙に思う。好きな手紙いまではデジタル機器で全てが済む中で何で手紙なのかそれが答えであり正論かもしれないでも私は紙とインクの匂いが好きで同じ考えの友と文で会話を楽しむけれどそれって面倒じゃない?そうかもしれないけれど文でつづる会話も相手の思いが文を通し相手が見えて楽しいし、思いが分かり楽しい機器で全てが終わるのはよく分かるけれど書いて送り待つ時間の楽しさは手紙の魅力/こう . . . 本文を読む
コメント

咲くゆり

2025-08-16 | Weblog
きょうの詩は八月に咲くこの季最後のタカサゴユリみて思うこと。百合みて思う立秋の頃から咲くユリはシンプルにうなだれるように咲いてほほ笑む白い花が美しい花は人が鑑賞用として持ち込みそれが古来種に影響があるからと否定されいまでは消される花で本来固有種が消えたのは開発などで消え環境に適応するものが残る。それが自然のtheoryいつもこのユリが咲くと思う花に罪はない。  . . . 本文を読む
コメント

残暑に探す秋

2025-08-15 | Weblog
きょうの詩は残暑のほころびのなかで聴く声で知る秋。残暑に探す秋夏色が広がる空白の中に秋を求めるが夏が居座って陽が落ちても気温は下がらず暑く明ける朝は日差しが雨となって降り蝉の声やまずの立秋の朝に見えない秋を原色の中に求めるが秋を拾えない中で知る朝夕に森で鳴くヒグラシの声を拾い夏色の破れの中に微かな秋を知る。  . . . 本文を読む
コメント