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アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

餅・セリ・レンコン・ミツバ

2013-12-30 22:34:03 | 食べ物たち
今日は、正月用の餅をついた、例によって約30キロ。
もち米は2日前に研いで水に浸してあった。
今朝は強い冷え込みで外井戸の水道が凍っており、ようやく8時過ぎに水が出るようになる。
一家総出の6人係り、といっても子供たちは竈の焚き付けを少し手伝った程度だが。
釜にお湯を沸かして蒸篭を載せてもち米を蒸かす。
餅つきのちょっとした楽しみに、蒸かしあがったもち米のおにぎりを食べることがあるが、今回もまた皆1つずつ塩だけのシンプルなおにぎりを頬張った。
午前中かかって餅つきをし、お昼はつきたての餅で雑煮を作る。
鶏肉と長ネギの旨みと香りの良い汁に、白い餅が美しい。
今日の餅つきは天気に恵まれ早くできたと感想を述べ合いながら、雑煮とあんころ餅を食べた。
古い母屋の座敷には、お供えの鏡餅と丸餅、伸し餅、紫蘇の実漬けを入れた餅、うるち米を4割混ぜた”たがね”の紫蘇と青海苔にゴマの餅たちが、筵の上にねかされている。

夕食には、知り合いの農家の方々に頂いたレンコンで作ったきんぴらや、セリをふんだんに使った豆腐の味噌汁など、旬の野菜たちが食卓を豊かにしてくれた。
明日は、採れたてのミツバを卵で閉じた澄まし汁に舌鼓を打とうか。
それとも、鴨そばに彩として添えようか。

日本の大方の田舎では、餅つきは大切な行事、ちょっとした祭りなのだと思っている。
しかし、最近では食生活の多様化、家族の少人数化、餅信仰の希薄化に伴って、田舎での餅つきも衰退の一途を辿っているように思える。
近所のスーパーには、ビニールパックに入ったつきたて餅が売っていた。
反面、ホームセンターには大き目の餅つき機も積み上げて売られている。
餅信仰が、餅つき文化が、いま崖っぷちにいるように感じた。
私も20年後自分で餅をついているかと考えれば、たぶんしていないだろう。
時は流れ、人の暮らしも価値観も変わっていく。
それを批難することは、誰も出来はしない。
米信仰、米文化の頂点を占める「餅」は、人の手から機械へと受け渡されることに。

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