りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 今日は、ナマムスはお休みです。

 さて、野方へは、たいした距離ではないので、歩くことにしました。

 上の公園は、柏公園。まだ、新井ですね。

 少し歩くと、野方と新井の町境にあるバス通りに出ます。

 その通りにあった、神輿蔵のような建物。

 なんでしょう??

 この敷地が個人宅だとしたらすごいですね。

 さらに進むと妙正寺川につきます。

 妙正寺川は、杉並区の妙正寺公園の妙正寺池を水源とする河川。このあたりでかなり蛇行しており、哲学堂公園の中も入っています。

 以前、沼袋のあたりでカワセミを見たこともありました。

 

 そこにかかる新橋。

 このあたりの都市河川は、まるで掘削しているような感じとなっていますので、あたりの地面と平になっています。

 そして現れるのががんかけ地蔵尊。

 傍の看板の解説では、庚申塔、地蔵尊、二三夜碑とあります。

 庚申塔には、太陽と月、青面金剛、3匹の猿、にわとりなどが彫られています。この付近の人々31人が建立したもので、石の側面には享保二一丙辰三月吉祥日(一七三六)と彫ってあります。台石には、「右中村道 左さぎのみや道」と記され、道しるべの役を果たしていました。
 地蔵尊は、延享元年(1744)9月に建立されたもので、沼袋村の矢島亦右衛門のほかにとめ、多よ、いちなど女性の名前が記されています。台石には、秩父、坂東、西国の観音霊場百ケ所をめぐり、長寿福楽と来世での安穏を願った旨の文字が読み取れます。
 二十三夜の碑は、昔、このあたりで疫病がはやったことがあり、祈祷師から以前にこの地にあったはずの二十三夜塔を再建するようにとのお告げがあり、関係者八人によって昭和二年(一九二七)に建てられたものと伝えられています。
平成一二年五月 中野区教育委員会

 ちなみに、享保二一年は、紀元2396年。延享(えんきょう)元年は、紀元2404年。昭和2年は、紀元2587年です。

 庚申塔の話は、淀橋庚申堂で触れました。

 二三夜塔というのは、月待塔と呼ばれるもので、月待講と呼ばれる習慣に伴うもので、特定の月例の日に集まって飲食をしながら、月を待つ行事だったとのこと。なんだか定例の飲み会のような気もしないでもありませんが。

 二三夜は下弦の月だそうで、記念に石塔を建てる習慣もあったようです。

 ここから、野方の町に入ります。

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