りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。








 

このお茶屋さんは行ったの?

 

いや、店先に観光看板を出しているのが面白いと思ってさ。

 

 

そういう風だから、いつまでも記事が終わらないのね。

 昨日は、九州での地震被害。被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。南海トラフの巨大地震注意とやらが出されたとのこと。具体的にどうなるかですね。

 さて、話を戻して、表題は、京葉道路沿いにあるお茶屋さんですが、店先に墨田区の観光案内看板がドーンと出ています。

 わざわざ区が老舗なんですと宣伝してくれるようなものなので、店としてもありがたいというところですかね。

 安政元年(紀元2514キリスト暦1854)創業。山本山で修行をされていた方が創業とのことなので、山本山はもっと古いのですね。

 山本山は、昔、上から読んでも山本山。下から読んでも山本山というコマーシャルを流していて、悪童どもは「まやともまや」だよねと突っ込んでいた記憶があります。

 麻布十番なんかでは、江戸、明治期創業のお店は結構あったような気もしますが。特に表示されていないのは、港区との土地柄の違いでしょうか。

 ナマムスもあきれていますが、この記事も27日目、まだまだ続きます。

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ハンノキの漢字が出ない!

 

 

 
 

どんな字なの?

椿みたいな、下が少し違うやつで、…。

 
 

よくわからない!ミルクボーイか!

 

 総武線のガードをくぐり京葉道路の手前にある榛(はんのき)稲荷神社。

 かつてこのあたりには、榛馬場と呼ばれた馬場があり、その土手に榛が植えられていたようです。(このハンノキが変換で出るときと出ないときがあるのはナンデダロウ?)榛というのは、水辺を好む樹種のようですね。榛名山の榛の字でもあります。

 この榛の傍らにあったのが、この稲荷神社。

 関東大震災では、社殿と榛は焼失したとのこと。

 まあ、最大の被害地の傍で無事には済まないでしょうけれども。

 その後、発掘された古碑には、和銅2年との表示があったとか。

 和銅は、日本で最初につくられた流通貨幣である和同開珎が有名ですね。

 和銅2年というと(神武)紀元1370になりますか。

 そして、この近辺には葛飾北斎が住んでいたことがあるとのこと。

 葛飾北斎は生涯で90回以上転居を繰り返したとのことですが、この場所は、露木為一という人が「北斎仮宅写生」という絵を残しているそうです。

 ある程度、場所の特定が出来、絵画資料も残されているという意味では貴重な例とのことで、葛飾北斎住居跡の看板が掲示されています。

 京葉道路を右に曲がります。

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 今日は、ナマムスはお休みです。

 さて、野方へは、たいした距離ではないので、歩くことにしました。

 上の公園は、柏公園。まだ、新井ですね。

 少し歩くと、野方と新井の町境にあるバス通りに出ます。

 その通りにあった、神輿蔵のような建物。

 なんでしょう??

 この敷地が個人宅だとしたらすごいですね。

 さらに進むと妙正寺川につきます。

 妙正寺川は、杉並区の妙正寺公園の妙正寺池を水源とする河川。このあたりでかなり蛇行しており、哲学堂公園の中も入っています。

 以前、沼袋のあたりでカワセミを見たこともありました。

 

 そこにかかる新橋。

 このあたりの都市河川は、まるで掘削しているような感じとなっていますので、あたりの地面と平になっています。

 そして現れるのががんかけ地蔵尊。

 傍の看板の解説では、庚申塔、地蔵尊、二三夜碑とあります。

 庚申塔には、太陽と月、青面金剛、3匹の猿、にわとりなどが彫られています。この付近の人々31人が建立したもので、石の側面には享保二一丙辰三月吉祥日(一七三六)と彫ってあります。台石には、「右中村道 左さぎのみや道」と記され、道しるべの役を果たしていました。
 地蔵尊は、延享元年(1744)9月に建立されたもので、沼袋村の矢島亦右衛門のほかにとめ、多よ、いちなど女性の名前が記されています。台石には、秩父、坂東、西国の観音霊場百ケ所をめぐり、長寿福楽と来世での安穏を願った旨の文字が読み取れます。
 二十三夜の碑は、昔、このあたりで疫病がはやったことがあり、祈祷師から以前にこの地にあったはずの二十三夜塔を再建するようにとのお告げがあり、関係者八人によって昭和二年(一九二七)に建てられたものと伝えられています。
平成一二年五月 中野区教育委員会

 ちなみに、享保二一年は、紀元2396年。延享(えんきょう)元年は、紀元2404年。昭和2年は、紀元2587年です。

 庚申塔の話は、淀橋庚申堂で触れました。

 二三夜塔というのは、月待塔と呼ばれるもので、月待講と呼ばれる習慣に伴うもので、特定の月例の日に集まって飲食をしながら、月を待つ行事だったとのこと。なんだか定例の飲み会のような気もしないでもありませんが。

 二三夜は下弦の月だそうで、記念に石塔を建てる習慣もあったようです。

 ここから、野方の町に入ります。

前の記事へ野方付近を歩きました!記事一覧

 



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あ!この鶴は、寒くなると報道されるやつだね。

 

 

初夏となると違った姿を見せるね。

 

 3つ目のスタンプポイントは、日比谷公園内の図書文化館。

 初夏の暑さに、館内の冷房が快適でした。

 常設展は無料で公開なので拝見しました。

 日比谷の歴史とかの展示でしたが、日比谷公園を訪れたのであると見てみると良いかもしれません。

 野音のコンサートの音漏れを聞きつつ、雲形池へ。鶴の噴水です。以前、銀座一丁目コースに行った際、触れましたが装飾用噴水として日本で3番目に古い噴水とのこと。

 冬になると、つららが下がる様がよく報道されます。

 日比谷公園は、変な古いものが置いてあったりします。

 次の写真が、「喫煙禁止」と掲げられている。なるほど、タバコ盆のような形の古い水飲み場です。

 といっても、年代不詳だそうで、微妙なオブジェですね。

 最後のスタンプポイントは、日比谷堀を超えた皇居外苑の正成公像。

 日比谷公園を日比谷掘側に戻っていきます。

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つたやさんの料理好き!

 

 

 

今年は、多少でもスキーが出来たよ!

 

 例年訪れている変若水の湯つたやさん。山菜のプレートの盛合。上から時計方向に、蕗の薹の甘酢、赤ミズ、コゴミ、ウルイ、ドホイナ、青ミズ、アイコ、シドケ。

 見出し画像 利き酒銘酒セットは、月山の雪、大虎、一声、白い酒(佐藤佐治右衛門)。

 翌日、午前中は、月山スキー場で滑れました。正直、衰えているので、大斜面のコブはしんどかったですが。

 今回は、月山山菜そばをつたやさんでいただいて、海側、庄内方面に向かいます。

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